残った傷跡

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残った傷跡

7.  藍田は、土日曜日に掛けて徐々に身体が動かせるようになってきたのか、自分の力で起き上がってみたり。  少し歩いてみたりと、繰り返していた。  「…あの…土屋…奥の小さい小部屋って書斎? 仕事部屋?」  「…一応、仕事部屋…」  「あの…仕事関係には、一切触らないから。本棚にある本読んでもいい?」  「十年ぐらい前の小説とかだぞ? 中には、かなり古い本もあるし…そんなんでいいのなら。好きに読んでもらって構わない 」  「…ありがとう…」  無表情とまでは、言わない。 ただ淡々とした仕種に言葉遣いと、声のトーンだと思った。  それが、日曜日の夕方。  夕飯を食べている時の話しだ。  殴られた顔の腫れはだいぶ引いたが、傷口は濃い痣となって痛々しく残っている。  本人は、気にしていないように振る舞っているようだが…  腕や足には、まだ無数の痣が残っている。  着替えは、自分から駅前のコインロッカーに私物を預けているからと言うので、金曜の帰りに取ってきたのを着てみたり。学校のジャージを羽織ってみたり。あとは俺のトレーナーなんかを、着ているらしい。  「ゴメン。勝手に着て…」  「別にいいよ。寒くもなってきたし。傷に障るとマズイだろ? 気にすんな」  「うん…」  「…そうだ。学校の方は、無理しなくていい。一応、父親の方に連絡を取るのも、落ち着いてからでも、いいと思うし…」  「………うん。そうする…」  藍田は、ボンヤリと窓の外を眺めていた。  「…あのさぁ…」  「何だ?」  「オレ…もう…いい顔すんの面倒になった…」  「うん…分かった」  「後さぁ…」  後ろ手に何か持って、藍田は俺に水色のボールペンを差し出した。  「ごめんなさい。勝手に持ってきて…」  申し訳なさそうに肩をすくめる藍田を、安心させようと、ポンと頭に手を乗せた。  クシャっとするように…  母親に殴られここに運び込んだ時に、眠ったままの藍田の髪に何となく触った振りと言うか、何と言うか…  妙な感覚を覚えた。  「使ってもらってもいいよ。似たボールペンはあるし」  それに…  ボールペンが、無いことは直ぐに分かっていた。  持ち去ったのも藍田だと、勘づいていたからだ。  案の定、藍田を助けた日。  藍田が着ていた制服の上着をハンガーに掛けた時、ポケットに入れられたそのボールペンの存在には気付いていた。  盗まれたと言うよりも、咄嗟に持ってきたのか…  他に何か理由が、有るのか…  様子見をしていたのは、事実だ。  「気にするな…それ自体、借り物だから…」  そう土屋は、笑った。  何か思い入れがあったのかと、思って居たけど、それとはまた別なな何かを感じ取った。  聞いてみたいけど、聞ける気がしないし聞いちゃいけない気がしたから…  「…じゃ、本借りるね」  そう言った以降、藍田は学校に来なくなった。  自宅には、怯えて寄り付こうともせず。  両親からの連絡は、一切無く。  そして…  相変わらず俺の部屋に居る。  藍田が、寝泊まりしているのは、元々余っている部屋で、客間とでも言えばいいのか、寝具や簡易的なテーブルを置いていたに過ぎない。  この部屋と言うか、この家は早くに亡くなった親の持ち家だった。  家賃が、掛からない分。節約にもなるが…  教員ともなると、どこに移動させられるか微妙な所だ。  この持ち家から通える距離ならまだいいが、同じ県内でも、到底通える距離ではない時は、賃貸として年契約で貸し出している。  大学に通う間と一年半前までは、賃貸だったのは言うもでもない。  それはいいとして問題は、藍田本人だ。  藍田は、自ら率先して家事しながら例の本棚から本を取り出しては、ずっと読みふけっている。  元々、笑顔でいる方だった藍田は、あまり笑わなくなったように思える。  これが、藍田の言ったていた。  いい顔するのが、面倒になったの反動なのか…  それでもまだ日常的な会話を、してくれるから。いいように見えるだけなのか…  まぁ…俺も、無理に笑えとは言わない。でも、いつからだろうか?  藍田が、自分をオレと呼ぶようになったのは…  そう考えた時、俺は、思った。  