夢破れて讃歌あり

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 12月24日午後22時。聖來は帰宅するなり、玄関にへたりこんだ。もっていたスマホがカンッと音を立てて床に落ちる。LINEの画面には「桂ちゃん」の名前と将棋の桂馬の駒のアイコン。そして、聖來が直前に送信した「25歳になりたくない」「死にたい」の4文字が真っ暗な部屋の中ブルーライトを放っていた。  23時前、ドタドタとボロアパートの廊下の階段を駆け上がる音がする。無用心に開けっ放しにしていたドアから、スーツの上にコートを羽織った眼鏡の男が入ってくる。寒い部屋の冷たいフローリングの上にへたりこんだまま動かない聖來は、肩を出したトップスにミニスカートと凍えそうな服装だ。聖來の姿に慌てるあまり、右手に持っていたコンビニの袋と、左手に持っていたカバンを両方ともドサっと落とした。カバンが床に落ちた拍子に、将棋の本が数冊はみ出した。1冊は布のブックカバーがかかっていた。 「聖來ちゃん!ごめんね、遅くなって。研究会の場所がここから遠くて。大丈夫?どうしたの?」 「桂ちゃん……」  うつむいたまま虚ろな目をしていた聖來は、顔を上げて男を見るなり泣き出した。 「終わった。あたしの人生全部無駄だった……」  桂ちゃん、本名・結城桂太は聖來の20年来の幼馴染である。聖來の一つ年上で、現在は奨励会の3段リーグに在籍している。研究会とは将棋の研究会だ。聖來とは恋仲ではないが、桂太は聖來の一番の理解者であり、何かと不便な生活をしている聖來は時折桂太を頼ることがある。  桂太は聖來にコートを羽織らせ、暖房をつける。狭いワンルームの壁には、古びたアイドルのポスター。小さなテーブル上の写真立ては、いつから倒れたままになっているのか分からないほどに埃をかぶっていた。部屋の片隅には小さな引っ越し用段ボール箱。「大切なもの」とマジックで書かれているのとは裏腹に、こちらも埃をかぶり、引っ越ししてからは1度も開封していない。 「冷蔵庫開けるよ」  泣いている聖來を落ち着かせるために、冷蔵庫の牛乳をマグカップに注ぎ、レンジで温めてホットミルクを作る。 「熱いから火傷しないでね」  聖來は桂太からマグカップを受け取ると、ふーふーと息を吹きかけて、ホットミルクを口にした。何口か飲むと、息をついて小さな声で話し始める。 「今日、最後のオーディションだったの。ダメだった」  カレンダーには週4回以上のペースでレッスンやボイトレの予定が記入され、12月24日の日付に「オーディション」と書かれている。以降の日付はすべてマジックで黒く塗りつぶされている。写真は今をときめくアイドルで、右下には「クラウディアプロモーション」という芸能事務所の名前が書かれていた。カレンダーの隣の年季の入ったポスターに映っている桜田カリンもクラウディアプロモーションの元アイドルで、聖來と桂太の幼少期には国民的人気を誇っていた。 「最後なの?」  聖來は無言で鞄から封筒一式を取り出して桂太に押し付ける。A4の封筒にはクラウディアプロモーションと印字されている。中身をあらためると、「アイドルオーディション2024募集要項」と書かれた用紙と、返却された聖來の写真付き応募用紙が入っていた。  写真館で撮った聖來の写真は飛び切り可愛い。志望動機にはアイドルにかける熱い思いがびっしりと綺麗な字で書かれている。  幼馴染ゆえ当然桂太は知っている生年月日。聖來の生年月日は1999年12月25日。あと30分ほどで日付が変われば聖來は25歳になる。  オーディションを受けられる年齢の上限は24歳。この条件は一度たりとも緩和されたことがない。 「厳しいんだね、年齢制限」 「ここが業界で1番緩いよ。ほかは15歳とか18歳とか、どんなに上でも20歳」 「そうなんだ……将棋より厳しいね」 「あははは、笑っちゃうでしょ。私の今までの人生、ぜーんぶ無駄でした!