011- 悲しき鳥 ー紗妃ー

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(!! 刺さ、れた……)  思った時には既に遅かった── (血、が────)  ゆっくりとオレの体から離れる紗妃。 「……あら? 、血よ……お腹から、血が出てるわ……」  血に濡れたハサミを持ったまま、紗妃はオレの腹を見る。  今しがた自分が刺したことすらわからない。 「紗妃……! 動くな、大丈夫、大丈夫だから……!」  オレは、紗妃の動きを制するように手で待て、と示した。 「、痛いの? 痛そうよ……ちょっとまって、今からに電話するわ」 「紗妃……!」  どこに電話するというのか。 (電話は繋がらないはずだ……!)  LIMEの男のアカウントは紗妃のスマホから消えていた。 (ついさっき確認、した……)  すると……オレのデニムのズボンの尻ポケットに入っているスマホが、無音でバイブ着信した…… (オレ……に! ……お前の中で【夫】は……! あいつ、なのか!!)  LIMEで音声通話を掛けながら、紗妃は歌うようにオレに告げる。 「ヨットハーバーが見える港がある場所にね、の別荘があるの。近々そこに住もうって言ってくれたのよ」 「……さ……」 「とっても綺麗なところ。写真で見せてもらったの。ふふ。そしたらね、彼と私の三人の子供たちも一緒に毎日楽しく暮らすのよ」  美しい顔、美しい声で歌うように話す紗妃は、恐ろしいほど綺麗だった。 「アメリカでもあのあたりはね、日本と違って湿気がなくて1年中過ごしやすいんですって」  紗妃はもう何も見えてもおらず、聞こえてもいないんだろう。  夢見るように頬を紅潮させ、オレには見せたことのない花のような笑顔を浮かべている。 (オレ()じゃない、男を想って……!)  オレは、紗妃の何を見ていたんだろう。  オレは、紗妃に何をしてやれたんだろう。  オレが、生涯を誓った女性はどこに消えたんだろう。  オレが──心と、魂を捧げた(紗妃)は、誰が連れて行ったんだろう──── (オレが、あのとき、ちゃんと……!) 「紗妃、もう、いいから……」 「もね、私と彼の結婚式には参加して欲しいの。とてもお世話になったから。もきっと喜ぶわ」 「紗妃……そうか、……わかった……」  オレは、紗妃から手元が見えないように自分のスマホを操作し、紗妃からのLIMEの着信をそのままに緊急通話で救急にコールした。  血が滲み出している部分をスマホを持ってない方の手で押さえるが、痛みで前屈みになってしまう。 「……服が、汚れたから……洗ってくる……頭、痛くないか? 紗妃……」 「ううん。大丈夫よ。、お腹痛いの?」 「……あぁ、ちょっとな……」  痛みを(こら)えて、洗面所に入る。ゆっくり動かないと出血が増える。  洗面台の鏡を見ると……先週、紗妃が買ってきてくれたVネックの白いカットソーのシャツを着ているオレの顔が苦痛に歪んでいた。  買ったばかりのシャツをおろす前、紗妃が笑いながら『あなただって、スタイルは悪くないんだからもっとお洒落してよね』と、オレの肩幅に当ててサイズを確認してくれたやつだ。 (おろしたてだったのに、な……)  脇腹のあたりに小さな、切り込みのような穴。  そこから、真っ赤な染みがじんわり広がっている。  シャツを脱ぐ体力すら惜しい。  近くにあった茶色いタオルを出し、上着をめくり、刺された腹に押し当てた。  ちょうどタイミングよく、洗面台の横にある洗濯機の上にガムテープが置いてあった。確か、昨夜掃除機を使わないで割れた食器を片付ける時に使ったやつだ。 (助かった……タオルの上から固定して……()がす時、痛いだろうな……)  オレの使っているハサミは文房具の中でも切れ味が鋭く、刃先がかなり尖っている。鋏身部(きょうしんぶ)は10cm程度しかないが、おそらく刃元まで腹部を刺して抜けたんだろう。  鋭い痛みがジクジクと腹の内部を()く。  ようやく繋がった電話を握りしめ 「……もしもし……救急車を一台、大至急で……脇腹を……刺されました……」 『もしもし?! 腹部を?! 大丈夫ですか!?』 「まだ……大丈夫です……あの……近くまで来たらサイレンと……赤色灯を消して来てもらえませんか?」  そう告げた──紗妃を刺激したくなかったから。  電話を切ると、急速に意識が遠のいていくのを感じた。 (ダメだ……紗妃を安心させて、ちゃんと、病院に連れて行かないと……)  ここでオレが倒れるわけにはいかなかった。  紗妃を、ちゃんとした専門の病院に連れていく。今度こそ────  バタン! 紗妃がいるリビングから大きな音が聞こえた。 「紗妃?!」  オレは慌てて、でも傷口が開かないようゆっくりとリビングに移動した。  紗妃は、食卓テーブルの真下に、倒れていた。  頭から血を流しながら────  ──それから後のことはあまり覚えていない。  灼けるような腹の痛みを(こら)えながら、頭から血を流す紗妃の出血を近くにあったクッションで押さえ、今か今かと救急車を待っている時間は無限のように感じられた。  後から人に聞いた話だと、オレは、担架に乗せられて運ばれる紗妃に寄り添うように救急車に乗り込んだ。らしい。  救急隊員に声をかけられたのを最後に意識が途絶え──  気づいたら翌日・金曜日の朝だったのだ。
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