今、見ている藍田の姿が、本来の藍田の姿なのだと…  辞めていった生徒が、以前言っていた事の意味が、これ何だと確信した。  そんな日から数日後の職場での終業後。  最後まで職員室に残って居たのは、校長と教頭に主任と学年主任と俺の…なんとも言えない面々だった。  最初に掛けた先は、一方通行な物言いで言うだけ言って、ガチャ切りされ…  もう一方の電話は、繋がらなかった…  「あの土屋先生? キレてませんか? 大丈夫じゃ…ないですね」  「キレそうですよ。 藍田の父親に連絡取って見れば、息子の事は、全て妻に任せてます。私は仕事が、忙しいので簡単にはそちらに帰られません。で、当の母親のスマホには、通じない…」  その場の空気は、最悪だ。  「取り敢えず。落ち着きましょう…土屋先生…」  俺は、深い溜め息吐いた。  「正直、声に出掛けましたよ。ケガをした息子さんを、一週間預かっています。どう思っているんだって…」  藍田に発覚した母親から暴力沙汰の一件は、既にこの場にいる一同に伝えてある。  だから…早速と学年主任の女性教師が、土曜日にお見舞いにと、称してやってきたのだが…  藍田は、怖がって出てこなかった。  一部の教員達からは、警察に相談すべきだと言った者も居たが、母親が任意で取調べを受けたなどと、他の父兄の耳に入ったりすると、必ず問題が上がり。  もれなく藍田の耳にも届き益々、外に出てくれなくなるのでは? と結論に達した。  一応。校長を通して市の教育委員にも連絡にしてもらったが…  現場の判断に任せると、言われたそうだ。  「…私、思うんですけど、精神的にも母親にケガを負わされたショックは、大きいと思います…先日、私が訪問した時にも感じましたが、母親と同じ年ぐらいの女性である私を、あまり良く思ってないと思いました。だから父親にと思ったのですが…あの態度では、同じ年頃の子を持つ親として、正直今の藍田くんを任せられません…」  ここだけの話だが、藍田の父親との通話はスピーカーにして共有してもらった。  「藍田くんは、学校に来るつもりはないのでしょうか?」  「…………」  俺が、答えに迷っているのを見兼ねた主任の男性教師が、俺に代わって話し出した。  「実を言うと、今日…土屋先生に断りを入れて朝の内に、藍田を見に自宅に伺ったんですよ。でも、近付くのを拒否られました…ただ今までの藍田とは、違うように見えました。何か、終始怯えて居るような…」  俺は、頷いた。  「俺と話をしている時も、まぁ…怯えはしませんが、沈んでいる時が多いです。上の空と言うか…」  それが、本来の藍田の姿なのだと思う。  「それは、そうと藍田くん。お昼ごはんは、どうしているんです? ちゃんと食べていますか?」  「冷蔵庫の食品が、減ってますから。何か適当に作って、食べてはいるようです」  現に藍田は、夕飯に一品から二品、野菜炒めや簡単な料理を、作ってくれている。  「そうなんですね。あの…もし良かったらなんですけど、家で作った炊き込みご飯を、お握りにして冷凍にしたモノなんで…良かった持っていて、食べて下さい。あからさまに藍田くんにって言うと、ウザがられるかもですけど…ほらお昼ごはんの時とかに…」  そう言って学年主任は、職員室にある冷蔵庫の冷凍室から保冷バックに入れられたお握りを数個、俺の前に差し出した。  「助かります。ありがとうございます」  正直に藍田が、昼間何かを食べていると言っていても、何をどう食べているかまでは、不安だったし炊き込みご飯なら、まともなモノを食べているように見えるから安心と言えば、安心だ。  学年主任が、周囲の生徒達から世話焼きオバサンなんって言われているけど、こう言う所に気を向けてくれるのは、さっきも自身で言っていたが、同じ年頃の子供が居るからだろう。  だからそれが、ウザイなんって言葉にも繋がる。  でも、実際そう言うウザさが、有り難かったと思える様になるまでには、時間が掛かる。  俺は、気を取り直すようにペットボトルのお茶を一口飲んだ。  藍田を助けて、藍田をうちにいさせるようになって約一週間。  何の進展もない。  どうしたものか…  帰宅した俺は、台所にいた藍田に主任から預かったお握りを差し出した。  元々、俺の家で食べられているご飯は、多めに炊いたご飯を小分けしてのレンチンだ。  「へぇ……学年主任の先生が、オレに?」  