恋も遊びも我慢してきたのも、親にいつまで夢見てるんだって言われて家飛び出して、レッスン代アルバイトで稼いできたけど、何も意味なかった。学校のみんなに可愛いとか歌うまいとかちょっと言われただけで勘違いして、舞い上がって、バカすぎるでしょ。その辺のどこにでもいるような普通の女の子だったんだよ!才能ないくせに夢なんて見なきゃよかった!」 聖來の声は震えている。 「そんなことない。聖來ちゃんが小学生の時からずっと頑張ってたの知ってる。だから、無駄なんかじゃないよ」 「無駄だったんだよ!」 聖來が泣きながら声を張り上げる。 「女の子を何千人も見てきた審査員の人に言われた!それでよくアイドルになろうと思ったねって!君は24歳のババアだけど、14歳だったとしても絶対に合格しないって!向いてないって10年前に気づかなかったの?って!」 今日のオーディションで審査員に言われた暴言を泣きながら復唱する。自棄を起こした聖來は募集要項と応募用紙をビリビリに破いた。夢の残骸は、雪のように部屋の中を舞って散らばった。  過呼吸にも近い聖來の呼吸音と、壁にかかったアナログ時計の音が部屋に響く。 「あと15分で12時。そしたら、女の子の魔法が解けちゃう。シンデレラは12時に魔法が解けるまでは華やかな世界にいられたけど、私はお城に足を踏み入れることもできなかったな」 「終わりじゃないよ」 「終わりだよ。女の子は25歳になったら終わり。よく言うじゃん、クリスマスケーキって。24日まではありがたがるけど、25日になったら誰も見向きもしない。アイドルの卵は今日で賞味期限切れ」 「それは結婚の話で、女の子の価値が年齢だけで決まるわけがないよ。ていうか、今の平均初婚年齢って30歳くらいだし、今時そんな時代遅れなこと言ってる人なんていないよ。時代に乗り遅れたおじさんの言うこと真に受けちゃダメだって」 感情的な聖來を、桂太は論理的に諭す。 「でも、女の子を品定めするのは、いつだっておじさんなんだよ。今日、私の人生全部を否定したプロデューサーさんみたいにね」 聖來の頬を涙が伝う。力尽きたように壁にもたれて呟いた。 「もう疲れた。夢を追いかける女の子のままで死にたい」   生気を亡くした聖來の様子に、桂太がこぶしを握り締める。 「僕は、聖來ちゃんをこんな風に泣かせるためにアイドルになってって言ったんじゃない!」 今まで大きな声など出したことがないような桂太が突如叫ぶ。その勢いに聖來は驚き、圧倒された。怒りに震えた声で、桂太は続ける。 「今日聖來ちゃんにひどいこといったおじさん連れてきて。本当に殴りたい。ぼこぼこにしないと気が済まない」 「桂……ちゃん……?」 無論、生まれてこの方喧嘩のような野蛮なこととは桂太は無縁で生きてきた。ただ、目の前の大切な女の子を傷つけられたことが許せなかった。 「本当に、こんなつもりじゃなかった……ただ、楽しそうに歌って踊ってる聖來ちゃんが好きだっただけなのに」 桂太は聖來の手を強く握りしめ、自分の無力さに震える。 「桂ちゃん……手、痛い」 聖來の一言に桂太は我に返った。貸したコートははだけて、ミニスカートからは太ももがあらわになっていて目のやり場に困る。女性の手に触れている自分に気づき、慌てて手を離す。 「うわわっ、ごめん!その、変なつもりじゃなくて……」 あまりにも慌てふためく桂太を聖來はフォローする。桂太が自分のために本気で怒ってくれたということに少なからず聖來の心は救われていた。 「大丈夫、分かってるから」 「ごめん、ほんとに」 桂太は自分が何に対して謝っているのか自分でも分かっていない。聖來にアイドルを目指すきっかけを与えたことに対してなのか、付き合ってもいない成人女性の肌に触れたことなのか。 「あの時、アイドル目指すって言い出したのは私だよ。桂ちゃん、覚えてたんだね」 「うん、忘れるわけないよ。これでも記憶力には自信あるし」 2人の視線は、20年前一世を風靡したカリスマアイドル、桜田カリンのポスターに向く。 