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ガシャっ!
俺は、とうとう持っていたジョッキを今度こそ落っことした。
幸い、空だったので被害はなく……
「そ、それって……」
「……これは社内でも一部しか知らない。俺はたまたま寝物語に人事の人間から聞いちまったんだけどな……」
坂田、お前なら凄腕のスパイになれるぞ! と関係ないことを考えてハクハクしながら坂田の顔を見ると……
「で、でも! それが理由で退職したんだったら、もう関係な」
「それだけなら、俺だってわざわざ平日にお前を居酒屋まで呼び出したりしない」
いよいよ悲愴な顔つきをした坂田が、ギッと俺に視線を合わせて言い募った。
「その上司と今も会ってるらしいんだ。春風紗妃は」
「!!!!!!」
俺は、顔面から血の気が引いていく音を聞いた。
「言いたくなかったんだが……佐藤と違ってシオミって姓はこっちでは割と珍しいだろ?」
俺は呆然と、坂田の平均的な顔面偏差値の口元から繰り出される言葉を聞いていた。
「お前が同僚にそういう名前がいて『【Sugar and Salt】って呼ばれてネタにされた』って言ってたから覚えてたんだ」
ちょっと待ってくれ、いろいろ。
情報過多すぎてオレの脳内での処理が追いついてない。
「だから、結婚して『シオミ紗妃』って名前になってるってことと、今でもその上司と会ってるって情報を聞いて、待てよ。って思ってさ……」
ざわつくホールとは違い、個室の会話は割と響く。
オレの脳内で──真っ暗な家の中、リビングに散らばった食器の破片を集めながら、絶望に打ちひしがれている汐見の姿が見えた。
「お前の仲がいい同僚にそういう名前がいたのを思い出して、まさか。と思って……はじめ聞いた時は、また女子特有の嫉妬がらみのネタかよ、って思ったんだけどさ」
坂田の声は耳に入ってくる。入ってくるが、入ってきた情報が理解できない。
「その……春風って昔からイソスタやってて有名なんだけど。最近の写真でさ、日本ではその上司しか持ってないって噂の腕時計が写ってるんだ」
そういって坂田は自分のスマホをスイスイと操作して見せてくれた。
そこにはどこかのおしゃれな明るいカフェのガーデンで朗らかに笑いながら、男と共に裏ピースしている春風が写っている。
男の顔には全面スタンプが貼られていて一切わからないが、汐見がしているのを見たことがない明らかに高級そうな腕時計が写っており──
コメントのハッシュタグには【#大好きな夫と】と書かれていた……
投稿日は、4日前────
その頃、汐見所属の開発部は、突如出た大規模システムのバグ対応で全員が1週間死ぬほど詰めていた、と汐見と同じ部署にいる後輩から聞いている。
「……ショック、だよな……ってか、わざわざこんなこと言いたくなかったけどよ……」
俺は、ぐるぐるといろいろな考えを駆け巡らせながら
「……お前、この情報、知ってる人間は本当に少ないのか?」
「あ、ああ。人事の人とその上層部だけだと思う。ただ、春風のイソスタ知ってる女子は他にもいるから早めに手を打った方がいいかと思ったんだ」
それは本当に坂田の本心だろう。
「……この男はどういうヤツなんだ?」
「そう、そこなんだよ、だから急いでお前に連絡取ったんだ」
「?」
「お前、このシオミって春風の旦那と仲良いんだろ?」
「ああ」
「なら、早く別れろ、って伝えてほしくてさ」
「は?!」
「この上司、うちの会社の取締役で、現社長の旦那なんだ」
「!!!!!」
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