ミルヴァスの歌姫

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「ママって高校、何基準で選んだの?」  娘の美歌の学校で進路希望調査票が配られたらしい。部活、偏差値、友達とものさしが多すぎて美歌は進路に迷っているようだ。 「ママは高校行ってないよ」  美歌の驚いた顔を窓から差し込む初夏の日差しが照らす。更に興味津々で質問された。 「えっ? そうなの? じゃあママって十六歳の時は何してたの?」  せっかくの機会なので、美歌の参考になるかは分からないが思い出話をしようと思う。 「ママが十六歳の時はね……」 *  経済的な事情で高校に行けなかった私は建設会社に就職した。男社会だったが、持ち前の体力と声の大きさのおかげで先輩方から気に入ってもらえた。同い年の龍とは好きな音楽の話で盛り上がり意気投合した。  そんなある日、五歳年上の(げん)先輩に終業後おごりでカラオケに誘われた。龍も一緒だ。  私が十八番のラブソング『君唄』を歌った後、弦先輩に質問された。 「やっぱり夏夢(なつむ)はうまいな。中学でバンドか何かやってたのか?」 「いえ、小学校で応援団長だったので声の大きさには自信ありますけど。あと合唱コンクールとかで熱くなるタイプでした」 「素でそれは天才だな。(りゅう)は?」 「俺、合唱部だったんです。意外っしょ?」 「マジか! これは流れ来てるな」  龍が歌い終わると、弦先輩は曲を入れずに私たちに切り出した。 「俺たちで来年のアカワンに出ようぜ」  全国アカペラグループNo.1決定戦、略してアカワン。毎年夏のテレビ番組で、弦先輩はついこの間の放映に感銘を受けたらしい。 「いいっすね! 早速チーム名決めましょ!」  龍はノリがいい。二つ返事で了承した。 「俺ら鳶だし、英語で鳶とかどうっすか?」 「カーペンターって言うらしい。いや、カーペンターズはいくらなんでも恐れ多いわ」 「夏夢はなんかアイディアないの?」 「鳥の方のトンビは英語で何て言うのかな」  急に話を振られて咄嗟に、職業の鳶から鳥の鳶を連想して言ってみた。 「鳥、いいな。野球チームみたいで強そう」  龍に褒められ、早速弦先輩も検索している。 「ミルヴァスだって。すげー、かっけー!」 「じゃあミルヴァスで決まりっすね」  こうして、アカワンに出場すると言う壮大なプロジェクトが幕を開けた。  曲は『君唄』にトントン拍子で決まったが、 譜面を作るだけでも一苦労だった。図書館で音楽理論やアカペラの本を片っ端から借りて勉強した。合唱経験者の龍を中心に試行錯誤を重ねて、何とかパート譜を完成させた。  スタジオ代は高くて払えない。カラオケ代だって馬鹿にならない。特に平日の仕事後の時間帯はルーム料金が高いのでとても困った。だからといって、誰かの家で集まろうにもアパートの部屋は壁が薄すぎて迷惑なので、終業後は公園で集まって練習した。練習が終わった後は水筒の麦茶で乾杯をした。 「お疲れ様っす。なんか部活みたいっすね。合唱部時代を思い出します」 「分かる。軽音部もこんな感じだった」  私も頷く。中学は帰宅部だったけれど、時々運動部の助っ人をしていたので、部活の空気感というものは何となく知っていた。 「合唱部の時、走り込みとかもしてたんすよ」 「俺ら、そこらの同世代よりは体力あるし声出してるし、その辺は負けないだろ。みんなが勉強してる間も体動かしてっからな」  三人でけらけらと笑った。想いっきり歌うことが楽しかった。諦めていた学生みたいな日々を龍たちと過ごせることが嬉しかった。  ミルヴァスとしての活動は楽しくて、仕事の昼休みも歌うようになった。少しでも長く歌いたくて、お弁当を大急ぎで掻きこんだ。 「楽しそうで何よりだが、仕事に影響でない程度にほどほどにな」 「若いっていいなあ。頑張れよ」  親方や大人たちは煙草を吸いながら私たちを見守ってくれた。 「おーい、夏夢、トチってんぞー」 「アンコール! アンコール!」  ミスがあると教えてくれたり、まるでコンサートのように拍手や指笛でエールを送ってくれたりするようになった。 「いやー、先輩たちから客観的なアドバイスもらえるのってありがたいっすね」 「俺ら素人だから音楽はよく分かんねえよ。自分で聞き返した方がいいんじゃねえの?」 「録音ってことっすか? ボーナスでたらボイスレコーダー買おうと思ってます」  弦先輩が答えると、親方が事務所にいったん戻り、小さな機械を持って戻って来た。 