237人が本棚に入れています
本棚に追加
015 - 事情聴取
「とりあえず、今回は簡易的な任意の事情聴取、という形になります。よろしいですか?」
「はい」
「あなたには黙秘権と拒否権があります。ただし、嘘の報告などが発覚した場合、後日、偽証罪あるいは詐欺罪に問われることがあるのでその点は気をつけて話してください」
でかくて厳つい男が前口上のように述べたその文言で汐見の身が引き締まる。でっぷり腹の方が上司なのだろう、でかい男の方がメモを取り出して筆記と聴取の姿勢をとる。
「では、汐見潮さん、救急車で運ばれる前に貴方を見ていた第三者がいたのは木曜日の何時ごろですか?」
でかい男の思った以上に丁寧で穏やかな口調に佐藤は驚いた。
「……たしか……午後3時半くらいだったと思います」
「なるほど。救急車で運ばれるまで、かなり時間が空いてますね。それはどこだったんですか?」
「会社です。3時ごろに会社で上司に呼び出されて、帰るよう促されました」
「? 退社するには早いですね、どうしたんです?」
「……会社に……内容証明郵便が届いたからです」
佐藤はここで脳内に再度、疑問符が飛んだ。
(内容証明? 会社に? というか、その日の午前中、俺ら自販機前で会ったよな……)
案の定、でかい男はでっぷり腹と顔を見合わせて訝しみ、再度聞き返す。
「? 会社に?」
「はい。内容を確認して連絡するように言われたので早上がりするよう指示されました」
「? その場で確認すればよかったのでは?」
(そうだよな。なんでわざわざ……)
「いえ……その内容証明は紗妃……妻宛てだったので」
「えっ!」
思わず声が出た佐藤は慌てて口元を抑えて「す、すみません」と謝罪する。一瞬2人組は佐藤を見たが、また汐見に向き直る。
「? なぜ奥さん宛ての内容証明があなたの会社に届いたんです?」
「……妻の元いた会社だから、だと思います……」
最後の方は、呟きつつ俯いていた。
「そうでしたな。奥さんとあなたは職場結婚だ。しかし……たしか、奥さん専業主婦では?」
でっぷり腹が持っている情報で合いの手を入れる。
「そうです……去年、退職しました……」
「なぜ去年退職した奥さん宛ての郵便が、前職の勤め先とはいえ、あなたの会社に?」
「……脅し……だったのだと……思います。あるいは僕に知らせるために……」
暗い表情を隠すように俯いていく汐見に、佐藤は思わず声をかけたくなるのを堪えるのに必死だった。
焦れたでっぷり腹がハンカチでこめかみの汗を拭きながら少し大きな声で
「? 要領を得ないですな。その内容証明郵便はどういう内容だったんです? 貴方には黙秘権があるし、奥さんの話なら言いたくないことも多いでしょう。しかし、ここはできれば正直にお話し願いたい」
そう問うと
「……通知書、でした……」
汐見が、らしくない、か細い声で答えた。
「通知書? 何の?」
「慰謝料の請求です」
(あっ!!)
事ここに至り、佐藤は自分が木曜日の夜に得た情報と汐見の供述している内容の符号を合わせてしまった。
(こんなに早く!?)
佐藤が同期の坂田から情報を得たその日のうちに内容証明が届いていた。ということは思った以上に迅速に不倫男の妻・女社長が動いたということだ。
つまり、それだけの逆鱗に触れたのだ──〈春風〉は──
「奥さんに慰謝料? 奥さん何かしたんですか?」
不審がる刑事二人組と、消沈した汐見の顔。
もうこれ以上聞いてくれるな! と佐藤は叫びたかった。だが───
「……妻が……」
汐見は唇を引き締めて顔を上げ、でっぷり刑事の目を見据えた。
「不倫を……して、いると……」
(あぁ……汐見……お前……!)
