紙飛行機

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「それでね」 「ええ、それ最低!」 「でもね」  私は夕ごはんの麻婆豆腐が甘かったと不安を漏らし、蔵之介はサッカーの練習試合でゴールを決めたが転んで怪我をしたと膝の大きな絆創膏を指差した。 「痛そう」 「お風呂でしみて泣いたよ」 「よしよし、お姉さんがコーラを買ってあげよう」 ゲップ  私の盛大なゲップで僕はお腹を抱えて笑った。2人でいると話題は尽きなかった。黄色点滅の深夜の交差点を幾つも渡った。そこで蔵之介が声を上擦らせながらひとつの提案をした。 「そうだ、莉子!星を見に行こうよ!」 「こんな明るい場所じゃ無理だよ」  私は街灯を仰ぎ見た。 「獅子座の流星群、きっと見えるよ!」 「お願い事でもするの?」 「内緒、行こうよ!ほら、乗って!」  蔵之介は私に有無を言わさず自転車のキャリアに乗せ力一杯ペダルを踏んだ。然し乍ら急勾配になると私の身体は重く「下りて」と言われた。その度に私は「失礼ね!」と膨れっ面をして蔵之介の背中を叩いた。 「うわぁ、綺麗!」 「ホタルイカみたいだね」  一番高い坂道を登りきると家の灯が消えた真っ黒な街が眼下に広がった。それは富山湾の浜辺に集まる小さなイカを思わせた。ホタルイカは波間を網で(すく)うと青白く発光する。 「ホタルイカって気持ち悪くて食べられない」 「莉子はお子さまだね」 「お子さまに言われたくないわね!」  私は小指大のイカを丸ごと食べる事が出来ないと眉間に皺を寄せた。 「酢味噌和えにすると美味しいのに」 「無理無理、ぜーーーったい無理!」  私はコーラの空き缶をコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てながら振り向いた。 「何処まで行くの」 「金石(かないわ)のフェリーターミナル」 「ええ、遠いよ」 「自転車ならすぐだよ」  蔵之介は私を自転車のキャリアに座らせた。   「気持ち良いね」 「うん」  夏の青い草の匂い、肌に湿った風が纏わりつき時速18kmの景色が流れて消えた。やがて道路は市街地に入り歩行者信号機は青色と赤色を繰り返した。金沢駅西口を通り過ぎやがて国道8号線の高架橋を越えるとその道は金石街道(かないわかいどう)と呼ばれる直線道路へと変わった。 「この道はなんて言うの」 「金石街道」 「よく知ってるね」 「父さんと港に釣りに来るから」 「ふーーん」  郊外へと2人を誘う一本道、蔵之介の踏むペダルは颯の様に駆け抜けた。 「いーーっぽん、にーーーほん」 「なに、なに数えてるの」 「電柱、電柱の数を数えてるの」  蔵之介の背中に掴まって電柱の数を数えた。 「なんで?」 「電柱が一本増えると家から遠くなるでしょ」 「うん」 「その分2人だけの秘密が増えているみたいでドキドキする」 「2人だけの秘密」 「ドキドキしない?」 「うん、なんだかドキドキして来ちゃった」  互いの鼓動を感じた。 「あ、赤信号」  蔵之介の自転車の行手を阻んだ片側3車線は海側環状線、山側環状線と名付けられた金沢市を一周する幹線道路だ。そこを3台の大型ダンプカーが排気ガスを撒き散らして通り過ぎた。 「臭いね」  蔵之介が(むせ)こみ、私が背中を撫でた。交差点の信号が青信号に変わり横断歩道を渡ると道幅は急に狭くなった。煌々(こうこう)と明かりを放つ24時間営業のガソリンスタンドでは宅配会社のトラックがガソリンを給油していた。 「あーー、眩しい」 「こんな時間でも働いている人がいるんだ」 「大変だね」  すると目前に白黒のパトカー、交番の赤色灯が見えた。 「あ、ほら交番がある!」  私は慌てて自転車から降り、蔵之介の隣を何事も無かったかの様な顔をして歩いた。 「お巡りさんが居るかと思った」 「居なかったね」 「居なかった、良かった」  コンビニエンスストアを通り過ぎた。 「もう着く?」 「もうそこまで、見えるよ」  黄色い信号が点滅していた。横断歩道は無かったと思う。 「あの交差点の向こうだよ」 「本当だ、あの辺りは街灯が少ないね」 「きっと星が沢山見えるよ」  ペダルが加速しチェーンリングの音が激しくなった。黄色点滅の交差点の向こうに赤い郵便ポストが見えた。あの場所を右に曲がれば金石の港に着く。交差点を通過しようとしたその時、蔵之介はグリップを力一杯握るとブレーキレバーを引いた。真横から飛び出してきた新聞配達のバイクのライト、私の身体はグラリと傾き背中に衝撃と激しい痛みを感じた。  うっすらと瞼を開けると不思議な姿勢でぴくりとも動かない蔵之介が居た。転がるスニーカー押し潰されて(いびつ)になった自転車のホイール、回転する赤いライトが辺りを照らしていた。 バイクの一時停止無視による交通事故  私の額には大きな傷が残り、蔵之介は脊髄損傷で右脚に麻痺が残った。
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