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そして窓の外の駐車場を見た蔵之介の言葉に息が詰まった。
「行きたい所があるんだ」
「ーーーえ」
「莉子は車で来たの?」
「うん」
「乗せて行って」
何処に行くのだろう、莉子は戸惑いを隠せなかったが無意識に頷いていた。それじゃ行こうと蔵之介は手慣れた仕草で伝票を取るとウォレットチェーンを弄りながらレジスターに向かいクレジットカードを手渡していた。
(もう大人なんだね)
以前はテーブルで小銭を出し合い莉子が伝票を持ち蔵之介がレジスターのトレーに硬貨を並べた。400円、500円、600円、50円、5円とぎこちなく数えた。あの頃の2人はもう居ない。
「お待たせ」
「ありがとう、ご馳走様」
「どういたしまして」
「美味しかったね」
「うん」
ところが蔵之介は駐車場に停まっていたパールピンクの軽自動車を見て真剣な顔で驚いた。
「莉子、本当に運転出来るんだ」
「出来るわよ」
「運動音痴だったのに」
「うるさいわね」
文庫本を開いてばかりの莉子の運動はからきしだった。3年C組と1年A組の体育の時間割が重なった時、グラウンドで高跳びが出来ずバーと一緒にマットに沈む莉子を長距離走の蔵之介が腹を抱えて笑っていた。
「それではお願いします」
「かしこまりました」
シートベルトのタングプレートをはめた莉子はハンドルを握りタクシードライバーの真似事をした。
「お客様、どちらまで?」
「金石港までお願いします」
「ーーーえ」
「金石港のフェリーターミナルまでお願いします」
「蔵之介?」
蔵之介はあの夜をもう一度やり直したいと言って微笑んだ。
「あの、あの道を通るの?」
「そうだよ」
「あの交差点を通るの?」
「そうだよ」
ハンドルを握った手のひらに汗が滲んだ。莉子は高等学校以来、事故の瞬間を思い出すかもしれないという恐怖心から金石方面に近寄る事は無かった。然し乍ら蔵之介は敢えてその場所に行きたいと言った。
「怖いの?」
「少し、怖いよ」
「大丈夫だよ、自動車だから」
「だからって」
「信号があるから大丈夫だよ」
莉子はエンジンのスタートボタンを押した。
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