戦乙女の悔恨

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戦乙女の悔恨

 翌日の早朝。  海聖は聖の指示通り、アルバと共に関東海域周辺の調査に向かった。  海域調査は本来賢者の常務であり、週に三回ほど騎士は賢者の護衛として付き添う。  海魔除けの月光照明弾を予め海中に投げているとはいえ、完全に海魔からの襲撃を防げるというわけではない。  いつ如何なる時であっても、海上にいる限り危険は付き物だ。  水質、水温、当該海域の生態系などを一通り調べ終えたアルバは、手にしていた記録用タブレットと回収した海水のサンプルを肩に下げていた鞄に入れた。 「お待たせしました」  常備している手榴弾を点検していた海聖は、アルバの声に顔をあげる。 「もう調査は終わったんですか?」 「はい」  海聖は「そうですか」と立ち上がって、軽く伸びをした。  そのまま周囲を見渡しながら問う。 「では、そろそろ戻りましょうか。さっき投入した照明弾の効果も切れてくる頃ですし」 「そうですね。お付き合いいただき、ありがとうございました」 「いえ。仕事ですから」  両者がバイクにエンジンをかけたところで、 「あの、海聖さん」 「はい」 「昨日、聖さんがあなたのことを心配されていましたよ」  ああ……と、海聖はそのことかと言わんばかりに小さく嘆息する。 「確かに、あまり根を詰めすぎるなと言ってましたね。おそらく祖母は、真潮さんに私を気にかけておくよう頼んだのでしょう。でも、私は大丈夫です。真潮さんが気にかける必要はありません」 「いえ、そうではなくて……」  海聖が小首を傾げると、アルバは一瞬言い淀みながらも意を決したように問うた。 「あなたが休む暇無く海域長(リーダー)としての職務に邁進しているのは、ご両親のことがあったからなんでしょう?」  昨日の聖の言葉。  彼女の口から発せられた、海聖が常に張りつめている理由。 『あの子――海聖は人一倍責任感が強い子で、何より他人よりも自分に厳しい性分をしている。私があの子を海域長(リーダー)に任命してしまったから、余計にその厳格さに拍車が掛かったのだけれど、何より一番は……』  海聖の両親が亡くなったからなのよ。  ――なんで、父さんと母さんのことを……!  海聖が大きく瞠目する一方で、アルバは滔々と聖から聞いた海聖の過去を語る。 「幼少期、あなたは陸部でご両親と共に住んでいたと聞きました。しかし、幼いながら海上への憧れを抱いていたあなたは、ご両親の言いつけを破って一人海に出てしまった」  その際、海魔に襲われ、窮地に駆け付けたご両親があなたを守ってお亡くなりになられたのだと。  海聖の脳裏に、思い出したくもない凄惨な情景が思い浮かんだ。  必死に記憶を押し戻そうとするが、一度思い浮かべた情景はそう易々と取り払われるものではない。  自然と黒曜の双眸が伏せられ、声音にも影が落ちた。 「……祖母が全て話したんですね」 「すみません。気分を害されるようなことを……」 「いえ。もう慣れてますから」  弱みを見せたくないからと咄嗟に放った虚勢の言葉に、海聖は内心溜息を吐いた。  本当は慣れてなどいない。  あの時の記憶が思い起こされる度に、今も尚吐き気や激しい自責、己に対する嫌悪の念に駆られてしまう。  隠しきれない苦悶の表情をアルバは見逃さなかった。  彼が何か言いかける前に、海聖はそれを制止するかのように口火を切る。 「両親は騎士海軍の中でも一、二を争う程の実力者で、それはもう圧倒的な存在感を放っていました。父と母が結婚した時なんて、まるで芸能人同士のそれと同じくらい騎士たちの中で激震が走ったそうです」  海聖は虚空を眺めては、亡き両親の笑顔を回顧する。  両親の馴れ初め。  