「ちょうどおじいちゃんに教えてもらった将棋にはまりだした頃だから、僕が5歳の時かな。聖來ちゃんは可愛くて歌もダンスもその時から上手だったよね。聖來ちゃんの家に遊びに行ったとき、テレビでスポーツ少年をカリンちゃんが応援する企画をやってた」 「桂ちゃん、カリンちゃんのファンだったよね」 「うん。それで、僕がスポーツやってる子はうらやましいなーって言ったら、聖來ちゃんが『じゃあ私がアイドルになって、将棋を頑張る桂ちゃんを応援してあげる』って」 「そしたら、桂ちゃんは『絶対なれるよ』って」 その瞬間、壁のアナログ時計が0時を指した。近所か隣の部屋でクリスマスパーティーをやっているのか、クリスマスの鐘のような音がかすかに聞こえてくる。 「あーあ、25歳になっちゃった。なんでこうなっちゃったんだろうね……」 25歳になった聖來は自嘲する。 「毎年、大嫌いな誕生日になるたび思ってた。ネバーランドに行きたいって、これ以上大人になりたくないって」 「僕も。誕生日一緒に過ごしたのって、いつぶりだろうね。昔はお互い祝い合ってたのに。現実から逃げたくて、その日はお互い避けてたよね」 「ほんっと、道歩いててクリスマスソングが聞こえてきちゃうのも嫌だった。こんな日に生まれるとさ、世間がクリスマスムードなだけで誕生日実感しちゃうし」 「分かるよ。でも、こんな時期だと聖來ちゃんは僕よりずっと辛かったよね。本当に頑張ってたと思う」 親にも見放された聖來の唯一の理解者。彼もまた、夢へのタイムリミットの中戦っていた。時間というあらがえない敵と戦う同志を気遣い、お互いにまったくめでたくない誕生日を祝うことはなくなった。 「将棋のプロになるための年齢制限って……」 「26だよ。だから、僕も今期が最後のチャンス」 「切実な割には、私が中1の誕生日にあげたブックカバー使ってるんだ。嫌にならないの?」 たったいま夢破れた者と夢の期限に猶予がほとんどない者。夢の話題が段々と気まずくなってくる。話題をそらすように鞄からはみ出た書籍を指さしたが、いまいちそらしきれない。 「誕生日は嫌だけど、聖來ちゃんからのプレゼントは嬉しかったから。聖來ちゃんプレゼントのセンスありすぎだよ」 「逆に、桂ちゃんはセンスなかったよね」 聖來は未開封の段ボールを開ける。そこには小学生の時に桂太がくれた誕生日プレゼントたちが入っていた。クリスマスソングのオルゴール、光るクリスマスツリーをかたどったランプ、光るスノードーム、クリスマスカラーの玩具のティアラ、緑と赤のリボンの飾りのついた玩具のマイク。見事にクリスマス仕様である。 「誕生日プレゼントとクリスマスプレゼント1個にまとめるとかないから!」 「えっ、ダメなの?」 「ほんとに悪手中の悪手だから」 「うわぁ……その言葉は奨励会員の心に刺さるよ。というか、聖來ちゃんがクリスマス嫌いになったの僕のせいじゃん。ほんと、ごめん」 「ほんっとに、私以外の女の子だったら一発で桂ちゃん嫌われるよ。将棋で言うなら二歩だよ。重ねるのはホントにダメ」 「僕、聖來ちゃん以外の女の子にプレゼント渡したことないけどね」 まくしたてる聖來に対して、桂太はぼそっとつぶやいた。 昔の不平不満やジョークを言える程度に回復した聖來を見て、桂太は内心ほっとしていた。 「なんか食べようか。聖來ちゃんおなかすいたでしょ?」 「確かに、オーディション……でダンスしたあと、何も食べてないや。でも、冷蔵庫に今何もないよ。さっき見たでしょ」 オーディションという言葉を言うのは抵抗があり、そこだけ聖來は言葉に詰まった。桂太は思い出したように玄関に落としたコンビニの袋を拾ってくる。 「聖來ちゃんからLINEもらうちょっと前、コンビニに寄ってたんだ。気分だけでもって、家で一人で食べようと思って」  落としたため少し形の崩れた1人用のブッシュドノエルと、ホットスナックのフライドチキン。聖來はそれらを口にする。