英字新聞

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 私の足取りは重く玄関の扉を開けた。 「あれ、早かったね」 「1人で出掛けてもやっぱり面白くないから帰って来ちゃった」 「おひとり様計画は失敗だね」 「だねーーー」 「骨董市はどうだった?」 「やだなぁフェスタよ、お祭り!色んなお店が並んでいて賑やかだったよ」 「へぇ、今度俺も行ってみたいな」  どきっとした。 「うん、今度一緒に行こう」 「それでどんなティーカップを買ったの?」 「そうだ、見てみてすごくシックで素敵なの!」  クラフト紙の袋から英字新聞に包まれたアンティークローズのティーカップを取り出して直也に見せた。 (蔵之介が包んでくれた)  そう思うといつもより丁寧にセロハンテープを剥がした。 (指先が震えていたのも事故の後遺症だったのかな)  そう思うと胸が痛んだ。 「良いね、これ」  直也の声で我に帰った。確かにティーカップやソーサーに欠けやひび割れも無く状態は良かった。LEDライトの下で見直すと花弁一枚、葉脈の一本まで繊細に描かれた茶褐色の薔薇の花。 「良いね」  デザインも繊細な造りだった。 「これは良いね、莉子は見る目がある!」  直也はソーサーを裏返して目を凝らした。 「コ、ウルドン」 「コウルドンね、調べてみる」  コウルドンと検索してみたところイギリスから北アメリカに輸出されたアンティーク品で現在値段が高騰しているメーカー製品だという事が分かった。 「にっ、20,000円!」 「これ、幾らだったの!そんなに奮発しちゃったの!」 「ううん、3,500円」 「じゃあこれはレプリカかな」 「そうなのかな」  私が落胆していると「これも記念の品だよ」と私の肩を引き寄せた。 「そうだね」 「そうだよ、記念のティーカップだよ」 (記念品)  直也に肩を抱かれた私の瞼の裏にはジーンズにTシャツ姿で深々とお辞儀をした青年の姿が焼き付き、身体中から切なさが留めようもなく溢れていた。 (蔵之介)  私は嬉しそうな直也の横顔を凝視した。 (直也は私の夫、私は結婚している、もうあの時の私じゃない)  けれど蔵之介は私にとって特別な存在だった。手を繋いで歩いた図書館へと続く小径、蝉時雨、打ち上げ花火の河川敷で交わした初めてのキス、午前0時の紙飛行機、深夜に部屋を抜け出した背徳感と胸のときめき、坂の上から見下ろした黒い街、金石街道で数えた電信柱。 (もう2度と会えないと思っていた) 「なに、どうかした?」 「ううんなんでもない」  私は17年前に引き戻されてしまった。 「お風呂入るね」 「疲れただろうゆっくり入りな」 「うん」 「ビール先に飲んでるから」  私はお気に入りのショルダーバッグをソファに置いたまま風呂場へと向かった。 「シワになるぞ、莉子は本当に」  直也はショルダーバッグを壁に掛けようと持ち上げた。その時サイドポケットに英字新聞で折られた紙飛行機を見つけた。 (これは)  直也は英字新聞の紙飛行機をショルダーバッグに戻しおもむろに立ち上がると2階の寝室へと向かった。薄暗闇の中、クローゼットの前に椅子を置き背を伸ばして冬物のカットソーが入ったカゴを手で避けた。その奥にはなんの変哲もないクッキー缶が置いてあった。静かに蓋を開けると中には幾つもの古びた紙飛行機が入っていた。 (新しい紙飛行機)  直也は蓋を閉めるとクッキー缶をそっと元の場所に戻した。直也は私の17年前の思い出の在処(ありか)を知っていた。  
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