017 - ICU 〜 小鳥の記憶 〜 診立て

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「汐見?」  一瞬で硬直した汐見に気づいた佐藤が声をかけた。 「……あきひこ、さん、が……」 「おじちゃん、あきにいちゃんと、しぃあい?」  その人物は、汐見の記憶に新しい男性だった─── 「……うん……知り合いだよ。あきにいちゃん以外に覚えてる人、いるかい?」 「いがい、ってなぁに?」  今の紗妃がどういう状態なのか、専門家でない汐見にはわからなかった。だから、原口の方を見た。 「先生、紗妃は……」  原口の方は、汐見の担当医を向いて声を掛けた。 「……佐々木先生?」  原口の質問の意図を察し、担当医の佐々木が答える。 「あぁ、旦那さんの方は正常だし、もう大丈夫。明日退院させる予定だ」 「そうでしたか」  佐々木が、紗妃のベッドの脇にしゃがみ込み、紗妃と視線を合わせる。 「紗妃さん。汐見っておじさんもな、同じように怪我してこの病院に来たんだ。ここでただ1人、君を知ってるおじさんなんだ。原口先生とお話するとき、このおじさんも一緒じゃダメか?」  白衣を着たもう1人の医者の発言を聞いた紗妃が不安そうな顔をして原口の方を見たので、彼女が応えた。 「大丈夫。怖いおじさんはここにはいないからね」 「ほんと?」 「うん、ほんと。怖かったら私とお手てつないでおこうか?」 「……うん」  微笑んだ原口医師が、佐々木と反対側で紗妃のそばにある椅子に座った。 「そうね、紗妃さんはお利口さんみたいだから、私のいうこと一つ聞いてくれたら、この飴玉あげちゃおうかな。聞いてくれるかな?」  そう言うと原口は白衣のポケットから取り出した『いちごミルク味の飴玉』を紗妃に見せた。 「きく! さき、そぇ、だいすき!」  ぱあぁっ! と笑顔の表情を見せた紗妃に、汐見が哀しそうな顔をした。 「そう? 良かった。じゃあね、ちょっと準備をしてから、私と、そこのおじさんと……えっと」  そう言って、佐藤の方を伺った。 「あ、申し遅れました。僕、汐見の友人の佐藤と言います」 「佐藤さん、汐見さんに付き添って昨夜は泊まっていただいてたんです」  すかさず助け舟を出した柳瀬に佐藤はペコ、と小さく頭を下げた。 「そうでしたか。えっと、じゃあ、そこの、『汐見』っておじさんと『佐藤』っておじさんと私。この3人とお話、できるかな?」 「……ぶったぃしない?」 「ぶったりする人はここにはいないよ」  柳瀬がやさしい柔らかな声と微笑みで紗妃に答えると、紗妃はへにょっと表情を崩して 「だったぁいいよ。さき、おはなしすぅ、できぅ」 「そう。紗妃さんはえらいね。じゃあね、ちょっとお部屋を移動したりとか、やることあるから、準備ができたらもう一回、ここに来るからね。ちょっと待っててくれるかな?」 「わかったぁ……はぁぐちせんせぇが、くぅんだよ、ね?」 「そうよ。私が紗妃さんの先生だからね」 「うん。じゃあ、さき、まってぅ」 「オッケー。じゃあ、また後でね」 「うん!」  そう言うと、原口医師が横目で目配せしつつ、他の男ども4人も一緒に出て行くよう指示されたが 「ちょっと、まって。……しおみ、おじさん?」  汐見だけ紗妃に呼び止められた。 「……どうした?」 「さきね、おじさんとあったことあぅようなかんじすぅの。でもね、おもいだせないの」 「そう、か……」  出口に向かって歩いていた佐藤が振り向いた視界に、哀しげに笑う汐見の顔が飛び込んできた。 「でもね、さき、おじさん、こわいひとじゃないってわかぅよ」 「……」 「さきね…………うぅん、あとでね、おはなししようね」 「そうだな、うん……」  あまりにも残酷な事実に打ちひしがれ、内心の暗澹(あんたん)たる思いを抱くも、それを表面に出すことすら(はば)かられた。  