「お前ら録音できなくて困ってんのか? ボイレコなら、会議用に昔使ってたけど容量少ねえから買い換えたやつがあんだよ。音質は保証できねえが冬までそれ使え」  親方はぶっきらぼうにボイスレコーダーを放り投げた。落とさないようにキャッチする。 「マジっすか! ありがとうございます!」  私たちは口々にお礼を言った。この銀色の小さな録音機が未来への切符に見えた。  ボイスレコーダーの導入によって、練習能率は飛躍的に向上した。ミスしやすいところ、ずれているところなど問題点が可視化された。まるで産業革命だ。さらに、龍が思わぬ協力者まで呼び込んでくれることになる。 「今度の土曜って空いてます?この間母校に遊びに行った時、合唱部の顧問に録音聞いてもらったんすよ。そしたら、アドバイスしてあげるから三人でいらっしゃいって」  教え子がアカワン出場を目指していることに気をよくした龍の先生の厚意で、部外者の私たちも特別に龍の母校に入っていいらしい。  土曜日、私たちは龍の先生の前で歌った。先生は私たちにいくつかアドバイスをくれた。さらに、素人の私たちが考えた譜面を、私たちの音域を踏まえてかっこよくアレンジしてくれた。やっぱり、音楽でご飯を食べている人は違う。先生に言われたことを踏まえながら新しいアレンジで歌うとまるで別人になったようで、本戦出場どころか、本気で優勝が狙えるような気がしてきた。 「土日も練習しませんか?」  二人と違って音楽経験者ではないので、今まであまり意見は言わなかったけれど、私から提案した。二人が親指を立てて笑う。 「よっしゃ! 今から公園行こうぜ!  それから私たちは土日に集まって朝から晩まで練習するようになった。弦先輩は肺活量向上のために煙草をやめた。  ある夜、公園でいつものように練習していたら、近隣住民にうるさいと怒られた。 「騒ぎすぎて大人に怒られるってマジで俺ら学生みたいっすね。こういうの新鮮っす」 「龍はいつも親方に怒られてんじゃねえか」  公園を後にしながら、そんな馬鹿みたいな話をしたけれど、現実問題としてあの公園がもう使えなくなるのは困ってしまった。  アカワンに出ると言う夢を応援してくれる大人たちがいる。もう私たちだけの夢ではないし、ミルヴァスとしての活動は単なる高校生ごっこではなくなっていた。 「要するに人がいないところならいいんだろ」  そう言いながらも私たちは逆に駅前の人がたくさんいるところに来てしまった。 「ここでよくライブしてる人いますよね。俺らもここで歌っちゃいます?」 「バカ。そういうのは許可がいるんだよ。無断でやったら警察に捕まるぞ」  思い付きで発言する龍を弦先輩が小突いた。  私は警察という言葉に反応してつい交番の方を見た。警官と目が合う前に、地図が視界に入る。なるべく住宅地から離れている公園を探そうと思って地図に近づく。よく見ると、地図の端に矢印と「この先海」の表記がある。 「海ってここからどれくらいですか?」  おまわりさんによると、歩いていくには厳しい距離だけれど、自転車なら三十分もかからないらしい。幸いにも私たちはみんな自転車通勤をしていた。返答を聞くや否や、私たちは海に向かって自転車を漕ぎだした。  浜辺には誰もいない。波の音以外に余計な音が無い。お誂え向きのステージを貸し切って、私たちは疲れるまで練習した。 「アカワン、出るぞー!」  帰る前に、私は海に向かって思いっきり叫んだ。それを聞いて、龍が笑う。 「おいおい、喉酷使すんなよ」  そう言いながらも、龍も負けじと叫んだ。 「アカワン、優勝するぞー!」 「あっ、ずるい! 私も言い直す」  その前に、弦先輩が叫んだ。 「アカワン優勝して、芸能界にスカウトされて、宇宙一になるぞー!」 「弦先輩、大人げないっすよ」  龍が笑いながら弦先輩の脇腹をつついた。最初は本気でアカワンに出られるなんて思っていなかった。でも、今なら優勝だって、スカウトだって本当に叶う気がした。  灯りのないビーチで空を見上げると星が綺麗で、流れ星を探して私は寝転んだ。龍たちもつられて仰向けになる。  夏は終わろうとしていたけれど、この季節が永遠に続いてほしいと思った。  私たちを現実に引き戻したのは、奇しくも過去のアカワンの再放送だった。龍先輩の家で後学のためにと見たものの、皮肉にも格の違いを見せつけられる形になった。 「もうちょい真面目にやらないとやばくね?」  弦先輩が重い口調で呟いた。画面の中では、音楽歴十年以上の猛者たちが紹介されていた。有名な先生にボイストレーニングの個人レッスンを受けている、両親ともに音楽大学の声楽科を出ている、自宅にスタジオを作ったなど、音楽の星の下に生まれた人たちばかりだ。  