花鈴と僕の暮らし

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 僕の嫌いな梅雨の季節になった。  今日は久しぶりにせいせいするようないい天気だ。  花鈴(かりん)はこの何日かとても不機嫌(ふきげん)だ。  今日も休日だというのにため息ばかりついている。  そして、やはりオルゴールをかけている。 「あのさ、二三之助(ふみのすけ)。あなた名前が()(さん)、助けるって書くでしょう。たまには私のこと助けてよ。二つも三つもじゃなくてもいいから、一つだけでもご助言をいただけませんかね」  そう言って花鈴は僕を見た。  えーー、いつも相談にのってるつもりなんですけどねぇ。と、心の中で思いながら僕は居住まいを正して、花鈴の瞳を見つめた。見つめながら僕は花鈴の大きな瞳が好きだなあ、と思った。 「あのね、二三之助。会社の先輩にいびられてるのよ。ここんとこ特にしつこくて。昨日だって『あら、花鈴さん、まだ終わらないんですか。新しく入った新人さんの方がまだ仕事が早いんですけどぉ』なんて言って笑うのよ。その新人さんの仕事を陰で手伝ってるの私なんだけどさ。そんなこと言っても仕方ないし。だってどうせ私に、なんのかんの言いたいだけなんだって分かってるから。そんなの気にしないで、言いたければ言わせとけばいいんだけど……」  僕はうんうんと首肯(うなず)きながら、 「花鈴は頑張ってるのにな」と言った。  花鈴はまるで僕の声が聞こえなかったかのように、はあーーっと言って、またオルゴールをかけた。  花鈴は毎日オルゴールをかける。  いつだったか花鈴はこのオルゴールの話を僕に詳しく語ったことがあった。    「中学にあがる春休みに、家族三人で旅行に行ったとき、このオルゴールに出逢ったのよ。旅先でお母さんの友人への贈り物を探しにオルゴール館に立ち寄ったの。館内の数々のオルゴールに私は眼を見張ったわ。オルゴールの音色(ねいろ)反響(はんきょう)交錯(こうさく)し館内を震わせていたの。そのオルゴールたちの息遣いが迫ってきて、私の身体も呼吸もそれと一つになっていった。そうしてのめり込んで(なが)めているうちに、一つの木製のからくりオルゴールに目が留まったの。高価なオルゴールがたくさん並んでいる中で、それは小さくひっそりと(たたず)んでいるようにみえた。可愛いい小人だなと眺めてゼンマイを巻いてみると、愛を(かな)でるような甘く切ないメロディーが流れてきたわ。なんだかまるで、自分の知らない幻想的な世界に連れて行ってくれるような夢みる心地になって。そのときの私はこのオルゴールの世界に入ってしまったんだと思う。だから、帰ろうと言われても、私は頭を左右に振って動かなかった。お父さんは『この間の誕生日にプレゼントをあげたばかりだろう』と言った。だけどお母さんが、『こんなに自己主張する花鈴は初めてよ。このオルゴールはきっと花鈴にとって旅行のいい思い出になるわ』そうお父さんを説得してくれたの。そして私に、『そんなに気に入ったのなら大切にするのよ』そう言ってお母さんはオルゴールを手渡してくれたの」    このオルゴールの話をしたとき、花鈴はとても嬉しそうだった。  働いて一人暮らしになった今も、このオルゴールは花鈴にとって大切な宝物なんだと思う。  きっと聴くたびにお母さんの優しい心を感じて、心が安らいでいるのかもしれない。  花鈴はぼうっとオルゴールを見つめながら、ぼそぼそとした声で、 「私のやってる事務の仕事なんて、誰がやってもいい仕事なんだよね。所詮(しょせん)私がいなくても会社はまわっていくんだよ」  そう言うとまた、ふぅーとため息を吐いてオルゴールをかける。  何回も繰り返されるメロディー。      奏でられる音色が部屋の中を少しずつ優しく柔らかに満たしていって、花鈴のため息を吸ってくれるようだった。  やがて、花鈴は顔を上げると、 「だけど、どこに行ったってこんな気持ちじゃ同じことになるわよね。たとえ小さな仕事でも、誰かがやらなければ上手く会社は機能しない。だったら私じゃなきゃだめだって言われる人になりたいな。きっとみんなが、いろいろなことを乗り越えているんだよね。あーー、こんなの私らしくないわ。こんなことに振りまわされてるなんて馬鹿らしい。二三之助、散歩に行こうか!」と言った。  さっきまでと違って花鈴の表情は明るくなっていた。 「おう! それでこそ僕の愛する花鈴だ」  僕は微笑(ほほえ)んで言った。  
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