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1階にあるロビーで佐々木医師とは別れ、さらに奥の方へ奥の方へと原口に先導されるまま佐藤と汐見は歩いていた。
ようやく『心療内科』と書かれた診察室の前に辿り着くも、さらに奥の方に『精神科』と札の貼られた診察室があり。その扉をノックもせずに原口はガチャリと開ける。
「戻りました」
「あ、は~い」
出てきたのは若い女性の看護師だった。
「予約は何時から?」
「10時、ですね。あと1時間はない、くらいですかね」
「了解。じゃぁ、え~と、汐見さん、こちらにお座りください。佐藤さんは、そっちにあるスツールを使用してもらえますか?」
「あ、はい」
言われて、汐見が診察用の椅子に座ると、その向かいに原口医師が座る。
招かれて入った部屋は普通の診察室と雰囲気が異なっていた。通常の診察室にあるような無機質の机でなく、明るい木目調のテーブルが置かれ、汐見が座るよう指示された椅子も木目調のゆったりした座り心地の良い物だ。横になれるベッドも奥の方に置かれているが、家庭にあるような寝台だった。
(診察室って言うより、なんか……)
通常の診察室とはだいぶ趣が違う。無機質をイメージさせる病院とは違って──どこかの家庭に上がり込んだような雰囲気が漂っていた。
「あ、うちの病院ではこの科だけ『家庭』をイメージした造りになってるんですよ。他所は知らないんですが、患者さまが警戒したり萎縮しないように、という意図で」
「はぁ……」
そう言って原口はノートとペンを取り出し──質問が始まった。
「とりあえず、略歴からお伺いしますね。これは基本的な質問事項ですので、リラックスして。お答えできる範囲で良いですよ。汐見さんご自身のご家族……ご両親や、ご兄弟は?」
そう言って汐見自身の家族構成を聞かれ、汐見はちら、と佐藤を見た後、居住まいを正してそのまま原口医師に向き直った。
「……僕は、両親を早くに亡くして、本州の南の方で、父方の祖母に引き取られて育ちました」
(え?! そ、それは聞いたことないぞ……?!)
7年以上の付き合いなのに、初めて聞く家族の話に佐藤は戸惑った。
「ご両親が亡くなったのはいつごろです?」
「父は、僕が生まれてすぐ。母は5歳の時です。それまで、母方の親族のお世話になってました」
佐藤が聞いたことのない情報が初めて目の前で詳らかにされていく。それは汐見の来し方───
「なるほど……おばあさまの家に引き取られたのは、いくつのときですか?」
「7歳の時です。ちょうど誕生日あたりでした。それから、高校を出るまではずっと祖母と2人で暮らしていました」
(そうだったのか……)
おばあちゃんっ子は物あたりの良い穏やかな性格をしていることが多い、とどこかで聞いたことがある。
「高校を出るまで? 高校を卒業後は? 汐見さん自身とおばあさまは?」
「僕は……奨学金……がもらえることになって……東京、の大学に進学して……そこからはずっと東京です」
「なるほど。おばあさまはそのまま地元に?」
「はい。年に1度は里帰りしてました。ですが……」
ちら、と佐藤を見た後、汐見は続けた。
「大学卒業の1ヶ月前に亡くなりました……」
(そ、それって……!)
「じゃあ……汐見さんは、そこから、お一人?」
「はい。親戚縁者もいないですし。まぁ、大学卒業したらすぐに就職が決まっていましたので特に不自由はしてなかったです……」
(大学からずっと1人……って、身内がいない、ってそういう……)
昨日の事情聴取で刑事2人に述懐していた言葉の断片を、佐藤は思い出していた。
佐藤と付き合ううちに汐見は色々なことを話した。その大半は仕事の話だったり、友人知人の話が主だった。それでも飽きることなく、尽きることなくたくさんの話をした。
だが、汐見は身の上話をあまり好まない様子だったのであまり聞き出すようなことはしてこなかった。腫れ物に触るように汐見の身の上を聞かずにいたことを、佐藤は今、激しく後悔していた。
「なるほど。で、奥さま……紗妃さんと出会って結婚して家族ができた。とそういうことで大丈夫ですか?」
「はい……」
「では……紗妃さんの結婚する前の家族構成について、知っていますか?」
「紗妃の母親から聞いたこと、で良いですか?」
「ええ、よろしいです。紗妃さんの家族構成や略歴など知っていることを教えてください」
「紗妃は、母一人娘一人の母子家庭だったそうです」
佐藤は、紗妃の美しい顔を思い浮かべていた。
「僕が結婚の挨拶に伺った時は、紗妃の母親のご両親も存命でしたが、お義母さんの父親……紗妃の祖父は認知症を患っていて、足の悪い祖母が家で介護していたようです」
「なるほど……紗妃さんのお母さんにご兄弟は?」
「上に二人の兄がいたようですが……その、ご長男は早くに亡くなっています。次男の方も、紗妃と挙式する1年前に亡くなったそうで……」
「では紗妃さんのお母さんのご実家も……紗妃さんの祖父母だけ、ということですね?」
「はい。ですが……」
二の句を躊躇うような汐見が
「昨年、紗妃にとっての祖父が……亡くなりまして、その……」
チラリ と佐藤を見た。
(?)
目で合図を送られたかと思った佐藤が、どうした? と目配せしたが、そのまま原口医師に向き直り、言葉を続けた。
「去年……紗妃の祖父の死後、数ヶ月後に、紗妃の母親も亡くなりました」
「!!!」
「2度目の脳梗塞で……60歳でした」
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