公主アステルは語る 3

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公主アステルは語る 3

だが2年が経ったころ。それは突然起こった。 クレアが、歌い出した。 その歌は到底2歳児とは思えないほどに素晴らしく、さすがはあの歌姫の血を引くだけのことはあると、感動を覚えるほどだった。だがその歌を聴いた妻は、さあっと青ざめ、あの歌、あの歌だわ、と、うわ言のように繰り返し、だんだん興奮を強めて叫び出した。 「ほら、あの歌よ! 数年前に、聴こえて来るって言った。…あなたもティランも、聴こえなかったみたいだけれど。ああ、やめて、その歌を歌わないで! 嫌、こっちに来ないで!」 突然、大好きな母親に拒絶されて、クレアは一瞬固まり、それからわっと泣き出した。俺は慌てて彼女を宥めたが、その日から、妻はクレアの世話の一切を拒否するようになった。 それまで大事に可愛がってくれていた“母”の突然の変化に、クレアは戸惑い、泣き続けた。 その姿はひどく哀れを誘う、胸が締め付けられる光景だった。彼女が望むことなら何なりと叶えてやろう、俺は改めて決意した。 *** 不思議だったのが、クレアが突然歌い出したこと。誰も彼女に教えていないはずなのに。 「ねえ、クレアちゃん。そのお歌は、いつどこで覚えたの?」 そう尋ねてみると、娘は答えた 「お母ちゃまが、教えてくれたの。クレアが、お腹の中にいるときに」 だから、上手に歌ったらお母ちゃまが喜んでくれると思って、がんばって歌ったのに…。 そう言ってまたしくしくと泣き出す娘を、俺は抱き寄せ、髪にそっとキスをした。 お腹の中にいた時。つまり、あの実の母親が、ずっと歌い聞かせていたということか。いや、そんなことが、あり得るだろうか? *** 歌の一件で神経質さを復活させた妻はとても扱いづらく、夫婦であり続けた者の、俺は二度と彼女と関わることはなかった。その分と言っては変だが、クレアを可愛がることに多くの時間(と金)を費やした。 クレアが暑い国に咲く花を見たいと言えば、空港を作って自家用ジェットを購入し、その国に向かった。夏に雪遊びがしたいと言えば、万年雪を運ばせて庭で束の間の冬を楽しんだ。あれやこれや、金はかかるが税金を上げればいいだけの話だ。次期公主、クレア姫のためだから、皆喜んで支払うだろう。 *** だが、いくつもの陳情が寄せられ、それはついに暴動となって爆発した。 俺はその理由が全く理解できなかったが、ここを離れましょう、急いで! というティランの言葉に従い、妻とクレアを連れて城を後にした。 ほどなく、車は囲まれ、俺と妻は引きずり出された。娘だけは、そう言う俺に、ご心配なく、この子に危害は加えませんよ、聞きなれた声がした。目を上げると、クレアを抱き、今まで見たことのないような冷たい目で俺たちを見下ろす、ティランがいた。 俺の記憶は、そこで途切れた—。
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