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「……なーんてね」
持ったままだったアイスのカップとスプーンをビニール袋に入れて口を閉じた。
クシャクシャとビニールのこすれる音がやんでから、望々は下を向きつぶやいた。
「実は、ちょっと嫌だった。ライブに来てくれてる人たちの誰かかと思ったらさ」
「……」
「もやもやして、余計なことなーんにも考えずに歌えたころは良かったなーって考えてたら、マシュのお母さんに会ったんだよね」
「だからさっき、初心がどうとか言ってたんだな」
望々が小さく頷いた。それが少し力が入っていないような気がして、どうにか励ませないかと思う。
とはいえ俺ができることなんて――
「望々」
「ん?」
「久しぶりに歌えば? 初心にかえるならこのリビングだろ」
「たしかにね。じゃあ遠慮なく」
ソファの座面に立ち上がり、一呼吸おいてから望々は歌い出す。
そう、この感じ。
飾らないテキトーさは、整いきれてないけど媚びもない。
望々の立場や状況とか、変わってしまったことばかり目について心が乱されていたけど、変わらないこともあったんだ。
安堵して肩の力を抜いたときだった。
不意に、望々が投げキッスをよこしてきた。
「は!?」
目が泳ぐ俺を置いてきぼりに、狙い通りと言わんばかりのニヤケ顔で続きを歌っている。
ずっと望々のペースなのが気に食わない。
少しぐらい巻き込んで調子を崩してやりたい。
けれど今の俺がきれるカードなんて、一つしかない。
そう、例えば「明日は学校に行く」と言ったら、どんな顔をするだろうか。
丁度よく歌が終わる。
今だ、言え、驚かせてやる……と思うのに、登校というハードルは高く、下唇を噛み締める。
すると、望々は別の歌を歌い出した。
たった一言を言いそびれたばかりか、拍手も感想も言いそびれてしまった。
歌えと言ったのにに失礼な態度を取る俺に対して、望々はなんの文句を言わない。
もしかしたら全て見透かしたうえで、言えるまで望々は歌い続けるつもりなんだろうか。
ステージ上からは何もかもがよく見えるようだから。
これが歌い終わったら、なにが何でも全て伝えるんだと気合を入れ直した。
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