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汐見が刺された凶器が表示されたところで一時停止して拡大され、その後を多少コマ送りで進めて、汐見自身が刺されるところで画面が一時停止、されている───
大男が自身のスマホを取り出してその画面に向けてシャッターを切った。
佐藤はその映像を直視していられず、目を伏せたままだ。
(あんな……)
ハサミだって刺されれば痛い。今だって痛いはずだ。なのにそれをまるで他人事のように状況を淡々と説明してみせる汐見が信じられなかった。
自分が刺された被害者なら、そんな冷静に供述できないだろうと佐藤は思う。
「このあと、どうやって救急車を?」
「映像を見てもらえればわかるんですが……」
そう言いながら、汐見はスマホを操作して少し進めた後また一時停止し、自分の手元が映ってる画面を選択して拡大表示した。
「このとき、僕は妻に隠れて自分のスマホで救急車に電話をかけてました。そのまま、洗面所に向かってそこで……」
「ちょっとその手元部分、もう少し拡大したまま再生してください……」
そういうと再び映像が再生され、大男が今度はスマホを撮影から録画に切り替えて撮影を開始する。
拡大再生された画面に映し出された汐見の脇腹部分の白いシャツには、じんわりと赤いシミが滲んできていた。
(汐見が刺された場面なんて……)
佐藤は目を逸らしたかった。
実際に現場を見ていない佐藤が汐見を擁護する発言ができるはずはないが
(見ていられない……けど……)
映像を確認し警察とも情報を共有した方が良いと思い直し、直視する努力をした。だが、痛々しい汐見のその姿を見ていると頭がズキズキと脈打つ。
「刺されたあと、妻は『彼』に電話すると言ってスマホのLIME通話をかけたんです」
そう言って、今度は紗妃の方をズームアウトするとスマホを耳に当てているのが確認できた。
「まぁ、その不倫男のLIMEのアカウントは消えてるのを確認したし、電話は繋がらなかったんですが……」
「? でも、電話、してますよね?」
「ええ……」
「どういうことです?」
「……妻は……LIMEに【夫】と書かれたアカウントに掛けたんです」
「? ではあなたに?」
「はい……」
「??」
(どういうことだ?)
佐藤だけでなく他の二人も思った。
汐見は無表情のまま動画を一時停止すると、向き直った三人が理解できるようにゆっくりと解説した。
「……電話は繋がらない、男のLIMEのアカウントも消えている状態で妻が掛けていたのは……【紗妃の夢想した世界にいる『夫』】です……」
「!!」
佐藤は一瞬で、走馬灯のように思い出した。
〈春風〉がイソスタグラムに投稿していた【#夫と】【#大好きな夫と】の2つのハッシュタグを。
「……奥さんのLIMEにある貴方のアカウント名は……」
「【夫】としか……僕は自分の写真をLIMEのアイコンに使っていないので……」
「「「……」」」
聞いている3人は最早、沈黙以外に汐見に返す言葉が見当たらなかった。
〈春風〉の症状は思っている以上に深刻かつ複雑で、困難な状況なのではないかと佐藤は感じた。だが、それを今の汐見に伝えてもいいものかどうか躊躇う。
「奥さん、1人で何か喋ってますね。これ、聞こえないですか?」
「ああ、他のデータが……」
そう言って汐見がスマホを操作しようとすると、それを制してでっぷり腹刑事が先を促す。
「いや、とりあえず、動画の方を最後まで観てみましょう。録音された音声は別のデータでしたな?」
「はい……そちらはまだ僕も確認はしてないんですが……」
「いいです。なら、そちらは後で一緒に確認しましょう」
とりあえず、そのままリビングの状況を動画で確認することにした。
刺されてしばらくすると汐見が体をゆっくりと折り曲げていく。その際に、汐見が持っていた書類が落ちて散らばった。その後に、腹を押さえて体を折り曲げながら汐見がゆっくりとリビングから出て行くのが見えた。
その間も、紗妃は天井を見上げたり、俯いたり、キョロキョロと目を彷徨わせ、口をぱくぱくさせながら周りを見渡しつつ歩き回っていた。
そのうちにぐるぐると歩き回る速度が速くなり、そして──
足元にある紙を踏んで転倒し───
ガッ!
食卓テーブルの角に頭をぶつけた。
バタン!!!
声を拾えないマイクにすら聞こえるほどの大きな音を立てて──
「「「!!」」」
「……」
紗妃は、倒れた。
踏んでしまった書類はA4サイズの通知書か何かだったはずだが、間にカラー写真が挟まっていて滑りやすくなっていた。その書類を踏んだ瞬間にバランスを崩して転倒し、その拍子に頭をテーブルにぶつけて。
画面で見ていてもわかるほど──テーブルの角にぶつけた拍子で頭が跳ねたのがわかるほど──の衝撃だった。
紗妃の頭部外傷は完全に不運な事故だった。
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