空腹には抗えず、やたらと食が進む。 「美味しい」 「どこにでも売ってるコンビニのフライドチキンと、賞味期限が24日までのクリスマスケーキだよ」 フォークの手が止まる。 「やっぱり、桂ちゃん慰め方に絶妙にデリカシーないよね。女の子慣れしてないでしょ」 「将棋で恋愛どころじゃなかったの、聖來ちゃんが一番よく知ってるじゃん」 全国から地元の天才と呼ばれた将棋少年たちがしのぎを削り、やっと入れるのが奨励会である。その過程であまたの棋士の卵の卵が、才能の限界を思い知らされ消える。奨励会に入ってからの戦いはさらに過酷だ。幾多の棋士を夢見た者たちが夢破れて散っていった。恋愛にうつつを抜かす暇は当然ない。 「僕の先輩、去年、年齢制限で奨励会退会したんだけど、昔女流棋士目指してた女の人と結婚したんだってさ。今2人とも28歳」 「結婚はできるから安心しろってこと?」 「そうじゃなくて……今、二人で趣味で将棋楽しんでるんだって」 聖來が不機嫌な口調になる。口下手な桂太は、不器用に言葉を選びながら声を絞り出す。 「聖來ちゃんはもう歌とダンス、嫌いになっちゃった?」 「わかんない……」 「僕はさ、楽しそうに歌って踊ってる聖來ちゃんが好きだから、やめちゃったら嫌だなって」 「今はまだ、考える余裕ないや」 「だよね。ごめんね」 「でも、結婚も恋愛もできなくていいから、やっぱりアイドルになりたかったな」 聖來が遠い目をする。その言葉に、桂太は大きなため息をついた。 「聖來ちゃん、恋愛とか結婚とかは興味ない感じ?」 「アイドルには御法度だからね。一応、今朝までは目指してたんだし、アイドルになれません、じゃあ今からさっそく恋愛するぞって気分にいきなりはなれないよ」 「じゃあ、すごく、聞きづらいんだけどさ、あの日の続きのやりとりって覚えてる?」 桂太が真剣な瞳で問いかける。 「桂ちゃんが私にアイドルになれるよ、って言ってくれて、私が桂ちゃんに『桂ちゃんは将棋のプロになってね』って言った。意外と覚えてるもんだねー。私ですら覚えてたんだから、桂ちゃんならこの続きも覚えてるよね、たぶん」 「うん。僕が『絶対プロ棋士になるから、聖來ちゃんもアイドルになってね、そしたら聖來ちゃんのライブ1番前のど真ん中の席まで見に行くよ』って」 「うん。約束の指切りしたね。ごめんね、約束守れなくて」 「聖來ちゃんは忘れてると思うけど、もう1個、約束した」 部屋の空気が張り詰める。夜が深くなり、外や隣の部屋の喧騒はいつの間にか静かになっている。アナログ時計の音だけが響いている。 「『夢が叶ったら、結婚しようね』ってあの日の僕は言った。僕はまだ夢を叶えてないけど、あの時からずっと聖來ちゃんが好きだよ。聖來ちゃんが変わっても、僕が聖來ちゃんに誇れる自分になったら結婚したいって気持ちは、今もずっと変わらない」 桂太は真剣な目で聖來の手を握る。 「あのさ、桂ちゃん……」 「あっ、ごめん」 しかし、聖來が話を切り出すと、慌てて手を離す。その拍子にずれた眼鏡を両手で直した。 「桂ちゃん、将棋は強いのに、今回の読みはめちゃくちゃ間違ってるよ」 今から気持ち悪いとばっさり振られるのではないかとビクビクする桂太に、段ボールから玩具のティアラを取り出して頭につける。 「忘れてたら、桂ちゃんからのプレゼント後生大事にとっておいたりなんかしないよ」 見たくないはずの、大嫌いなクリスマスを嫌でも想起させる品々。それでも、実家を飛び出したときこれだけはと持ってきた。  お互いに相手が忘れていると思っていた、あの日小さな手で交わした約束。「好きな男の子を応援したい」「好きな女の子に誇れる自分になりたい」始まりはそんな小さな夢だった。小さな夢は壮大な夢になり、それに人生を懸けたがゆえに、恋する余裕さえなくなった。それぞれの夢に向けてストイックに生きていくうちに、二人はすれ違う。きっと相手はもう約束なんて覚えていない、自分のことなどもう好きではないのだと。 