きみとぼくはともだち

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 それは今も続いている。電車や人混みの中では一切マスクをはずさず、徹底した手洗いを続けている。一度失った仕事は簡単には戻らない。どうにか大学の対面授業は再開したが、貯金は切り崩す一方だ。  表面上、社会は正常に機能し始めたかに見えるが、ウィルスに罹患して体調が戻らない者、心のバランスを崩して現場に復帰できない者がたくさんいるのも事実だった。  日常を失ったのは僕ら演者だけではない。ホール関係者や機材を担当する音響の職人たち、音楽の仕事に携わる人たちが皆、見えない先行きへの不安を募らせていた。 「笑って今まで通りなんて……無理があるわ」  小夜さんがぽそりとつぶやいた。僕はそっと大樹を見た。眉を下げて、小夜さんに手招きをする。  大樹は鶏ガラのようになった手のひらで小夜さんの手を包んだ。 「やれることをやれるときに、だろ?」 「そう……だけど」 「智彦と歌えるだけで俺は幸せだよ」  痩せこけた首元で喉仏が上下した。僕は喉元に上がってくるツンとした痛みを飲み込む。  僕らは小学校時代からの幼なじみだ。五年生のときに引っ越して来た大樹は、合唱コンクールで美声を響かせて瞬く間に人気者となった。僕はクラスのすみっこでじっとしているような子供だったけれど、恒星のように輝く大樹に導かれて声楽の道に進んだ。  大樹が倒れたのは、地元の浜矢湖ホールでプロの声楽家として歌えるようになった矢先のことだった。 「まっ、世間が俺のカムバックを待ってるから心配すんな。仕事が入ってきたら智彦にも回してやるよ」 「羨ましいほどの楽天家だね」 「俺への羨望は今に始まったことじゃないだろ?」 「はいはい」  僕らのやり取りにまた小夜さんが笑った。大樹は年下の小夜さんにぞっこんで、いつだって笑っていてほしいのだ。
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