私たちは練習中だけでなく、練習前後にふざけるのもやめた。自己流の練習をやめて、図書館に行って発声練習の本を読んで勉強した。私たちは本気だった。  でも、歌えば歌うほど何かがおかしくなっていった。音程は合っているのに龍や弦先輩と息が合わない。私が足を引っ張っている。その現実が悔しくて、ただただ苦しかった。  冬が来て、夜の海はあまりにも寒く、歌どころではなくなった。練習場所についてはおいおい話し合うと言うことで解散になった。  帰り道、近隣のお嬢様校の制服を着た集団がスタジオに入っていくのを見かけた。彼女たちは有名な海外アーティストと同じブランドのギターやベースを担いでいた。  胸の奥底でドロドロとした感情が渦巻いた。 振り払うように海まで自転車を漕ぐ。  真冬の潮風は冷たくて痛かった。それでも、何も持っていない私は持っている人の何倍も過酷な環境で何倍も努力しないと勝てないんだ。私は一睡もしないで朝まで歌い続けた。 波の音に負けないくらいの声で歌えたら、こんな運命を変えられる気がした。恵まれた高校生に負けたくなかった。  朝日が昇ると同時に、遅刻しないように大急ぎで職場に向かった。寒くて凍えそうなはずなのに、体が熱くて重かった。 「おはようございます」  私の口から出てきたのは掠れた酷い声だった。喉が痛い。正直これ以上喋りたくない。 「お前、声ひどいな。どうしたんだよ」  龍に心配されてしまい、焦った。 「大丈夫。明日までには治すから」  私にとって練習時間が減ることは死活問題だった。仕事が終わったら喉飴を買いに行こう。もしかしたら、薬局で風邪薬を買った方がいいかもしれない。少し高いけれど背に腹は代えられない。 「そういう問題じゃねえだろ」  仕事場に向かう私の腕を龍が掴んだ。 「夏夢、海で無茶したろ。親方、夏夢が熱あるみたいなんで早退させてやってください」 「仕事に支障出ない範囲でやれっつったよな」  親方がイラッとした様子で答えた。 「大丈夫です。私、働けます」 「馬鹿野郎! フラフラで作業して怪我でもされたら会社が潰れちまうだろ! 病人はとっとと帰れ。龍、送ってやれ。ったく、社会人なんだから自分の行動に責任持てよ」  龍は親方に頭を下げると、私の腕を引っ張って職場をあとにした。 「来週いっぱいは練習休みにしよう」  龍は私を責めなかった。 「駄目だよ。そんなんじゃ間に合わない」 「喉壊したら元も子もないだろ」 「薬と喉飴でなんとかするもん! テレビに映るまでさえ喉が持つならその後一生声出なくなってもいい!」  私は肩で息をしながら反論した。その後咳き込んでしまう。 「見返してやりたいじゃん! そのためには辛くたって頑張んないといけないんだもん!」  普通の子は私たちが働いている間も練習できるし、遊ぶ時間だってある。休んでも怒られない。私だって、そうなりたかった。龍と普通のクラスメイトになりたかった。 「最初はそんなんじゃなかっただろ」  龍が悲しそうに私を見つめる。それでも「持っている」人への呪詛を止められなかった。 「だって、ずるいじゃん。生まれが違うだけで諦めないといけないなんておかしいじゃん」 「アカワン、やめようぜ。弦先輩には俺から言っとく。ごめんな、プレッシャーかけて」  龍にそこまで言わせてようやく気付いた。 「違う。そうじゃないの」  普通の子みたいに思い出を作りたかった。そのきっかけをくれた弦先輩の期待に応えたかった。歌うことが好きだった。最初はただそれだけだった。どこで間違えたんだろう。  苦しくて、子供みたいに大泣きした。そんな私の頭を龍が優しく撫でてくれた。 「弦先輩だって、夏夢を苦しませるために誘ったわけじゃないだろ」  分かっている。分かっているからこそ苦しかった。龍に謝りながら泣きじゃくった。 「俺さ、前みたいに楽しそうに歌ってる夏夢が見たいよ。アカワン出られなくてもいいじゃん。海でバカやってた頃の俺らに戻ろうぜ」  龍は私が泣きやむまで傍にいてくれて、翌日も有休をとって看病してくれた。  私が本調子になった後、ミルヴァス全員が終業後親方に呼び出された。怒られるかと思いきや、何も言わずに事務所の普段使っていない部屋に連れて来られた。 「またクソ寒い海で練習して倒れられちゃ敵わねえからな。ここで好きなだけやれ」  なんとその一室を貸してくれるそうだ。しかも、捨てる予定の使用済み防音シートや泊まり込み用の布団や毛布まである。 「布団は寝る用じゃねえから、あんまり夜遅くまでやるなよ。