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十一月
「ねえ、マダム・ツバメは、自分の息子が恋人の浮気相手に惑わされているって知ったらどう思うかな」
ぼんやりとしていた頭が、一気に芯まで冷えていくのを感じた。
「リディー……」
「トーゴは知っていたんでしょ。クロードがマダム・ツバメと付き合っていたことを」
何の言葉も返すことができなかった。もう半年以上も、僕は彼女に嘘をつき続けてきたんだから。もっと早く本当のことを話していたら、リディーはこんなに傷つかずに済んだかもしれないのに。
「トーゴがここに来たあの日、クロードに別れて欲しいって言われていたの。私と会う前からずっと好きだった人がいたって。私、どうしても引き留めたくて、無理に彼を誘った。でも無駄だった。彼は行ってしまったわ」
そう言うと、リディーは煙草をもう一度吸いこんでから灰皿の上に置いた。
「どうしても知りたくなったの。彼の選んだ人がどんな人なのか。だから彼が帰ったあとに、あとをつけた。クロードが車を停めたアパルトマンからは、すごく綺麗な人が出てきた。まさかと思ったわ。あのマダム・ツバメだなんてね。彼女に私が勝てるところなんてひとつもない。クロードが私より彼女を選ぶのは当然よね」
悲しむ権利なんてない。リディーを騙し続けたのは、僕のほうなんだから。
「だけどなにより驚いたのは、そのアパルトマンからトーゴが出てきたことね。自分の目を疑った。でも見間違えるわけないわ。トーゴはマダム・ツバメの息子だったのね」
僕は何も言えずにただ目を伏せた。
アパルトマンを出てきた僕を見て、リディーはどう思っただろう。僕は彼女の気持ちを踏みにじった。
「マダム・ツバメはクロードだけじゃなくて、トーゴまでも奪っていく。なんだって持っているのにと思ったら、私もマダム・ツバメから何かを奪ってやりたいって思ったの」
「……だから僕を誘ったんだね」
初めからわかっていた。リディーが僕に恋愛感情を持っていないことなんて。彼女が求めていたのは、こんな関係じゃないって。あの小さな嘘をついたときからずっと、間違え続けてきたのかもしれない。彼女の美しい世界を見ていたいばかりに。
「でもごめん。ツバメは僕がどこで何をしていたって、気づきもしないよ。あの人は僕に興味がないから、僕なんかのことで傷ついたりしないんだ」
置きざりにされた煙草が落下して、音を立てて床を焦がす。
「僕もあの人の息子じゃなかったら良かったのにと何度も思ったよ」
「トーゴ、私……本当は」
僕はベッドから立ち上がり、燻る煙草を拾って、灰皿の中でもみ消した。
「大丈夫。僕も別にリディーのことが本気で好きだったわけじゃないから、傷ついたりしないよ。楽しかった。ありがとう」
リディーの頬の涙を親指でそっと拭ってから、頬に頬をつけて、さよならのビズをした。
「さよなら、リディー」
僕は何か言おうとするリディーを残して、静かに部屋を出た。
太陽が沈み、夜が訪れていた。消えそうなほど細くなった月が、かすかに空を照らしている。
僕は痛いくらいに拳を握り締めた。そうしていないと自分が壊れてしまいそうな気がして。
それから、『There Will Never Be Another You』を呟くように歌った。最後のほうは声にならなかった。不思議なくらい僕の気持ちを表している気がして。
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