0人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
情けの理由
アルバが海魔に情を寄せているとは露知らず、海聖はバイクからクロカイリュウに乗り移り、長い胴部にひたすら斬撃を入れていた。
肉を裂く度にクロカイリュウが激しく暴乱するが、鍛え抜かれた瞬発力と体幹で振り下ろされることなく、うねる漆黒の体躯を駆け抜ける。
――普通の斬撃じゃ死なないか。
もっと深い――それこそ、胴部を一刀両断するような即死攻撃を与えないと。
「なら、このうねりを利用して……」
肉を抉り取るようにまた一撃お見舞いすると、痛烈な咆哮が空気を震撼させた。
荒波の如く体躯が激しくのたうち、海聖は空中へと投げ出される。
その勢いに身を任せて空中で一回転し、体勢を整える。
最後に自由落下と共に剣を構え、先ほど与えた裂傷に狙いを定めた。
「今、楽にしてあげる」
冷酷な死の宣告の後、全身全霊の力をもって剣を振り薙いだ。
落下による斬撃の重みが増したことにより、太々とした胴部は真っ二つに両断された。
クロカイリュウは最期に天を轟かせる勢いで叫呼し、絶命する。
しん、と辺りが静寂に包まれた。
一度周囲を見渡し、新たな脅威が迫っていないことを確認してから海聖は愛剣を鞘に収める。
海面に浮かぶ漆黒の骸に軽やかに着地すると、そこでアルバが退避していないことに気づいた。
「なんでっ!?」
すぐにバイクに乗り、呆然と事切れたクロカイリュウを見つめる彼の元へ駆け付ける。
「真潮さん! 私は避難するよう言ったはず……」
言い終える前に、海聖は驚きの表情に染めた。
二度目の「なんで」が心の中で発せられる。
眼前の青年は、薄水の双眸から涙を流していた。
海聖の帰還に気づいたアルバは、我に返ってすぐさま頬を伝う雫を拭い取る。
「すみません。どうしても、この場を離れることが出来なくて……」
「何で、泣いてるんですか?」
涙目が向けられていた先には、己が討伐した海魔がいる。
彼がクロカイリュウの死を悼んで涙を流しているのだと容易に察せられた。
「海聖さん。僕は」
「まさか、海魔に情けをかけてるんですか?」
黙り込むアルバに、海聖の顔は険あるものへと変貌する。
「だからさっき私に、海魔を恨んでいるのかなんていう意味不明なことを聞いたんですね」
正気ですか? と、侮蔑の色を滲ませてアルバを睥睨した。
海聖の鋭い視線を受けながらも、アルバは真剣な眼差しで本心を打ち明ける。
「……僕は、ずっと疑問に思っているんです」
「疑問?」
「はい。なぜ、海魔は問答無用で我々人間を襲うんだろうと」
「そんなの、奴らが凶暴だからに決まってるからじゃないですか」
「じゃあ、その凶暴性は一体どこからきているんでしょう」
「それは……生来の性分としか言いようがありません」
一瞬言葉に詰まりながらも己の考えを口にした海聖に、アルバは「確かに、そう考えるのが妥当ですよね」と苦笑しながら頷く。
「他の賢者たちもそう主張しています。海魔は殺戮生物——つまり、彼らの本能そのものが獰悪なのだと。ですが、僕は海魔が単なる殺戮生物のようにどうしても思えないんです」
「どういうことです?」
海聖は胡乱げに首を傾げた。
「海魔が襲う対象は何も全ての生物ではありません。何故か、僕たち人間だけを捕食しているんです」
「……!」
海魔が他の海洋生物を喰い殺すという情報は、確かに聞いたことが無い。
もしそうであれば、とっくに生態系のバランスが崩れている。
「彼らが兇悪な殺戮生物であれば、例外無くその他の生命体を敵として認知するはず。けれど、海魔は同じ場所に住む海洋生物を虐殺していない。寧ろ、人類だけを襲っている」
まるで、人類を滅ぼせという命令を受けているかのように。
神妙に呟いたアルバの一言に、海聖は息を呑んだ。
「……じゃあ、海魔を操っている何かがいるってことですか?」
「あくまで僕の憶測に過ぎませんが、恐らくは。それに、彼らを操作する外的要因が無かったとしても、約百年前に突如海魔が出現し始めたという不可解な歴史を見れば、やはり単なる海の魔物という概念だけで済ませることは出来ません」
「それは、そうかもしれませんが……」
「人間が危害を一切加えていないのにも関わらず、いきなり深海から姿を現わしたかと思えば容赦なく牙を剥く。生物学的な観点から言えば、理由も無く只々暴れ狂う個体は絶対に存在しないんです」
全ての生物には、必ず意志があるのですから。
最初のコメントを投稿しよう!