017 - ICU 〜 小鳥の記憶 〜 診立て

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017 - ICU 〜 小鳥の記憶 〜 診立て

    ◇◇◇◇◇  日曜日の朝。  佐藤が起きるとライトグリーンのカーテンを隔てた向こう側では汐見の検診が始まっていた。  佐藤は昨夜の睡眠不足のせいで爆睡し、誰かが個室に入って来ているのに気付いたのは問診が始まってからだった。 「うん、バイタルも安定してますね。痛みはもう?」 「痛むことは痛みますが……それほどでもありません」 「抗生剤は今日はあと1回だけにしましょう。あまり入れすぎるとアレルギーになったりするので」 「わかりました」 「それと……」  佐藤が静かにカーテンから覗くと、汐見が退院後の経過や退院した後のスケジュールの説明を医師から受けているところだった。この1週間は休めるなら休んで安静にするように、などの諸注意も忘れない。  (でも多分、汐見は無茶するんだよな……俺が見張っとかないと……今日であらかた必要なもの買い出しに行って、明日は俺も休んで……)   佐藤は、特に問題なさそうな会話に胸を撫で下ろし、勝手に自分が汐見を看護する予定を立てていた。  医者が説明し終わりそうになった頃、佐藤に気づいて目配せする。 「汐見さんのご友人、の方ですよね?」 「あ、はい」 「この方が退院後にすぐ無茶しないように少し見守ったり、できます?」 「!」  思わず目を見張ったのは汐見の方だった。家に帰ったら早速部屋を片付けてデータの整理をして、などと考えていたからだ。  察しの良い医者は、おそらく柳瀬から我慢強い性格だとか、なんらかの情報を得ていたのだろう。 「あの……休養してる間にやった方がいいこととか逆に良くないことがあればお聞きしたいのですが……」  佐藤が汐見の嫁のような質問をしたのを見た佐々木医師は再度汐見を見て、すっと目を細めた。 「そうですね、とりあえず運動は厳禁です。後、シャワー時もまだ傷口を保護しないといけないですし、お腹に力を入れないようにして欲しいってことと……」  佐藤はスマホを捕まえてメモを取り出した。 「食事で食べたらいけないものとかは……」 「退院後3日程度はあまり胃腸の負担にならないものを。木曜日には一度経過を診たいので病院まで来てもらって。多分、一人ではできないことも色々あると思うので、お手伝いできるどなたかがいればいいと思いますが、奥さんは……」 「あ、僕がやる予定です。な、汐見」 「は? いや、別にオレ1人でも大丈夫……」 「家で1人のときに何かあったらどうするんだよ」 「そうですね。奥さんはまだ退院は難しいと思うので……」 「やらないといけないことが……」  汐見が佐藤を見返して不満気に言うと 「だから。そういうことを今はしないでください、と言ってるんですよ。汐見さん」  佐々木が機先を制した。  このやりとりで佐藤が汐見に付き添って面倒見る権利を得た事が確定した。医者お墨付きなら、簡単に追い払うこともできない。  佐藤はとりあえず汐見に聞いた。 「俺がお前の家に行った方がいいか? 俺の家でもいいけど」 「データの件もあるから家には帰らないと……」  正直、刺された時の記憶がフラッシュバックしそうだった。  佐藤が一緒にいてくれるとしても、あんなことがあって数日しか経っていない自宅に(こも)るのは躊躇(ためら)われた。 (それに……オレの家だと佐藤に負担がかかりすぎるだろ……)  それなら、一時的に佐藤の家に世話になった方がいいだろう、そう考えた汐見が質問した。 「お前さえよければ、お前の家に泊めてもらうってのは、大丈夫か?」 「! 当たり前だろ、何遠慮してんだ!」  佐藤が満面の笑みで答えた。 「良かったです。では、僕はこの辺で……」  そう言って立ち上がった医者が個室を出て行こうとしたとき、急に柳瀬が入って来た。 「先生……!」  何事か担当医師の佐々木の耳元に告げていた。 「ああ、そうか……うん」 「どうしましょうか……」 「……本人に聞いた方がいいな」  柳瀬が不穏な顔つきで汐見を見ると、汐見は嫌な予感に心臓を鷲掴(わしづか)みにされた。 「あの、汐見さん……奥さんの意識が戻ったそうです」 「「!!」」  佐藤が汐見の方を見た。互いに驚きの表情で一瞬見つめ合う。 「どうします? 会われますか?」 「そ、れは……」  柳瀬も心配そうに汐見を伺う。 「……先日、お伝えしていなかったんですが……奥さん、病院に運ばれてきて、汐見さんがまだ薬で眠っている間に一度、意識が戻ったんです」 「え?!」  続けて柳瀬が、意を決したように告げた。 「僕が、【他の診察】が必要とか言ったの、覚えてます?」 「そう、でしたっけ……」 「今回、奥さんにお会いしたらわかると思います……」  様子を見ていた長身の医者がのっそり揺らめいて柳瀬に問う。 「精神の原口先生は?」 「今日は8時半出勤なのでもういらっしゃるかと」 「じゃあ、俺もちょっと診察時間ずらしてもらって立ち会うわ」 「そうですね、お願いします」  わずかに眉根を寄せた柳瀬は汐見と佐藤に視線を合わせながら言った。 「とりあえず、朝食を食べたら連絡下さい。一緒にICUに行きましょう。その……佐藤さんも、来られませんか?」 「……汐見が良いなら……」  佐藤の目には汐見が動揺しているのが明らかだった。他人には無表情に見えるような何も写していない顔で汐見がスッと佐藤を見やった。 「佐藤……頼めるか?」 「それこそ当たり前だ。なんで俺がわざわざ病院まで来て泊まり込んだと思ってんだ」 「そう、か……すまん……」  そもそも、入院中の友人に付き添って病院に泊まり込む方が普通じゃないのだが、今の汐見はそこまで気が回ってない。 (柳瀬って看護師には気づかれている様子だし、この医者も。態度からもしかしなくても柳瀬から何らかの情報を得ているのかもしれない。 (なら、話は早い)  そう思い、佐藤はICUまでの付き添いを買って出た。  朝食を食べ終わると、ICUに男4人が連れ立って向かった。    ◇◇◇  家族用控室のガラス越しに、紗妃のベッドの隣に立つ華奢な白衣姿が見える。  厳重な二重扉になっているICUのドアのすぐそばで受付を済ませると、4人で紗妃のベッドまで行くと (顔色は悪くないようだ……)  汐見も佐藤も同時に同じことを考えていた。  だが、紗妃の方は不安そうにキョロキョロと周りを見回している。  そして──── 「あ、ほら、来たみたいですよ」 「え?」  (かたわ)らに立っていたのは白衣を着た女性で。  あんな事があったのに、紗妃は何故かキョトンとしている。 「はじめまして、精神科の原口です。今回、奥様の方を担当させていただくことになりました」 「……はじめまして……紗妃の夫の、汐見潮です」  表情が強張る汐見と対照的に、【精神科】の原口と名乗った女性医師は紗妃に向き直り、にこやかに話しかけた。 「紗妃さん、このお二人ですよ」  原口と自己紹介した女性医師が、紗妃に向かって声を掛けると 「……しぁない……だぁえ、このおじさんたち……」  紗妃の口からは、舌ったらずなあどけない口調が飛び出した。
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