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また、最初から 7
「この曲、嫌いなんだ」と彼女が言った。「昔、この商店街で歌ってたことがあるの。一人で。意味もなく。本当に、馬鹿なことをしてたなあ、って思う」
店には、相変わらず客はいなかった。テーブル席でコーヒーを飲みつつ、対面に座る彼女と雑談をしていた最中に、流れた曲だった。あの時に、この商店街で聞いた、もはや懐かしいバラードだった。
「…………」彼女自身からの突然の告白に言葉を返せないでいると、彼女はポツリポツリと語りはじめた。僕もそのいくつかを知っている、彼女の過去の話だった。
商店街で彼女が歌い、僕が傍観者としてそれを聞いていた、高校時代。
彼女の活動が終わりを迎えたのは、クラスのある女子グループの言動がきっかけだった。
その日、登校すると、教室内が騒がしかった。愉快げな雰囲気でないことは、入室したばかりの僕にも容易にわかった。
どうしたんだろう。訝しんでいると、窓際の方から笑い声が響いた。それは、クラスの上位カーストに位置する女子が発したもので、キンキンとした声が耳に刺さるようだった。
女子は、言った。
──○○さんさ、昨日、あそこの商店街で歌ってたの! 全然上手くなくて、誰も周りで聞いてなくてさ! めっちゃウケた!
手を叩いて笑った後、女子は彼女の歌唱の真似をはじめた。その歌真似は彼女の歌をずいぶんと面白おかしく誇張したものだったが、現場を知らないのであろう仲間の女子たちは「マジで!? 下手すぎない!?」と嘲笑し、彼女を笑い者にしていた。
大人しいクラスメイトの「普通の枠から外れた」行動は他者を蔑むことで自分が上位にいることを誇示する女子には格好のエサだったらしく、担任が来るまで、そうした意地の悪い侮蔑は続いた。その輪の中心に置かれた彼女は目の前の机をじっと見つめ、彼女らの嘲笑に無言で耐え続けていた。
当時の僕は、勇気も度胸も持ち合わせてはおらず、女子たちの行為を止めさせることも、彼女に声をかけることもできなかった。
心を痛めたのであろう彼女はその朝の出来事以降、商店街に姿を現すことはなくなり、彼女の歌が聞こえることもなくなった。
僕も傍観者としての立場を失い、十年近くぶりに出会うまで、僕は彼女との繋がりをなくしていた。一方的な、繋がりではあったのだが。
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