ガムテかなんかで壁に貼れば防音になるからうまいことやってくれ」  親方の心遣いに泣きそうになった。私はこんなにも周りに恵まれている。高校生にコンプレックスを感じる必要なんてなかった。私はきっとあの日スタジオに入っていったあの子たちよりずっと幸せだ。いや、比べる必要なんてないのかもしれない。私は幸せだ。  部屋を整えた後、私たちは久々に歌った。憑物が落ちた私は、今までで一番のびのびと歌えた。三人の呼吸がぴったり合う。 「今の、良かったんじゃね?」  龍が目を輝かせて言う。弦先輩もハイテンションで親指を立てた。 「夏夢が元気になってくれてよかった。今日の夏夢最高じゃね? やっぱり、夏夢を誘った俺の目に狂いはなかったぜ!」  龍の先生が気持ちを込めて歌えと言っていたことを思い出す。技術ばかりを追求しておざなりになっていた一番大切なこと。 『君唄』は幸せな恋の歌。私はまだ恋を知らないけれど、ミルヴァスで過ごす時間が好きだ。ありったけの「大好き」をこめて歌う。もう二度とこの気持ちを忘れたりしない。 月日は流れ、龍と出会った春がやってきた。提出用音源の録音をしようとしていたら、親方がスタジオ代を肩代わりしてくれた。  親方に恩返しするべく、音源提出後は仕事を今まで以上に頑張った。本戦出場に備えて練習は続けていたけれど、本戦に行けるかどうかは分からない。でも、結果がどちらであっても私たちは後悔しない。あの日々そのものが宝物だったと胸を張れる。  梅雨も終わりに差し掛かったある朝、弦先輩が半狂乱になりながら職場にやってくる。 「テレビ局から葉書が来た! ミルヴァス、本戦出場だって! やったんだよ、俺たち!」  あまりの衝撃に固まって、私は龍と顔を見合わせる。徐々に実感がわいてくる。 「っしゃあああああっ!」  龍が大声でガッツポーズをした。私もようやく、夢じゃないことに気づく。 「やったああ!」  私たち三人はもちろん、その場にいた全員でハイタッチをして喜びを分かち合った。私はきっと世界で一番の幸せ者だ。  そして迎えた本番当日。司会が私たちのチーム名「ミルヴァス」と曲名を読み上げる。今日のために頑張って来た。多くの人に支えてもらってきた。あとは楽しむだけだ。  弦先輩がリズムを取り始める。ワン、ツー、スリー。呼吸はぴったり。今、最高に楽しい。  曲はサビに入る。サビは私が主旋律。今ならこの歌詞の意味が痛いほど分かる。 「君の声が好き 君と過ごす時間が好き」  やっと気づいた。私はいつのまにか龍のことを好きになっていたんだ。恋を知った私が心を込めて歌うラブソング。龍が大好きだ。  最高のステージが終わり、楽屋に戻る最中、昂る感情のままに龍を呼び止めた。 「あのさ、龍、私、龍のこと……」 *  あの日、ミルヴァスは三位入賞した。しかし、残念ながら芸能界にスカウトされるなんてミラクルは起こらず、日常に戻った。  言い出しっぺの弦先輩が結婚して子供ができて練習時間が取れなくなり、ミルヴァスは翌年以降のアカワンに出ることはなかった。  それでも、飲み会や結婚式の余興ではミルヴァスが歌を披露することが定番だった。  同世代が高校を卒業する年に龍と結婚し、同世代が大学を卒業する年に美歌が生まれた。  物心ついた美歌は幼児アニメの主題歌を歌ってくれと毎日のように私たちにせがんだ。どんなに疲れていても、私たちは息を合わせて二人でリクエストされた曲を歌った。  歌が溢れる家庭で育った美歌の将来に期待した龍は、美歌を近所の幼児向け音楽教室に連れて行った。小学校低学年まで楽しそうに通っていたが、最終的にやめてしまった。 「じゃあ、私そろそろ出かけるね。パパとママの昔話聞けてよかった」  自慢のスケートボードを担いで、美歌がストリートに出かけようとする。美歌は今、音楽よりもスケートボードに夢中だ。 「スケボー、部活で出来そうな高校少ないからどうしたらいいか分かんなかったんだよね。でも、部活にこだわんなくてもいいのかも。ありがとね、ママ。行ってきます」 「それは良かった。楽しんでらっしゃい。最近暑いから熱中症には気を付けて」 ドアを勢いよく開けた美歌が思い出したかのようにこちらを振り返った。 「そうだ、今夜久々に聞きたいな。パパとママの歌。テレビで歌った歌、聞かせてよ」  それだけ言うと、晴れ渡る空の下元気よく走って行った。私たちがステージで声の限りに歌ったあの季節がすぐそこまで来ていた。
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