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もう、元のような関係には戻れないのか。
雨が降る中、朔夜は大学のキャンパス内のベンチに、座って項垂れていた。
十一月三日、文化の日の大学祭は閉会式前だというのに強制的にお開きになり、辺りは雨宿りに走る学生で騒がしい。
しかし朔夜はベンチから動かず、次第に濡れていく身体を受け入れていた。服に染みていく雨を感じながら、滲んだ視界で地面をじっと見つめている。
「……っ」
嗚咽が漏れそうでグッと堪えた。鼻がツンとして目頭が熱くなり、揺れた視界から水滴が落ちるのを、まばたきもせずにただ眺めていた。
もう、元の関係に戻ることはできない。――自分が壊したのだ。長年つるんできた友人の一誠に、友情以上の想いを募らせたのがいけなかった。そしてそのせいで朔夜は一誠と、槙人、二人の友人を失った。
「まさか、ここまで言われるとは思わなかった……」
項垂れたまま朔夜は呟く。辺りはいつの間にかしんとしていて、雨の音だけが朔夜を包んでいた。
――お前、俺のことそういう風に見てたのかよ。
脳裏に甦った言葉に朔夜はギュッと目をつむる。一誠の表情に一瞬にして現れた嫌悪と侮蔑。学祭だからと調子に乗って、想いを告白した自分への罰だと思った。
――ハイタッチとか、肩組むのとか、ラッキーって思ってたんだろ、気持ち悪い。
違うと言えば嘘になる。否定はできずに黙っていたら、一誠の目に表れたのは恐怖だった。そこで朔夜はやっと、この告白が大失敗であることを悟る。大切にしたかったはずの友人に、そんな思いをさせてしまった罪悪感。もう付き合いたくないと言う一誠に、分かったと頷くことしかできなかった。
朔夜は震える息を吐き出す。こんなことになるなら、大人しく槙人の言うことを聞いておけばよかった、と後悔した。――やめた方がいい、一誠は朔夜のことを友達としか見ていない――そんなことを言われてついカッとなり、大喧嘩してこちらも絶交した。つい昨日のことだ。
「……どうすればよかったんだよ……っ」
胸が痛くてシャツを掴む。募らせた想いはひょんなことから口から飛び出そうで、必死で抑えていたのに。それでも、自分にはそれを口にする権利すらなかったと言うのか。
「お困りですか?」
突然声をかけられ、驚いてそちらを見る。するといつの間にか、隣に男が座っていた。
その男は黒の中折れ帽に金色の長い髪を三つ編みにし、帽子と同じ色のトレンチコートと手袋をして、長い足を組んでいる。うっすらと細められた目は金色で、日本人じゃないとはすぐに思ったが、気配もせずに隣に座ったことから、人間ですらないかもしれないなんて思って、背筋に冷たいものが流れた。
その男は薄ら寒い笑みを浮かべて、朔夜を見る。
「お困りですよね? これ、どうぞ」
雨の中、外のベンチにいること自体おかしいが、気にした様子もなく何かを差し出してくる男も大分おかしい。仰々しい言い方にも引っかかり、警戒して無視していると、男は朔夜の手を取って手にしたものを握らせた。
「……ちょっと!」
「後悔してるんでしょう? これを使ってやり直せばいいんですよ」
そう言われて思わず手にあるものを見た。スマホ大のデジタル時計で、今の時刻が表示されている。
「その時計は時を巻き戻せる時計です」
男の妙に芝居がかった声が気味悪く思いながらも、朔夜はその時計を突き返すことができなかった。そんな朔夜を感情がこもっていない笑みで見つめる男は、ご説明させていただきますね、と画面を指す。
「戻りたい日時に時計を合わせて、設定ボタンを押すだけです。簡単でしょう?」
そう言って男は立ち上がる。こんな得体の知れないもの要らない、と慌てて追いかけようと朔夜も立ち上がると、男はもう、朔夜の視界から消えていた。
「……何だよこれ、怖えよ……っ」
朔夜は辺りを見回す。あんな怪しすぎる男の言うことなんか信用できるか、と時計をベンチに置いて背を向けて歩き出した。あの男のお陰で涙は引っ込んだけれど、あの慇懃無礼な口調は信じてはいけないものだ、と本能が警告している。
――でも、もし本当に時が巻き戻せるとしたら?
朔夜の足が止まった。そして頭を振る。好きなひとも友達も離れてしまったのは自分のせいで、これは大切なひとを邪な目で見てしまった罰なのだ、と考え直す。
――けど、もし本当に一誠とも槙人とも、元の関係に戻れるとしたら?
そんなことがよぎって振り返った。雨に当たっているデジタル時計を見下ろすと、濡れたら壊れてしまうかも、と思って辺りを見渡しながら取る。無機質な感触がして、それがこの手を滑って逃げてしまいそうに思えて、朔夜は時計をギュッと握りしめた。
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