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「何これ…なんでよ。何で動かないの…?」 病院のベッドの上で美希は愕然としていた。腰から下の感覚がない。足は確かにそこにあるのにピクリともしないのだ。 右手を見つめ、グーとパーを繰り返す。できる。左手で手首をつねる。痛い。そのまますぐ足に力を入れてみた。上がらない。つま先はどうか。動かない。 「大丈夫大丈夫!泊まるなんて大袈裟だよ!リハビリ頑張るから、治ったら新しいインラインスケート買ってね?」 両親は美希を心配し、しばらく病室に泊まると言ったが笑って断った。母は涙を堪えて頷いた。こんなの有り得ない。きっと夢だ。いつか醒める。 しかし、いくら寝ても足が動くことはなく感覚も戻らなかった。美希はある日、ベッド脇の棚の上にあるボールペンを自分の太もも目がけて思い切り振り下ろした。ギプスの包帯の隙間から僅かに覗く素肌にペン先が食い込み、そこからじわりと血液が漏れる。その様子を他人事のようにぼんやりと眺めた。 この肉の塊は何なんだろう…? もう一度ペン先を刺そうと手を振り上げた時だった。 「やめろ美希!」 賢立が個室に入ってきて美希の手をぐっと掴んだ。 「何するの!?離してよ!!もう一回刺したら痛いかもしれないでしょ!?私はミュージカルに出るの!!こんな…ところで寝てる暇なんて…ないん、だから…」 そう強く言い放ち手を震わせたが振り(ほど)こうとはしない。ずっと我慢してきたものがついに瞳からぽろりと零れた。 「…全然、痛くないの……脊髄ってところが傷付いたんだって。私の足、もう動かないんだって。賢立がくれたマイク、潰れちゃった…もう、ミュ、ミュージカルなんて…こんなことなら、あの時…死…ううっ…」 雫が頬に轍を作っていく。賢立はすぐそばの口を塞ぐかのように肩を抱き寄せ、溢れる涙をシャツが飲んだ。 「俺は嫌だ」 美希の視界は突然真っ暗になり、耳が低い声と心臓の鼓動を拾った。 「俺は美希が死んだら悲しい。だからそんなこと言うな」 「…ほん、と…?」 「当たり前じゃん。俺が作った曲を最初に褒めてくれたのは美希だろ。美希は俺が死んだらどう思う?」 淀みのない声を聞き、美希は少し落ち着いた。賢立の心音は少し早い気がした。 「……悲しい。困る」 「だろ?」 賢立は美希を見てニッと笑った。美希の胸は高鳴り思わず好きだと口にしそうになったが、ぐっと堪えた。今までと同じように行かない私ではダメだ。夢に続いて彼との関係まで失うことになったら耐えられない。夢の邪魔もしたくない。 「ねぇ。それ…もしかしてチョコミント?」 美希は賢立の持つコンビニ袋を指差した。 「そ。昨日かな。コンビニで見つけたから買った。曲ができたから聴いてもらおうと思って来たんだけど…ここってスマホ大丈夫なん?」 賢立は頭が良く機転もきくので美希はいつも感心してしまう。「大丈夫だよ」と答えながら早速チョコレートを頬張った。 「いつも思うけど、よくそんなの食えるよな。完全に歯磨き粉じゃん…」 スマホとイヤホンを接続しながら賢立は苦虫を噛み潰したような顔を美希に向ける。 「チョコの味もするから歯磨き粉じゃないって!爽快感と甘さのバランスが最高なのに…一回食べてみなよ?めちゃくちゃ美味しいから!」 賢立は表情を変えることなく首を横に振り美希の耳にイヤホンが収まったことを確認すると再生ボタンをタップした。曲が流れ始めると決まって美希の目は閉じる。 美希がそのまま聴き入っていると、ほんの一瞬、唇に何かが触れた気がしたが、下半身の感覚と一緒に自信も失ってしまったから願望から来る思い過ごかもしれないと曲が終わるまで目を開けなかった。 やがて曲が終わり、恐る恐る目を開けると賢立はベッド脇のパイプ椅子に座っていた。古いものなのか重心を変える度に軋み、それが気に入ったのか、それとも退屈だからか、わざと鳴らして遊んでいる。美希は嬉しいような寂しいような何とも言えない心境のまま笑顔を作り感想を述べた。 「すっごい良かった!才能あるんじゃない?私…やっぱり賢立の曲が好き!ガチで推す!どこかの事務所に送ったらきっと誰か…あ。動画サイトに上げてみるとか!」 美希は雅哉を追っているような高揚感を覚えた。賢立の夢を応援する気持ちは今も変わらない。唇の感覚については触れなかった。 「サイトに動画何本あると思ってんの?無名の俺が上げても誰も見向きしねえよ」 若干目を逸らしながら、あからさまに照れたが、まんざらでもない様子だ。賢立も曲のこと以外は何も言わなかった。 「アップしたら私が千回再生するから!」 美希は熱意を込めて言い、曲をスマホに転送してもらうと今まで賢立が作った曲に丁寧に詞をつけていった。 こうして美希は新しい趣味を見つけた。
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