アンティーク

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カチャン  莉子はトートバッグを椅子に掛けるとテーブルに置いた走り書きのメモを手にしてソファに崩れ落ちた。座面に身体が沈むように心も落ちてゆく。青い芝生に蔵之介の面立ちを見つけ出す事は出来なかった。 (やっぱり無理よね)  莉子は偶然を装い蔵之介にもう一度会いたかった。物陰からでも良いからその横顔を見たかった。笑顔はあの頃のまま変わらないのだろうか、同じ口癖で話すのだろうかと運賃210円に賭けたがそれは叶わず小雨の中を帰宅した。壁掛け時計の針は18:00を指していた。 (もうすぐ帰って来るかな)  直也が接待ゴルフから帰って来る。莉子は洗面所で顔を洗いタオルで水滴を拭き取った。額の傷、麻痺した右脚、過去を引き摺る2人が今更会ってどうなるのだろう。 (あの事故から17年、もうすぐ20年)  莉子は冷蔵庫の野菜室からキャベツと玉ねぎを取り出し包丁を入れた。 (野菜スープ、ポトフにしよう)  ざく切りにしたキャベツを鍋に入れ、玉ねぎの皮を剥く。思い出を一枚、一枚()いでくし切りにすると涙がまな板へと落ちた。 ピンポーーン 「あ、はーーい!」  優しい夫が笑顔で帰宅した。手にカントリークラブ近くにある有名パティスリーの白い箱をぶら下げて微笑んでいた。雨の匂いがする。 「りんごのコンポート、好きだったよね。プリンもあるよ」 「ありがとう!デザートに食べようね」 「汚れたからシャワーを浴びてくるよ」 「今夜はポトフだよ」 「寒かったんだ、さすが莉子!」  ふとそこで直也の手が止まった。 「莉子、目が赤いよ泣いてたの?」 「玉ねぎが目に染みちゃって」 「ーーーそう」  幸せな結婚生活、穏やかな日々、なんの不満も無い。
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