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───2015年6月。
昨年末の忘年会での一件から急接近した佐藤と汐見は、互いの家に行き来する仲になっていた。
お互い人見知りであまり人付き合いをする方ではなかったが、却ってそこに共感するところがあったのかもしれない。
呼び出された汐見が部署の前で佐藤と立ち話をする。
「苺大福が実家から送られてきたから渡したくてさ」
「あ~……」
10cmも高い視線から汐見の顔色を伺うように見つめてくる佐藤のこの顔に、汐見は存外弱かった。
「会社に持ってこなかったのか?」
「会社の分は持ってきたけど、汐見の分を忘れちゃってさ。今日、家に来れない?」
期待の眼差しをしている佐藤を萎えさせるのは汐見の本意ではない。だが、今日は新規案件のせいでスケジュールがかなり押している状況だった。
「……行きたいのは山々なんだが……あー……明後日とかじゃダメか?」
「苺大福って賞味期限短いんだよ……昨日クール便で届いたんだけど、足が早くて日持ちしないから今日がいいかなぁ……と思ってるんだけど……」
あくまでも伺うように見てくるが、それは半ば強制のようなものだ。このおねだりしてくるような佐藤の表情を見てると、断りづらくなるのが汐見の常だった。
「あっれ~ま~た、佐藤がシオミンに絡んでる~」
「うっさい、橋田」
「えぇ~、シオミン冷たぁ~い。俺にももっと優しくしてよ~」
クネクネと体をくねらせて佐藤と汐見に絡んでくるのは、今年の3月に中途入社した汐見と同い年の橋田だ。おちゃらけた性格だが、かなり優秀で入社後3ヶ月も満たないのに今や開発部のエースである汐見の片腕と言える存在らしい。
その橋田は何かというと別の部署から足繁く汐見に会いにくる佐藤をからかうのが日課になっていた。
そして、当然のことながら、佐藤はこの橋田が苦手だった。
(俺の方が先に……汐見と仲良くなったのに……)
「……そういえば、苺大福って冬なんじゃないのか?」
「あ、うちは冬と今の時期にも出すんだ。露路栽培してる苺の旬は今の時期だから、甘いんだよ」
「へ~ぇ、そーなんだ~~。さすが佐藤甘味堂の息子!」
汐見の代わりに答えた橋田が汐見の肩に顔を乗せてにゅっと飛び出す。
(また! 気軽に汐見に触るなよ! 俺だって……!)
一瞬で不機嫌になった佐藤が、目を細めて橋田を見据えた。
「橋田さんは女子とランチにでも行ってくださいよ。俺は汐見と話してるんで」
「おうおう、どんだけシオミンを独占したいんだよ~佐藤~。シオミンは今日、帰り遅いぞ~」
「え? そうなの?」
「あ~っと、まぁ、そんな感じになりそうなならなさそうな……」
「そう……なんだ……」
こんなことなら誘う口実のために汐見の分だけ冷蔵庫に置いとくんじゃなくて、会社に持ってくればよかったと後悔した。だが、それは先には立たないものだ。
「……おい、橋田」
「ん? なんだ?」
「内部設計の大詰めは明日からだろ?」
「ん~まぁな~。今日は大まかに決めて、工数出して、見積もり概算して、チーム割りして、って感じになるんじゃね?」
「工数は俺が出す、お前は割り振りと見積もりちょっと出しとけ」
「え~! 俺、まだそこまでやってないんだけど?!」
「入社して半年になるだろうが。ってか、お前、前の会社でPMやってたんだろ? 俺より熟練者じゃないか、なんで隠してるんだ」
「えぇ~~……」
「明日から遅くなるのは大丈夫だから、今日は定時で帰る。よろしくな」
「は~~……シオミン、まじで佐藤優先制度すごくね? 2人付き合ってんの?」
「そういう問題じゃない……それに、今回の案件は佐藤がコンペでもぎ取って来たんだぞ」
「は~いはい。わかりましたよ。佐藤くんの慰労を兼ねて、って話ですね? じゃあ明日の仕事は俺の分も頼みますよ?」
汐見と橋田のやりとりはもうすでにツーカーだ。こんな時、佐藤は胸が痛くなる。
(俺、無理してでも情報系の学科に行くんだった……)
大学進学時に悩んだのだ。今勢いのあるIT業界のコンサルになりたいと思っていたため、実務で場数を踏むか、営業から上流工程に関わるかどうか悩んで、結局、情報系をガッツリやるのではなく経済学部で経営などを学びながら情報系をかじるだけに終始した。
理数系が苦手だったわけじゃないが、理系に進んだ他の級生と比較して、自分の劣等感が拭えなかったため、その道に進んだのだ。だが、その選択のせいで汐見と同じ部署にいて四六時中汐見を眺める機会を失してしまったことを激しく後悔していた。
(……あのとき、この会社で汐見に出会うと知ってたら……)
その逸失利益は神のみぞ知るところだったわけだが、それでも後悔することは後悔する。
「佐藤?」
無表情で汐見と橋田のやりとりを眺めていた佐藤に汐見が声を掛けると、やっと我に返った。
「あ、なに?」
「ってことだから、今日はそのまま、お前の家に行くわ。何か食うモノ買ってくか?」
「!だ、大丈夫!俺、昨日作ったカレーがあるから、それでよければ!」
「……また甘口か?」
「ち、違うよ! あ、甘口のルーと中辛のルーで別々に作ったから! 大丈夫!」
その流れを呆れて見ているのは橋田だ。
「お前らもう付き合えよ、ってかなんでお前ら付き合ってないんだよ」
「アホか。男同士でつきあえるわけないだろ」
ドスッ! と今度こそ、佐藤の胸に汐見の言葉の刃が刺さった。
(……そう、だよな……)
傷ついた表情を隠すように、佐藤は後ろを向くと
「じゃあ、あとで。5時でいい?」
「ああ、そうしてくれ。玄関ロビーで落ち合おうぜ」
「了解」
目元に滲む涙を拭うのを知られないように足早にその場を立ち去った。
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