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夜に向かって歌っている。
「ねえマリア、どうして人は歌うのかしら」
マリアは、私の頭を撫でながら答えた。
「原初のコミュニケーションツールのひとつだったからでしょう」
私は顔を上げてマリアを見た。マリアが私を見下ろす。そんなことも忘れたの?と、まるで姉が妹に教えるような目をしている。
マリアは長く生きてきたせいか、社会や世界について独自の解釈を持っている。と、私は思っている。
詳しく聞いたことはないけれど、マリアが「人」であった時代には、学校のような教育機関はなかったようだ。だから、「人」から外れて生き抜いていく間に得た経験則のようなものが、マリアの生き方や考え方に反映されている。
「コミュニケーションツール?」
「言葉を獲得する前の、ね」
「また、ずいぶんとはるか昔に遡るのね」
「そうよ。それくらい前、人間の細胞に記憶されてるの。言葉がなくても、口から発する音の強弱や大小、そういったもので自分の思いを伝えようとした時代があった。喜びも、怒りも、愛のささやきも」
「歌うこと、イコール、気持ちを伝えること?」
「そう。でも、今は少し違ってるけどね。歌うこと、イコール、声を発することだけになってしまっている」
「カラオケ?」
「かな。とはいえ、根っこには、思いを伝える、というのがしみこんでいるから、新しい歌は生まれている」
「・・・なるほどね」
私は再びマリアの膝に頭を乗せて、目を閉じた。
一理あるような無いような。ただ煙に巻かれただけのような気もするし、マリアは本気でそう思っているのかもしれない、とも思う。
マリアとの付き合いが長くなって、ますます、マリアの底は見えなくなる。
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