こんな小さな紗妃に、何を話せばいいんだろう。何を聞けば良いんだろう。 (オレに……今の紗妃に……何ができるんだろう……)  紗妃を残し、2人の医者と1人の看護師、そして2人の男はICUを後にした。    ◇◇◇  ICUを出て、ナースステーションで柳瀬とは別れ、2人の医者に先導されるまま佐藤と汐見がエレベーターホールまで歩いていると、原口の方が話しかけてきた。 「えっと……汐見さんにはそのまま私の診察室まで来て欲しいんですが、そちらの……佐藤さん? はどうしますか?」 「え?」  先ほど、紗妃と話した時、汐見と佐藤も一緒、という話だったが、どういうことだ? という表情で返すと 「ご家族の事情とかそういったことも全部お聞きすることになると思います。話せる範囲で良いんですが……彼女がああなってしまった以上、紗妃さんご本人から聞けることと聞けないことがありますので」 「……あの、紗妃は、今……どういう、状態なんでしょうか?」 「そういったことも含めて、診察室でお話したいと思います」  話を進めている原口と汐見の会話を聞いていた佐藤が 「え、と、その。僕がいると……」 「部外者が立ち会う前例は少ない。家族ならまだしも、佐藤さん、あなたは一応他人ですから」 「!」  自分と身長がそう変わらない佐々木医師に言われて、佐藤も思い至る。 (そうだ……俺は『家族じゃない』……)  その事実に佐藤は立ち返り、愕然(がくぜん)とする。  どれだけ佐藤が汐見と夫婦になりたいと思っても、男同士では夫婦にはなれないのが今の日本の現実。 (家族に、なりたい……汐見の……そうだ、汐見は? 汐見は自分のことを聞かれるのを嫌がるだろうか?)  ちら、と見やると、汐見は毅然(きぜん)とした表情で佐々木に答えた。 「佐藤は僕にとっては家族同然です。後で原口先生にもお話ししますが、僕には紗妃以外、身内がいません。そして、紗妃以外に頼れる人間は佐藤以外にはいないので……もしよければ、佐藤にも同席させてもらえませんか?」  汐見は覚悟を決めていたようだ。だが 「本来、医療の現場はかなり繊細(せんさい)な情報を扱うところなので、家族や親族以外の方の立ち入りはご遠慮しているのですが……」  口元に片手を当てて原口医師は考え込むと 「まぁ、そうだな。でも、奥さんがああじゃ、他にどうにもならないんじゃないか?」  佐々木医師が佐藤に助け舟を出した。この人は味方なのかなんなのかよくわからない。と佐藤と汐見は思った。 「ちなみに……どういったご関係で?」 「あ、会社の同僚です。7年以上の付き合いで」  そう少し誇らしげに言い切った佐藤を見て、汐見が、くくっと小さく笑って目で会話をする。 (自慢することか、それ……) (なんだよ。本当のことだろ……)  互いに一言も発していないが、その以心伝心のやりとりを見ていた医者2人は苦笑した。 「ま、いいでしょう。特別に。ただし、今回佐藤さんが汐見さんの診療に同席したことは他言無用でお願いしますね」 「わかりました!」 「じゃあ、診察室まで案内します。あ、佐々木先生はもうよろしいですよ」 「わかってるよ。てか、俺の診察もそろそろ始まるから1階に行くんだって」 「あ、そうでしたか」  医者同士だと、こうもドライなんだろうか。と思えるような2人のやりとりに思わず佐藤と汐見は顔を見合わせた。  彼女のその姿は男性と見間違うようなものでは無いのだが、白衣の下に来ているスラックスや歩きやすそうなシューズなどが、女性性を完全に払拭していた。 (なんか……異性を感じさせないと言うか……)  その、原口医師の不思議な(たたず)まいに佐藤と汐見は心地のよさを感じていた。
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