花鈴と僕の暮らし

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 花鈴(かりん)は家へ戻ると着替えもせずバッグだけを持つと、 「二三之助(ふみのすけ)、これから私、病院に行かなくちゃならないの。お母さんが胸が苦しいって言って、救急車で病院に運ばれたの。すぐ来るようにって言うお父さんの声が震えていた。二三之助、どうしよう」  花鈴は泣き出しそうな声で言った。     僕が気を()んで待っていると翌日、花鈴は打ちひしがれた様子で帰ってきた。  その姿を見て僕は声をかけることができなかった。  花鈴は僕のそばにきて暗く沈んだ声で言った。 「遅くなってごめん、二三之助。(あわ)ただしかったの。お母さん、もう手遅れだった。私が病院に駆けつけたのを待つように、お母さん……亡くなってしまって……」   僕の心に鋭い爪で引っ()かれたような痛みが走った。  葬儀(そうぎ)も済んでそれからの日々、花鈴はふわふわとして上の空で、そうかと思うといきなり涙を流したりしていた。花鈴は笑わなくなった。  僕はそんな花鈴をただ見守っていることしかできなかった。無力だ。  突然、チャイムが鳴った。花鈴がインタホンをとると宅配便の人だった。  花鈴が、受け取った段ボール箱を開けた。  箱の中にはたくさんの林檎(りんご)と白い一通の手紙が同封されていた。 「洋子叔母(おば)さんからだ」と花鈴は言った。  洋子叔母さんは花鈴のお母さんの妹だ。  花鈴は手紙を取り出すと僕の横に来て座り、小さな声で読んだ。    花鈴ちゃんへ  葬儀が終わって二週間が経ちましたが、少しは落ち着きましたか?  突然だったので、きっとまだ信じられない気持ちでいるのではないでしょうか。  私もお姉ちゃんがいなくなって、なんだか心にぽっかりと穴が開いたみたいな気持ちです。悲しくてなにもする気にならない。  きっとその心はなくならないかもしれない。だけど私たちは生きているから死を受け入れて進まなくちゃならないのよね。  花鈴ちゃんは優しい子ね。自分も辛いのに葬儀のときもお父さんを気遣っていたわね。  花鈴ちゃん、私で良かったらいつでもなんでも言ってね。頼ってちょうだい。    その方が嬉しいのよ。  生前、お姉ちゃんが、花鈴の笑顔が最高なの。親ばかと思われるかもしれないけど、可愛くってね。よく、そう言っていました。  花鈴ちゃんの笑顔は、人を優しい気持ちにさせてくれるとても素敵な笑顔だと思っています。  その笑顔が取り戻せる日が早くきますようにと、心から祈っています。  でも、(あせ)らなくていいのよ。  花鈴ちゃんが幸せでいてくれることが一番のお母さんの幸せだと思うの。  花鈴ちゃん、食事、ちゃんと食べてる?   花鈴ちゃん、小さい頃から林檎が大好きだったから、食欲がなくても食べられるんじゃないかと思って送ったの。  今は旬じゃないからどうかなと思ったんだけど、美味(おい)しかったらいいな。   花鈴ちゃん、お母さんは亡くなってしまったけど、いつも花鈴ちゃんの心の中で生き続けると思う。  お母さんはいつも花鈴ちゃんと共にいるわ。  私も花鈴ちゃんのこと、いつも応援してるからね。  私は何があってもあなたの味方よ。  なるべくたくさん眠って自分の体も心も休ませてあげてくださいね。   花鈴は読み終えた後も、じっと便箋(びんせん)をみつめていた。   便箋を持つ手が小刻みに震えている。フローリングの床にぽたぽたと(しずく)が落ちた。  僕の胸はぎゅうっと締めつけられたように苦しい。  僕は本当になにもできない……。  だけど、僕は心のなかで誓った。  ──僕が一生花鈴を支えていく。  花鈴が(しぼ)り出すような声で話し出した。 「お母さん……まだまだお母さんに教えてもらいたいことがいっぱいあったのに。突然いなくなっちゃうなんて……料理も教えてもらおうと思ってた。魚の煮付けだってお母さんみたいに美味しく作れなくて、煮崩(にくず)れちゃうんだ。野菜の煮付けだって、味噌汁だって、お母さんの味がだせない。それからね、どうしたらお母さんみたいな思いやりのある人になれるの……そういうことお母さんに訊こうと思ってた。あと、あとね……私……親孝行してないんだよ。してもらうばかりで、お母さんに何も恩を返してない──」 そう言うと、花鈴は大きな声をあげて泣いた。僕はこんなに泣く花鈴を初めて見た。    心が……痛い。  どれだけそうしてたろう。  やがて、花鈴は顔を上げるとすっと立ち上がって洗面所の鏡の前に立った。  鏡に映る自分を見つめて、花鈴は無理矢理(むりやり)口角(こうかく)をあげてみせた。そして、 「お母さん、これでいいかな……」と(つぶや)いた。  花鈴、無理すんなよ。僕は胸のうちで呟いた。  心配そうに花鈴を見つめている僕の方に来て、 「二三之助、林檎食べよう」と花鈴は言った。  その表情は少しだけ明るくなったようにみえた。  花鈴は箱の中から、林檎を一つ取り出した。  手に持った大ぶりの(あざ)やかな紅い林檎を見つめて、花鈴は「ありがとう」と言った。    二人で林檎を食べる。 「美味しい……」  花鈴が呟いた。    僕の口の中を甘酸っぱい味が広がっていく。  だけど、僕の心の中は酸っぱい。酸っぱくて痛い。  食べ終えると花鈴はオルゴールをかけた。  花鈴も僕も黙って聴いていた。  静かに時間が流れていった。  
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