「炊き込みご飯だそうだ」  「…確か…先生って担当科目、家庭科だから普通に美味しそう」  俺から受け取ったお握りを、一個レンチンし始めた。  「あっ、何個もあるし土屋も、食べる?」  「?…俺は、いいよ。主任は、藍田にって持ってきたんだし」  って、いつの間にか、土屋呼びが定着してきてる。  「ふう~ん…」  レンチンしている間に藍田は、作った野菜炒めを二人分器によそった。  俺が余らせたていた冷凍の挽き肉を、野菜で炒めた一品に味噌汁。  「そう言えば、食材まだ有りそうか?」  「うん。大丈夫」  レンチンしたお握りを茶碗に盛る藍田は、楽しそうに見えた。  「…いい事でも、あったのか?」  振り返るよりも先にテーブルに付いて食べる気満々の藍田は、そこで初めて振り返った。  「いい事って言うよりも、自分で作るご飯よりも、誰かが作ってくれるご飯の方が、ずっと美味しいから…」  真顔で、言われた。  「勿論。土屋の作るご飯も、美味しいよ。殴られて食べられなかった時に食べさてくれた野菜スープ美味しかった。それに食べてって、言える人のご飯は、絶対に美味しい」  一人で、納得した風に礼儀正しく手合わせ小さく。いただきますと言い食べ始めた。  普段着に着替えた俺も、テーブルに付き藍田を見習いポンと手を合わせる。  食欲は、戻ってきているように思える。  まぁ…元々、藍田の食欲が小食なのか、大食いなのかは知らないが…  好き嫌い無く。よく食べている印象が、強い。  男子高校生の全てが、ガツガツ食う訳じゃない。  静かに食べる事を好む者も居れば、ワイワイと喋りながら食べる者も居る。  それと同じ。  「…ねぇ。もう一個食べてもいい?」  普段は、ご飯一杯少し多めぐらいで止めるやつが、珍しい事もあるものだ。  「藍田にって、貰ったんだ。好きに食べればいい」  いそいそと、藍田は仕舞ったばかりのお握りを冷凍室から一個取り出しレンチンし始め再び茶碗に盛り食べはじめた。  「ねぇ…土屋。明日主任にありがとうって言っておいて…」  「分かった。伝えておく」  優しくにっこりと笑うその姿は、普通の子供らしく。  夕方の電話や会話。  職員室での遣り取りが、嘘のようにも思えてくる。  聞いてはいたが、藍田の父親の声と言うか父親の方も、かなり藍田に無関心で母親もアレだ。  苦虫を噛み潰したような気持ちは、あの場にいた全員が、思っていたに違いない。  「確か…藍田の両親が、学校に来たのは…同学年との…問題の時だったなぁ…」  主任が、眉間にシワを寄せる。  「そうですね…」そんな切り返ししか出来ない俺は、視線を伏せる。  「まるで事務的に事を終わらせようと、していたような印象だったとしか思えません」  その場に立ち会っていた校長もまた当時は、苦い顔をしていた。  もしかしたら校長は、何か察していたのかもしれない。  「じゃ…その前の藍田くんが、居なくなった件は、何だったのかしら?」  「言われてみれば…」  こう言うとなんだが、本来関心すらない相手なら。  居なくなった。  帰って来ない。  は、逆に変だ。  「全く意味が、分かりませんね」  重々しく教頭が、口を開いた。  「もしかしたら…」  『体裁が、悪い』  『お前が、悪い』  『私達は、悪くない』  ……は、親の都合…  「そう言う事なのかも、ですね…」  だが、教頭の言葉は、確信を捉えていた。  「何か、不安な事はあるか?」  「別に…いつもと変わらないし…」  まぁ…  クラスの皆から。  心配しているってるよって、グループメッセージに学校での出来事なんかを、定期的に送ってもらっている…  それは、土屋には言ってある。  それに対してオレは、ありがとうとか、大丈夫だよって返してる。  オレが、ケガをして家に帰らなくなってから一週間。  落ち着いた頃、日中、父にメッセージを送ってみたけど、返事も無ければ既読にすらなってなかった。  もしかしたらブロックとかされてるかもなぁ…とか。  それ以降は、オレの方からも二人をブロックして三日が過ぎた。  それを土屋は、知らない。  何かの進展とか、期待してた訳じゃないけど…  相変わらず音沙汰なしで、笑うしかなかった。  親もオレも、本当にどうかしてる。  