当日、代役

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当日、代役

「頼む! セリフのない役だからッ」  旧知の演出家に頼まれて、俺は急きょ劇場に向かった。  出演者がリハーサルで転倒して腕を骨折したらしい。  二十年俳優を続けているが、全く台本を読んでいない舞台に立つ。そんな大冒険は初めてだった。  しかも、タクシーを飛ばして劇場に着いた時には開演15分前。指示されるままに衣装に着替えるだけで精一杯!  後ろからドンッと背中を押され、大勢の若手俳優たちと一緒に舞台へ飛び出した。  三百席が埋まった満員御礼の観客と対峙する。  久々の舞台出演だ。緊張するかと思ったが、意外と落ち着いていた。  なにせ、中世の騎士姿で「その他大勢の一人」として立っているだけなのだから。セリフがないのはこんなに気楽なものか。  目だけキョロキョロさせて他の出演者の様子を観察し、客席の反応を見る余裕すらあった。  「その他大勢」は若い俳優ばかりだった。俺にもこんな頃があったなぁ。セリフがなくても一生懸命。「次の舞台では大役を勝ち取るぞ!」と常に野心を抱いていたものだ。「代役って必要?」と思うほどの役だったが、初心を思い出し若返った気持ちになれた。  また背中をドンと押され、駆け足でステージから退出。舞台袖の中でホッと一息ついた。  一回目の出番はそんな感じで無事に済んだが、次の出番はどうなることやら。不安が募る。 「次、いつ出るの?」  隣にいた「その他大勢」の中の一人に尋ねる。 「え?」  キョトンとする彼。  そりゃそうだ。次の出番も分からずに出演している俳優などいるはずがないもんな。しかし、俺もそこそこ朝ドラや月9に出て顔が売れている俳優だと思っていた。気づかないかな? 俺のこと。  すると、突然「出て!」とまた背中を押された。よろけながらもかろうじて舞台へと飛び出す。どんなシステムだよ、この演劇!  と、突然スポットライトを浴びた。 「エッ!?」  ……聞いてないよ。  助けを求めて隣を見ると、さっきの彼がいた。ソイツも「え?」という顔をしている。  ふと、俺の足元を見ると×印がついていた。 「やっちまった!」  彼が立つべき場所に俺が立ってしまったのだ。彼の見せ場を奪ったことより、言うべきセリフを知らない恐怖が全身を駆け抜ける。  客席はシーンと静まり返っている。俺が焦っていることは絶対にバレてはいけない。芝居をぶち壊してしまうぞ!  すると、隣の彼が近づいてきて「□※△#」と耳打ちしてきた。  早口で何を言っているのか分からない。それより今は本番中だ! 舞台上で耳打ちなんかするんじゃねえッ!  絶望的な気分で彼を睨む。すると、再度近づいてきてまた耳打ちしてきやがる。 「敵を討て!」  今度は聞こえた。そのセリフ、俺が言うの? セリフがないと聞かされて当日代役でノコノコ劇場に来た俺が? 最悪だ!  間が悪いのは承知の上で、叫ぶしかなかった。 「敵を討てひッ!」  声が裏返った。発声練習をしていないから当然だ。クソッ!  隣にいた彼が半笑いで俺を見る。コノヤローッ!  後ろにいた「その他大勢」が一斉に「オーッ!」と叫んで走り始める。ようやくスポットライトが消え、俺も一緒に舞台袖へと向かって走った。 「すまん」  袖の中で俺は年長者らしく彼に頭を下げた。若い彼のセリフを奪ったことが本当に申し訳なかった。  しかし、そんな悠長な時間はなかったようだ。 「行きますよ!」  彼に促され、すぐまた駆け足で舞台へ。目まぐるしくライトがチカチカと明滅する中、「その他大勢」軍の俺たちは向こう側の袖から現れた敵の「その他大勢」軍と戦うらしい。 「マジかよ?」  素手で格闘シーンか? 疑問に思って隣を見ると、全員が剣を持っていた。 「いつの間にッ!」  丸腰の俺はどう戦えばいい? とにかく棒立ちになってはいけない。へなちょこなファイティングポーズをとる。完全に腰が引けているのが自分でも分かる。お客さんの目になるべく触れないように舞台の端へと移動する。  敵に斬られた仲間を見つけては、駆け寄って「大丈夫か!」と声をかける。パントマイムで負傷兵の足に包帯を巻く芝居をして間をもたせる。倒れた敵の剣を奪って、ようやく手持ち無沙汰を解消した。  違う意味で死ぬかと思った戦闘シーンを終え、舞台袖に戻ってくる。 「もうイヤだ!」  衣装を脱ぎ捨てて今すぐ帰りたい。