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ウォールナット
「ウォールナット、聞こえてんのかー?」
「ぎゃはは!」
私を呼ぶ、おちゃらけていて不愉快な声。呼応するように下品な笑い声が飛び交う。
なぜこうなったの。私はこうなる前に、どうにかできたのだろうか。
***
私の家は一言で、厳格だった。父と母からの厳しい教育。たくさんの習い事を強要され、私に自由と呼べる時間はなかった。
けれどそれを苦しいと思ったことはない。父と母の期待に応えることは当然と思っていたし、それに私自身の品性、技術が研ぎ澄まされていくのは心地よかった。
近所の人は私の勤勉さと精錬された態度を面と向かって褒めてくれた。そのたびに高揚した。
中学に上がって、私の世界は広がった。いや、増えたと表現するべきかもしれない。
小学校からの友達、さらには新しい同級生のほとんどがスマホを持っていた。
「え? 胡桃ちゃんスマホ持ってないの?」
「え、うん……」
まるで責められているように感じた。持っているどころか、スマホがどういったものなのかも知らないのに。
まるで持っているのが当然みたいで、教室の空き時間に皆が変な機械を眺めているのは気味が悪かった。
スマホを持っていなかった私は何だか申し訳なく感じた。話の輪の中に入りづらくなって、次第に孤立してしまった。
そんな私とは反対に、一人クラスの人気者として台頭したのはオレンジ髪のはっちゃけたみかんちゃん。
陽気な彼女はすぐにクラス中の皆と仲良くなっていた。一人一人に話しかけて、皆を笑顔にしていた。
私は彼女に好意的な印象を抱いた。私とは違う、彼女にしか持っていない才能を肌で感じた。
そして彼女は例外なく私にも話しかけてくれた。かわいらしい無邪気な笑顔、トーク力もあった。
「なー胡桃ちゃん、ライン交換しようよ!」
「ら、らいん?」
楽しく会話をしていたら、唐突に知らない単語を言われて私は戸惑った。
「ん? 何うじうじしてんの」
「いや、その……」
私は謎の羞恥心に苛まれて、声が出なくなった。
「あー、胡桃ちゃんはスマホ持ってないんだよ」
隣の席の女の子が割って入る。その子の話を聞いたみかんちゃんは、みるみる内に顔から笑顔が消えていった。
「は、マジ? じゃあ、わたしのことも知らないわけ?」
何を言っているのかわからないのに、彼女は私に問いかけてくるみたいに目を尖らせた。だんまりな私から答えを得たのか、興味を失ったかのように私の元を離れていく。
それがどんなに恐ろしかったか。気づけばクラス中の皆が私を見ていた。珍獣を見るような好奇的な視線が体中を突いた。
いたたまれなくなって、私は教室を脱獄するように逃げ出した。
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