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梅雨が明けた。
いよいよ夏本番だ。
花鈴は少しずつ元気を取り戻しているようにみえる。まだときおり寂しそうな顔になることがあるけれど。
僕がぼんやりテレビを眺めていると、背中になんだかゾワっとする気配を感じた。
振り向くと花鈴がカットバサミを持って僕を見つめている。にこにこしている。
「二三之助、ずいぶん毛が伸びたわね。これはカットのしがいがありそう」
そう言う花鈴の瞳が嬉々として輝いている。
「うわぁーやめてくれ。花鈴、僕はプロに任せたい。そうだ前に一回だけ行った、あのドッグサロンに連れていってくれ。あそこの可愛いお姉さんがいい。花鈴がカットすると酷いことになる。虎刈りはもう嫌だ。それじゃあ折角の男前が……やめろ……男前が……」
そう言って僕は部屋の中を逃げ回った。
花鈴は僕を捕まえると、
「二三之助は毛皮を着てるみたいなもんでしょ。こんなに毛が長いと暑くて大変だからね。短くしてあげる」と言った。
花鈴は久しぶりに生き生きしている。
「情けないわね。二三之助、じっとしてなさい。だめよ。愛想振りまいて尻尾をバタバタしても。私のセンスでかっこよくしてあげるから、大人しくしててね」
そう言って僕の頭を撫でた。
──ああ、花鈴には敵わない。しゃあない、我慢するか。捨て犬だった僕を拾ってその上、住んでたところがペット禁止だったから、引越しまでしてくれたんだから。ペットを飼うとその分家賃が高くなるからって、前よりもずっと駅から遠い古ーい、古ーいマンションに住んでるんだもんな。通勤にも時間がかかるようになったけど、花鈴は文句ひとつ言ったことがない。その恩を感じている。感じてはいるが、できることなら逃げ出したい。花鈴、君は決して器用とはいえない。というより不器用だ。カットのセンスなんて微塵もない。なんせ虎刈りになっちゃうんだから。この僕のふわふわの白い毛並みが風に靡くのを見惚れない女の子はいないはずなのに……この魅力的なボディーの毛を台無しにする気だな。だが、みてろよ花鈴。今日は花鈴がハミングしたら僕のとっておきの遠吠えを大きく響かせて歌ってやる。あっ、花鈴……もっと優しく、優しくカットしてくれ。
「ワォーーーーン」
花鈴と僕の暮らしはずっと続いていく。
僕は幸せだ。
〈了〉
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