「ごめんね、アイドルになれなくて、約束守れなくて」 「聖來ちゃんは、ずっと僕のアイドルだったよ!」  桂太ははっきりと自信を持って言った。 「文化祭で踊ってる聖來ちゃんも、後夜祭で歌ってる聖來ちゃんも、僕にとっては紛れもなくアイドルだった。あと、校庭とか近所の公園で練習してるのもこっそり見てたし、聖來ちゃんが頑張ってるから僕も頑張ろうってエールになってた」 「ええ!?嘘?見てたの?」 聖來が顔を真っ赤にして驚く。 「だから、聖來ちゃんは約束を破ってなんかいない。だから、今度は僕が約束を守る番。その前に、僕の一生のお願い聞いてほしいんだけど、いいかな?」 桂太が深呼吸をする。 「年明けすぐ大一番の勝負があるんだ。対局相手は、一番の強敵」 それを聞いて聖來が息をのんだ。 「だから、聖來ちゃんに勇気をもらいたい。僕だけのために、ライブしてくれないかな?やっぱり、僕のアイドルのライブは特等席で見たいよ」 「そんな大事な役目、私に?」 「聖來ちゃんは今までもこれからもずっと、世界一可愛いアイドルだから」 お願いと両手を合わせて桂太が頼む。今まで、聖來が桂太を頼ることはあっても、桂太から聖來にお願いすることはなかった。その桂太が、いつになく積極的にお願いをしている。夜中に呼び出しておいて、聞かないわけにはいかないだろう。 「いいけど、これから先、私以外を推したら許さないんだからね」 聖來は立ち上がり、クッションをどけた。部屋の照明の明るさを一段階下げる。机の上の倒れていた写真立てを立て直した。スノードームとクリスマスツリー型のランプをコンセントにつなぐ。一定時間ごとに光の色が変わり、まるでステージのライトのようだ。足元の紙屑は、積もった雪のように光を反射して足元を照らす。  玩具のマイクを手に取り、息と頭のティアラを整える。つい先刻までこの世の終わりのごとく泣き叫んでいたとは思えないほどのとびっきりの笑顔を桂太に向けるのは、アイドルの矜持。 「桂ちゃーん!今日はセーラのクリスマスライブに来てくれて、ありがとーう!」 別人のような明るい声で、ライブを始める。アイドルになって、この人の夢を応援したかった。この人に、特等席で見てもらうためにアイドルになりたかった。すべての始まりの夢が叶った瞬間だった。 「桂ちゃんは、今まですごく頑張ってきたので、絶対夢は叶います。今なら言えます。夢は叶います。だって、今この瞬間、桂ちゃんは私の夢を叶えてくれたから。桂ちゃんが、素敵なクリスマスと新しい年を迎えられるように、この曲を贈ります。それではお聴きください!」 ねじまき式のオルゴールが奏でる『We Wish You A Merry Christmas』を伴奏に、聖來は即興の振り付けをしながら心をこめて歌う。 「We wish you a merry Christmas We wish you a merry Christmas……」 10年間祝うことはなかったクリスマスと誕生日。このステージを10年分楽しもうと、歌う。桂太は聖來の歌に聞き惚れ、視線は釘付けになっている。 「Glad tidings for Christmas And a happy New Year!」 この歌が、桂太へのエールになることを願って。年明けに良い知らせが聞けることを願って。 「We wish you a merry Christmas……」 歌も終わりに差し掛かる。ここで、聖來はアドリブを加えた。これから先、もう誕生日に泣かなくてもいいことを願って。棋士になった桂太が笑顔で次の誕生日を迎えられることを願って。 「We wish you a merry Christmas And a happy Birthday!」 テーブルの上の写真の中では、マグネットの将棋盤を抱えた眼鏡の少年と玩具のマイクを持って踊る少女が笑っていた。
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