思わず声を上げてしまいそうになった佐藤は、必死で唇を噛んだ。
「……なるほど……奥さんが不倫している相手の配偶者から、ということですか?」
大男が冷静にメモを取りながら汐見を抉る質問で問い返す。
「……そうです……」
「なるほど……で? 3時半に会社を出たんだとしたら4時くらい? には帰宅した感じで?」
横柄な態度のでっぷり腹がメモをとっている大男の代わりに聞き出す。
「そうです……」
「奥さんと、話し合った?」
「はい……ただ、4時に帰宅した時に妻は家にいなくて……紗妃……妻が帰ってきたのは6時前でした」
「……では6時に奥さんが帰ってきてからは?」
「落ち着いてから話をしようと思って、2人で夕食を食べて、妻は風呂に入って、そのあと内容証明を渡しました」
「……二人でそれを見て、言い争いになった奥さんがカッとなって貴方を刺したので、殴り返した?」
でっぷり刑事が居丈高に自分の憶測で一足飛びに結論を出す。
「……刑事さんはそう推測してるんですね」
「まぁ、男女の揉め事で双方が外傷を負っている場合、被疑者として真っ先に疑うのは男性の方ですからな」
でっぷり腹はよくあるパターンだとでも言うように、被疑者は男で被害者は女だと決めつけてかかっている。
「……そう……ですか……」
「で? 私の推測が当たっているならそのまま進めますが。そうではない、とおっしゃりたいようですな?」
「はい」
鷹揚に聞き返すデカい腹に対し、汐見は表情を引き締めて答えた。
「話し合いをしたんですか?」
「話し合いをしようと……僕は思いました、が……」
「……奥さんがまた錯乱した?」
「はい……」
(錯乱?! また……って……どういうことだ? この2人は何を知ってるんだ? )
刑事との会話は一応形としては簡易な事情聴取という名目になっている。
今自分が会話の間に入って聞くことではないことは分かっているが、それでも佐藤は聞き返したかった。
(錯乱……〈春風〉が……)
「は~っ。貴方は我慢強いのか、奥さんへの想いが強いのか、どっちなんですかねぇ?」
「……多分、両方なんだと思います……」
「!!」
それは、佐藤の心臓を抉る言葉と表情だった。
汐見は本当に紗妃を、妻を愛している。
それは、佐藤も十分にわかっていることだ。だが────
(オレは……そんな汐見、を……)
そう考えるのも仕方がないと佐藤は思う。
誠実で実直で努力家で、何をおいても妻を大事にしようとする夫。
その夫を裏切って不倫をし、挙句、危害まで加える〈春風〉という女性が本当に理解できず、呪わしい。
汐見を裏切るなら、その場を代わって欲しかった。
自分が紗妃のいる場所──汐見潮の隣──にずっと居たかった。
は~っと、でっぷり刑事は呆れたような口調で再度ため息を吐き出すと、その重そうな腹を揺すった。
「わかりました。で? 錯乱した奥さんに刺されたのは? 後ですか? 先ですか?」
「? 何が? ですか?」
「奥さんの頭部の外傷です。まぁ、でも頭部に外傷を受けてからハサミで刺すってのは考えにくいですな……刺されてから逆上した貴方が殴ったと見るのが自然か……」
「……僕は、何もしていない……」
決意の表情でそれだけ述べると、汐見の目は座っていた。
「……それを証明できる人はどこにいます? 貴方と奥さん二人だけの住居でしょう? その場にどなたか居たんですか?」
ちらっと汐見がようやくここで佐藤を見た。
だが佐藤はその場面を見ていない。見てはいないが、汐見がやってないことだけは、わかる。
(……汐見がやってないと断言できる。だが、現場にいなかった俺には証言できない……)
汐見からすると第三者的立場でない佐藤が汐見の無実を述べたとしてもその証言の証拠能力は低い。
だが、一昨日の夜、汐見と別行動で大学の同期と飲みに行った時に得られた情報が一足早ければ、汐見はこんな事態に陥らなかったのではないか──そう思うと、時間を巻き戻したくなる。
そう思った佐藤が声をかけようとすると
「佐藤、ちょっと協力してくれ」
「え?」
そう言うと、先ほどから汐見の手に握られていたケーブルを渡した。
「コレは……テレビに繋げるケーブルだ。これをテレビの後ろのHDMI端子に繋いでくれないか」
「??」
そう言うと、白くて少しこじんまりした変換アダプタに繋がれた、長くて黒いHDMIケーブルを渡された。汐見は刑事に向き直る。
「これを……お二人にお見せするのはとても不本意です……ただ、こうでもしないと紗妃を……妻が心配だったので、刑事さんたちが二回目にいらした後、設置しました」
「!!」
「「?」」
不審がる2人の刑事に対して、佐藤はまたしても驚きの表情で汐見を見た。
(2回目!? どういうことだ?!)
佐藤は聞きたいことが多すぎて脳内にメモを取りたかったが、ひとまずテレビ背面のHDMI端子にケーブルの終端を挿し込む。もう片方の終端を汐見に渡すと、汐見はさらに病院服のポケットから薄いカードを佐藤に渡した。
「これ、テレビの横にあるボックスに差し込んでくれ」
それは、テレビの電源を入れるプリペイドカードだ。午前中、柳瀬とナースステーションで一旦別れた時に買っておいた新品。購入する値段によって視聴時間が変わる。10分100円のそれを念の為、約3時間分を二千円で購入しておいた。
「……」
刑事2人組も何が始まるのか、少し戸惑いながら顔を見合わせる。
すると、程なくテレビに電源が入り、リアルタイムの民放チャンネルでトーク番組が流れ出した。
汐見は慣れた手つきでHDMIケーブルのもう片方の小さな終端端子を自分のスマホに挿し、手元のテレビリモコンを操作して入力を切り替える。
その瞬間、4分割された少し荒いカラーの画面が表示され、それを見た大男が即座に言った。
「監視カメラ、ですね?」
「そうです」
「!!」
最初のコメントを投稿しよう!