そう思った天罰か? さっきの戦闘シーンで姫役のヒロインがケガをして病院に直行したらしい。その衣装が俺のところに回ってきた。 「どういうこと?」  俺の問いに誰も答えてくれない。  衣装部のスタッフが急いで俺の騎士の衣装を外しにかかる。 「ダメだって! 姫なんかできないよッ」  必死で抵抗するが「後ろ姿だけなので!」と説得され、とうとうカツラをかぶらされた。  バレないのかよ、これ? マジで?  背中を押され、舞台の中央奥へと向かって歩く。ドレスの中は冷や汗がしたたり落ちている。  長い巻き髪を両サイドに垂らしたカツラのおかげで俺の視界に客席は入らなかった。でも、決して振り向いてはいけない。あぶらぎった中年男がまっ赤な口紅を塗った顔を観客に晒せば、そこで舞台は強制終了だ。客席をパニックに陥れる破壊力があるに違いない。  しずしずと歩く俺。長い俳優人生でもドレスの衣装は着たことがなかった。裾がやたらと長いドレスだった。客席から見えないのならスニーカーでも良かったのに。そこは衣装部のこだわりなのか、これまた履いたことのない高いハイヒールを履かされていた。 「転ぶなよ、俺……」  もし転んだら俳優人生が終わる。その覚悟で指示された舞台中央奥まで歩き切った。観客席に背中を向け、佇む。セリフはない……はずだった。  沈黙が流れる。  台本を読んでいないので、何のシーンだか分からない。不安になる。  だが、客席はザワついていない。きっと、息を吞むようなシリアスなシーンが俺の背後で展開されているのだろう。それにしても、静かだ。  舞台の進行状況が気になる。視線を動かすが何のヒントも掴めなかった。  こんな無音状態で長時間観客を引き込む演出がどのようなものか、興味深く感じた。戦場で精霊たちがスローモーションでダンスを踊っているのだろうか? 暗黒舞踏みたいに? 音楽も効果音もない時間が延々と過ぎていった。  と、クスクスと観客席から笑い声が漏れるのが耳に入った。少し笑えるシーンに転換したのか? いや、もしかすると何かの舞台装置に俺の顔が反射して映っているのではないか? 心臓がバクバクし始めた。  こんな静寂に包まれたシーンを台無しにしたら、チケット代を払い戻しでも済まされない騒動に発展しそうだ。必死に目を動かし、それらしい危険な反射板がないか見回した。うーん、何もないぞ!  そのうち「クスクス」は俺のすぐ背後からも聞こえるようになった。ン? 舞台上にいる俳優も声を上げて笑っているのか?  よほどリラックスしたシーンなのか? それとも……!  俺はこの劇場に駆けつけるタクシーの中で、この演劇の公演情報を得ようとスマホで検索したが何もヒットしなかった。慌てていたので検索方法が悪かったのだろうと思っていたが、もしかすると……。  トンと背中を叩かれる。 「え?」  何かの拍子に出演者の手が当たっただけかもしれない。振り返っていいはずがない。  再びトン。続いてトントン。  客席のクスクス笑いが大きく広がっていく。  エッ? いいの?  おそるおそる振り返る。背中を叩いたのは例の若い彼だった。 「先輩、お誕生日おめでとうございますッ!」  彼のかけ声をキッカケに劇場のスピーカーから「ハッピーバースデー」の音楽が流れた! 「……はい?」  姫の衣装を着てまっ赤な口紅をしていることも、巻き髪の金髪カツラをかぶっていることも忘れて、俺は驚きのあまり言葉を失った。  観客席に『四十歳おめでとう!』の横断幕が見える。  演出家が「サプライズッ!」と大声を張り上げながら花束を持って現れた。  観客が大爆笑する。  情緒が不安定になりながらも、ありがたく花束を受け取る。  調子に乗って例の彼がモノマネをしてみせた。 「敵を討てひッ!」  俺ソックリにわざと声を裏返しやがった。 「おいッ!」  腹立ちまぎれに彼の尻を蹴っ飛ばしたら、ハイヒールを履いていることを忘れていてすっ転んだ。 「イタタッ……」  楽屋で強打した後頭部を濡れタオルで冷やしていたら、イタズラ好きな演出家が顔を出した。 「お前が蹴っ飛ばしたヤツ、誰か知ってる?」  ニヤニヤ笑っているところを見ると、ロクな答えじゃなさそうだ。 「フフッ……」  勿体つけて演出家が答えを発表する。  予想通り、めちゃくちゃコワイ先輩俳優の息子だった。 「うわぁ!」  どうやって謝ればいい?  俺は頭の中が大パニックになった。 (おわり)
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