第14話「鉄面皮な調伏師は嫁とは知らずに猫を撫でる」

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第14話「鉄面皮な調伏師は嫁とは知らずに猫を撫でる」

 花街の大火が完全に消えたのは、三日後のことだった。それは煌びやかな花の街を擦り潰すように広がり、ついには堀の外へも迫った。だが、それを勇敢な火消したちと調伏師たちとが一丸となり、押し留めたのだ。  いまだ幽楽庵の周囲にも焦げ臭い匂いが風に乗ってやってくる。それは鼻のきく妖たちにこそ強く恨まれていた。 「はぁ、まったく。これじゃ茶も不味くなる」 「お兄ちゃん。二瓶さんに失礼でしょ」 「羊羹いらないなら食べていい?」 「こら、吹。そうは言ってないだろうが」  奇跡的に火災を免れた幽楽庵は今日もいつも通りの営業を始めている。むしろ花街の再建のため集まった職人たちによって、書き入れ時と言ってもいいほど賑わっていた。  人の目から隠れるように作られた奥の座敷では、三匹のイタチたちが器用に座布団に座り、羊羹を前に目を輝かせている。 「感謝しなさいよ。洸哉さんから貰ったのを分けてあげてるんだから」  鎌鼬三兄弟の前でふんぞり返っているのは、毛並みの美しい三毛猫。机の上に並ぶ立派な羊羹は、彼女が“読書の側に食べるため”という名目で手に入れたものだ。それを起用に風呂敷に包んでわざわざ運んできたのは、彼女も少なからず迅に感謝していることの証だった。 「あの勘違い野郎か。相変わらず騙しやすそうな奴だな」 「噛むわよ! ……洸哉さんというか人間は、私の思ってた以上に妖についてなにも知らないのよ」  はぁ、と葵は深いため息をつく。  妖と妖怪の区別が付いていないというのは薄々理解していたが、まさかここまで知識が及んでいないとは。彼女が銀の前に化けて出た時、正体を看破される覚悟だったのだ。それなのに、洸哉は目の前のことを都合よく解釈し、迅のことを変化もできる変わった鎌鼬と認識しているようだった。  おかげで屋敷から抜け出していたことに気付かれることは無かったものの、釈然としない気持ちも否定はできない。 「お前、神通力を持ってると思われてるんだろ?」 「お屋敷の書庫に閉じこもってるのに、色々と知っているってね。最近ちょっと期待が重くなってる気がするわ」  洸哉の誤解は葵にまで及んでいる。彼女が屋敷からたびたび抜け出して歩いていることなど露知らず、それでいて街中のこともそこそこに詳しい彼女に、何か妖特有の不思議な力があると信じているようなのだ。  脱走がバレた時のことを考えると、葵もつよく否定はできず、いまもずるずると続いてしまっている。 「おかげで最近は色々聞かれるのよ。アンタ、ろくろっ首の倒し方しってる?」 「知るわけないだろ」  期待のこもった葵の瞳から目を逸らし、迅は素っ気なく一蹴する。 「ですが、ろくろっ首と言えば……」  そこへ丁度、お盆を持って二瓶がやってくる。人前で接客をしていた彼は、人間に化けた二つ目の顔のまま、ほがらかに笑う。 「帝都のどこかの屋敷で、夜な夜な出てくるという噂がありますね」 「ほんと!? それ詳しく聞きたいわ!」  幽楽庵には帝都の妖の噂話が次々と集まってくる。葵は思わず耳を立てて尻尾を揺らす。有力な話を聞ければ、それを洸哉に伝えることもできる。結果的に神通力の誤解が深まるにしても、それが彼の助けになるならば、それでいい。 「詳しい話は別の者が知っていると思います。今度来たら、聞いておきましょう」 「ありがとう、二瓶さん」 「お構いなく。それよりも、そろそろ時間では?」  二瓶がそう言った時、丁度時を知らせる鐘が鳴る。  葵は慌てて立ち上がり、挨拶もそこそこに茶屋を飛び出した。 「あいつ、あんなに急いでどこに行くんだ?」  怪訝な顔をする迅の隣に立ち、二瓶は恵比寿顔でニコニコと笑う。 「丁度、あの方がこの近くを通りがかる時間なのですよ」  表の方で、にゃあんと可愛らしい声がする。 「おお、今日も来たのか! 可愛い奴だな。ほら、よしよしよしよし!」 「なぅーん」  青年の猫撫で声に、甘えるような猫の声。  姿を見ずともそれが誰のものであるのか察した迅は、濃いめに淹れた渋い茶を一気に飲み干した。しばらくはこの羊羹も、食べる気になれなさそうだ。
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