騎士としての偉業。  それらは全て祖母から聞き及んだ。  当の本人たちは気恥ずかしさが勝り、自分が尋ねてもはぐらかされるばかりだった。 「最強の剣士であった父と、最強の銃士であった母にはそれぞれ心酔者が沢山いました。中には最強夫婦となった彼らを崇敬し、一生見守っていこうと決意してファンクラブを作りだす騎士もいたほどで」 「そ、それは凄いですね」  アルバの苦笑に、海聖もふっと笑みを零す。  だが、すぐにその微笑を影が覆い尽くした。 「そんな両親が浅はかな娘を守って死んだという事実に、騎士たちは様々な反応を示しました」  彼らは最後まで立派な騎士だったと、悲嘆に暮れながらも殉職を英雄視する者。  愛娘を命を賭して守る――まさに、親の鏡だと涙ながらに称賛する者。  なぜ彼らが命を落として娘だけ助かったのかと、崇敬するがあまり全ての責任を自分に押し付けようとする者。  自分が彼らを殺したことに相違ないと、怨恨を突きつける者。    当時まだ八歳だった自分に付き纏う怨嗟や自責の念は心身共に疲弊させた。  部屋に籠り、両膝を抱えて小さな頭を埋め、他者の顔を見ることが出来なくなった。  今思えば、あの時の自分が一番追い詰められていたと語る海聖に、アルバは言葉を失っていた。 「蹲っていた私に手を差し伸べてくれたのは祖母でした。あの人は、単に私に非があるのではないと慰めるのではなく、むしろ私の犯した愚行を清算するために、両親の意志を継ぐべきだと叱咤してくれたんです」 「清算?」  アルバの鸚鵡返しに、海聖は首肯しながら両親の遺品に手を添える。  白銀の十字剣と漆黒の狙撃銃――。  かつて両親を最強たらしめた、最愛の相棒たち。 「両親が死んだのは私のせいじゃないとどれだけ言い聞かせたとしても、それは逆効果。反対に自分が両親を死なせてしまったのだと、更に自責の念を抱かせてしまう。私の性格上、祖母はそう思ったんでしょうね。だからこそ、私が両親に代わってより多くの人を救うよう、敢えて騎士の道を進むよう鼓舞した。案の定、当時の私にとって祖母の厳しい言葉と激励は効果覿面でした」  それからというもの、祖母を師として騎士としての心得やありとあらゆる武術を学んだ。  自分の代わりに命を落としてしまった両親への贖罪、また彼らを喰い殺した海魔に対する怨恨。  そして、もう誰も死なせたくないという騎士としての揺るぎない意志。  三つの強い激情こそが、今の海聖を形作っていた。 「私自身が万全でなければ、当然誰も救うことなんか出来ません。それくらい分かっています。だから、心配は無用だと、もし真潮さんがまた祖母に会う機会があればそう伝えておいてください。長話に付き合わせてしまってすみません」  さ、そろそろ戻りましょう。  海聖が基地がある方角へバイクを向けると、 「海聖さんは――」  アルバが名を呼んだので、海聖は振り返る。 「やはり、海魔を恨んでいるのですね」 「え?」 「ご両親だけでなく、全ての人々に牙を剥く彼らを」  何故、そんな聞くまでも無いことをわざわざ問いかけてくるのだろう。  アルバの真意を図りかねつつも、「それは勿論」と海聖は頷く。 「というより、私に限らず他の騎士や一般人も同じ気持ちだと思いますが」  人々を守るという正義感から騎士になった者もいれば、大切な人を海魔に殺されて、その復讐心から騎士を志した者もいる。  海魔に対して好印象を持つ人間なんていないはずだ。それだけは断言出来る。 「どうして、そんなことを?」 「僕は……」  アルバが躊躇いを見せながら何かを言いかけた途端、突如彼の背後の海面が大きく盛り上がるのが見えた。 「伏せて!!」
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