「あのさぁ…オレここにいてもいい? なんかドコにも、居場所が無いみたいって言うか、そのずっと…親に振り回され続けて、何かの道具みたいに扱われてきたから…」  両親に与えてもらった居場所は全然、休める場所なんかじゃなくて…  いつも一人で…  ご飯は、もっぱらコンビニ弁当が普通で…  「小中学校の頃に食生活調査みたいなのがあってさ。日頃何を食べてますか? って、表に書かなきゃならなくて…でも、母親居なくて…」  コンビニ弁当なんって書いたらまた母親に殴られそうだったし。  「悩んで、出した答えが、自分で野菜炒めと味噌汁を、見様見真似で作って、それを書き出したんだ…学校で何かあると、今以上に見えない場所っての? 身体を叩かれたから。それが嫌でさぁ…後、オレこう見えても、アイロンとかも掛けられるんだよ…もし良かったらワイシャツのアイロン掛けるよ」  「じゃ…お願いしようか?」  藍田は、笑った。  「でも、本当に最初の頃は、野菜炒めもコゲコゲで不味いし。味噌汁なんって、しょっぱくて飲めもしなくてムカついて、上手いもの作ろうって思ったり。中学になると、さっきも言ったシャツが、シワだらけも、注意とか入りそうになって、慌ててアイロンの掛け方動画を見て覚えて…」  けど、急に…  「何やってんだろうって、虚しくて中学卒業するぐらいかな、オレも一人になりたくなくて、家に寄り付かなったて、そう言う相手の家とか、転々とするようになって…もう、いいやって…」  寂しいから。誰かのモノになりたかった訳じゃなかった。  でも、寂しいから誰かの側に居たかったのも、本当なんだ。  「間違ってるのは、分かるよ。バカだって、あり得ないって、周りから思われてる事も知ってる」  静かに響く低い声が、寂しげだ。  「でも、オレにとっての愛される事は、こう言うコトで、こんなふうにしか解釈できなくて、でもドコかでは、普通に愛されたくて…それで、繰返し居場所つくったら自分も、両親みたいに…おかしくなってた…」  テーブルに溢れた涙の後が、幾つも重なるように広がっていく。  藍田の泣き顔が、記憶の中のヤツの顔と重なった。  『…ねぇ…土屋。誰かを、愛した事ってある? 好き嫌いの好きじゃなくて…勿論、愛の方だよ…』  あの時の俺は、コイツは、何を言ってんだろう? って安易に思ってた。  ー鮎原ー  お前は、あの時。  こう言う意味で、俺に言ったのか?  『土屋って、いつも本見てるけど面白いの?』  『…邪魔すんな…』  『良いじゃん』  ムッとした表情で、近寄ってくる人影に頭上の明るさを奪われる。  『暗くて、読めねぇーよ…』  『そう…』  その人影は、俺の背中に自分の背中をくっつけ寄り掛かる様に座り込んだ。  『…他に行くとこ無いし。土屋の隣が、一番居心地いい…』  『…………』  本当に何を、言っているんだか…  そんな気持ちだったが、居場所が無かったのは俺も、同じだった…  それなのに俺は、鮎原の気持ちにも、自分自身の気持ちにも気付こうとすらしなかった。  「あのさぁ…土屋…」  藍田?  「こうなりたくて、こうなった訳じゃないって、周りに対して思うのは、オレの甘え? 我が儘? それとも八つ当たり?…」  息を深く吸い込み吐き出すと、鮎原は姿を消し。  視界に現れたのは藍田だったが、前を向きながら視線を伏せている。  「藍田。それは…どれでもない。ましてや何も分からない子供に対して大人が、そうなるように仕向けた訳でもない」  「えっ…」  藍田は、戸惑う様に視線を上げた。  「大人は、子供を巻き込んでいるつもりはないんだ…大人も、大人で、どうすりゃいいのか、分からなくて。それを後回しにした結果が、今なんだ」  “  人間なんって、そう変わるわけない  ”  今だからなのか、その意味が分かり掛けてきた…  「ねぇ…土屋が、そう思えるのは、オレと同じだったの?」  そうだ…  俺も、大人が嫌いだった…  反抗して、聞く耳も持たずに荒れ果てた挙げ句…  首と背中に、深い傷を負った。  それを、毎日見ながら。  ある時からこの傷は、戒めみたいなモノなのかも知れないと、考えるようになった。  「藍田は、大丈夫だ。これ以上は、間違ったりはしない。俺達と違って藍田は、大人をよく見ているから…藍田の思う大人の様には、ならないよ」  今、気付けたのだから。  大丈夫だ。
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