ー 悲しい小鳥 ー

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 紗妃が焦点の合わない目で、テーブルを見つめている。  それから───彼女の声が聞こえ始めた。 『そう、そうよね。私が結婚してしまったのがいけなかったんだわ。だって、隆さんは必ず離婚するから、それまで待ってて、って言ってたもの』  少し高めの紗妃の声。隆とは、【夢の中の夫】であり現実にはW不倫している既婚者の【彼】 『でもそうするとママとの約束が守れなかった。だってママは24までに結婚してねって言ってたもの』  先の声とは少しトーンの違う落ち着いた声。 (? 誰だ?)  佐藤だけでなく、刑事2人も顔を見合わせる。そしてまた可愛らしい紗妃の声。 『でも、隆さんが今僕は妻と不仲だから、君との逢瀬(おうせ)が生き甲斐なんだって言ってたわ』 『でも隆さんは、私が24までに離婚するのは無理だって言ってた……』 (!? 2人?)  佐藤が汐見を伺うと、同じ画面を観ている汐見がみるみるうちに青ざめていく。 『待ってればよかったのよ、だって、隆さんしかいない!って思ったじゃない。あんただって、私を解ってくれるのは隆さんだけだ!って思ったでしょ?』 『そうだけど、でもママが……』  汐見が驚愕に目を見開く。それは常に強面のままあまり表情を表面に出すことのない汐見には稀有(けう)な状態だ。  顔面から血の気が引き、その顔色は過去最高に悪い。 「汐見……これ……」 「……」  画面に映っているのは汐見潮の妻・紗妃1人。  だが聞こえてくる音声は2人。  いや、正確にはちゃんと紗妃本人の声だ。  だが、この映像を観ている人間には、どう聞いてももう1人いるほどの臨場感を感じさせる。 「……解離性(かいりせい)同一症(どういつしょう)……」  でっぷり刑事が画面を見ながら呟くと、それを聞いた汐見が、ゆっくり、観念したように頷いた。 「かいり、せい?」  意味がわからずに呟いた佐藤に 「……今は現場ではあまり使われませんが、以前は【多重人格障害】と呼ばれていた精神障害です」 「!!!」  大男が冷静に答えた。  佐藤が汐見を確認すると、汐見は画面を呆然と観ていた。 「……マルセイで、確定か……」 「……そう、ですね……」  その間も、画面上では『2人』の会話が続く。  汐見はもう限界に感じられた。 (まさか……【これ】が……何度も……?!)  様子を見ていた大男が、汐見の状態を(かんが)みて 「ちょっと一旦止めましょう。汐見さん、大丈夫ですか?」  映像を一時停止するように言った。 「……だい、丈夫、です……」 「奥さんの、この状態は……」 「……」 「汐見……」  音がほとんど聞こえない動画を観ている時はほぼ無表情だった汐見が、この音声を聞く前からおかしくなっていた。  つまり、それは (このせい) だったのだ。  佐藤が提案する。 「……後半のこの部分だけ、後日、ではダメでしょうか? このままでは……」  刑事2人は目を合わせて相談している。しかし汐見は 「いえ、大丈夫です。今やりましょう」  気丈にも、後日やる提案を拒否した。 「汐見……」 「大丈夫だ、ありがとう佐藤。その……お前の肩、(つか)んでていいか?」  汐見が佐藤に縋るように小さな助けを求めた。 「!! あ、ああ! もちろん!」 (あぁ、汐見!)  汐見のささやかな要求に佐藤は胸が張り裂けそうになる。  もっと頼って欲しいのに、汐見は絶対に寄り掛かったりしない。  自分は立ったまま、少しだけ肩を貸してくれと、そんな些細なことしか望まない。 「すみません、何かに捕まってると安心できるので、この姿勢でもいいですか?」  誰かに触れていると安心できる。それはオキシトシンが分泌されるからだ。恐怖や不安を感じたりする時、その感覚を欲するのは人間としての本能だった。 「それは、構わんが……後日でも」 「いえ、向き合うべき時が来てたんです。僕も、妻も。誰かに立ち会って観てもらえる方がよっぽど……気が楽だ……」  眉を寄せている大男の方が汐見に話しかけた。 「……わかりました。何かあったらすぐに言ってください」 「はい……」  でっぷり……米山は、改めて汐見に向き直り、質問した。 「今この質問をするのは酷なのはわかる……あえて、聴きますよ。この画面上で、奥さんはお1人、なんですな?」 「……はい」 「「「……」」」  暗い表情で汐見は答えた。それは聞かれることを想定していた質問だったからだ。  だから、素直に付随(ふずい)情報も付け足して返答した。 「かかりつけの内科医には、きちんと【専門医にかかるように】と、再三言われてました」 「で、奥さんは……」  汐見は、少し深く呼吸をすると、刑事に目を合わせて告げた。 「絶対に嫌だと……私は病気じゃないと……そんなところに連れて行って自分の心を(のぞ)こうとする医者の診断を聞くくらいなら……僕を殺して自分も死ぬ、と……」 「「「……」」」  汐見の苦悩を垣間見たような気がした刑事2人は視線を合わせ 「わかりました。では、続きを観ましょう。ただし、無理だとわかったらその時点で今日は引き上げます」 「……汐見さん、それでいいですか?」 「はい……」  そう言うと、動画は一旦、最初まで巻き戻され、再び再生された──
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