第1話

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第1話

 メモリーハンターの伊達圭一は少し艶のある、ヘリンボーンの白いワイシャツに細身の黒いジャケットを羽織り、藍色のジーンズに黒い革靴を履いて『記憶トラベルズ株式会社』の待合室にいた。  ホテルのラウンジに似た待合室でエントランスの方へ向いてアームチェアに腰掛け、トニックウォーターのグラスを傾ける。  伊達はあるセレブの女性からドバイの最高級リゾートに宿泊した時の記憶を10万円で買い自分の脳に転送してきたばかりで、今日はその記憶を顧客の脳へ再転送する予定だった。  その記憶を再転送している間、顧客は夢を見るようにしてドバイ旅行を楽しむことが出来るのだが、その方法は『記憶で旅をする』という意味で『メモリートラベル』と呼ばれ、手軽なレジャーとして多くの人に支持されていた。  ここ、『記憶トラベルズ』は国内外問わず手頃な値段で一般的な旅行のメモリートラベルを楽しめる施設だが、伊達は顧客へ再転送する場所として客室と転送装置を利用していた。  伊達が提供するメモリートラベルはここで扱うものとは全く違う特別な旅行記憶ばかりで『記憶トラベルズ』の競合相手とは見なされず、転送部屋を利用してくれる常連客として歓迎されていたのだった。  高度な技術を持つ伊達にとって記憶を整理もせずに再転送するだけのメモリートラベルは退屈な上、等速で行なう転送に何日も掛かるので最初はあまり進んでやる気にはならなかった。  しかし、限られた人しか実現できない特別な旅行といった探すのが難しい記憶については、それを見つけられた時の達成感があるので脳に負担を掛けずに出来る仕事として引き受ける事にしていた。  今回は一般の人が絶対に実現出来ない旅行を楽しみたいという顧客の要望を受け、セレブの紹介無しでは予約が取れない事で有名な『インターナショナル・セレブリティーズ・リゾート』に4泊した記憶を5日間かけて再転送し、その報酬として80万円受け取る事になっている。  一般的なメモリートラベルが2万位なのを考えればかなり高価ではあるが、実際に4泊5日したら1000万円程の出費を覚悟せねばならない旅行が楽しめるのだからその価値はあるだろう。  記憶を購入する為に使った経費30万円と記憶トラベルズの利用料10万円を差し引けば手元に残るのは40万円になってしまうが、メモリーハンターの平均月収は70万円程なので5日間の稼ぎとしては悪くなかった。  今のように記憶の転送が手軽でない頃、メモリーハンターの主な仕事はどこの誰が持っているか分からない特殊な記憶を世界中から探し出してくる事だった。  だから熟練したクリアな記憶再転送が出来るのは当たり前で、最も必要な能力と言えば幅広い知識と人脈を持つ事でそれらを駆使して顧客が求める記憶を探し出せるかどうかだった。  また、苦労して探し出してもそれを手に入れなければ仕事にならず、記憶を売ろうとしない人を説得し妥当な金額で譲って貰う為の優れた交渉力も必要とされた。  そうして様々な場所へ出掛けて行き、何処かで見つけた珍しい記憶を持ち帰るその様子が『狩り』に似ているとして、人々はその人達のことを『メモリーハンター(記憶の狩人)』と呼ぶようになった。  かつて、メモリーハンターが捜して来る記憶には様々なものがあったが、ブラックホールの研究記憶などは『狩り』で探してくるものとしてはかなり難易度が高いものと言えるだろう。  それは、遠い銀河に出来たブラックホールを調査する為にある研究者が考えたもので、論文やレポートを読む代わりにそれを書いた学者達の記憶を丸ごと自分の脳に転送しようというものだった。  記憶を転送すれば知識だけでなく経験も獲得することになり、1人でやることが複数人で行うのと等しい効果をもたらし、調査が容易になるという考えだった。  その転送は実際に行われたが、やらない場合と比べる事が不可能な為、調査が簡単になったかどうか分からなかった。  当時は記憶を転送するという夢のような技術が現実になったばかりで安全性は低く、その使い道についても模索中だった為、戦闘機の操縦方法を身に付けたり、外国語の習得に記憶転送を試す人などもいた。  しかし、訓練によって培われた感覚や話す時の微妙な舌の動きを再現するには運動神経との連携が必要で、記憶を転送するだけではその神経回路の形成に至らないと判ってすぐに廃れてしまった。  その後、転送技術が進歩して安全になり一般の人も利用できるようになると、娯楽として楽しめる旅行の記憶転送といったものが主流になっていき、それと共に熟練したメモリーハンターは減っていった。  最近では高度な技術が必要な再転送はやらずに目当ての記憶を持った人を捜し、その人から直接顧客の脳に転送してもらうという、ただの『人探し』のような仕事をしてメモリーハンターを名乗っている者も少なくない。  一方、伊達のように熟練したメモリーハンターは今でもその高度な技術を見込まれ、警察から事件解決への協力を依頼される事も多く、その内容は被害者から転送された事件の記憶を整理して手掛かりを探したり、似顔絵を描く担当官へ犯人の容姿を再転送したりすることだった。  また、事件があまりにも悲惨でそれを思い出す事によって被害者が心に傷を負うと考えられる場合は事件記憶を転送したメモリーハンターが代わって警察の事情聴取に応じることもある。  しかし、いくら訓練を積んだメモリーハンターでも犯罪現場などの悲惨な記憶転送を繰り返せば精神に異常を来たすという事が判ると協力する者は殆どいなくなってしまった。  今でも事件記憶の転送を拒まない伊達は警察への協力を惜しまない数少ないメモリーハンターの1人だった。 「伊達さん、しばらくお見掛けしませんでしたが今日はどんな用事で?」  待合室にいる伊達の姿を見つけて、記憶トラベルズの高木が親しげに話しかけてきた。 「4泊5日のドバイ旅行ですよ。しかも最高級リゾートでね」伊達がウインクして微笑むと、 「質の高い再転送ができるから、もうメモリートラベルはやめたのかと思っていましたが…」高木は意味ありげに言って笑った。 「事件記憶ばかりでは精神が持ちませんからね」高木が笑うのを見た伊達がそう応えると入り口のガラスドアがゆっくり開き、30歳位の細身の女性が右手にボストンバッグを下げて入ってきた。 「いらっしゃいませ」ドアへ振り返った高木がすぐにそう対応すると、 「水野と申します。伊達さんとここで待ち合わせているのですが…」女性が言うとすぐに 「初めまして、伊達圭一です。お待ちしておりました」待合室の奥にいた伊達はその女性へ歩み寄り、爽やかな笑顔でお辞儀をした。  高木は足早に事務所のデスクへ行くとパソコンの画面を確認して戻り、 「4泊でご予約の水野様ですね。205号室にご案内いたしますのでこちらへどうぞ」そう言いながら両手で受け取ったボストンバッグを左手に持ち替え、斜め後ろへ振り返りながら先を行く。  ホテルのように分厚いカーペットが敷かれた長い廊下を歩いていくと、エレベーターの扉が並ぶホールに突き当たった。 「メモリートラベルは初めてですか?」エレベーターを待つ間、伊達が確認すると、 「いえ、ここでは3回目だと思います」水野がすぐに答える。 「では、長くて退屈(・・・・・)な説明は必要ありませんね」伊達が少しふざけて言うと、 「ええ、以前と変わっていなければ…」水野も笑顔になってそう言い、高木の方へ顔を向けた。  高木は手の平で壁や天井を示し、 「内装はこの通り、先月リニューアルして新しくなりましたが手続きや、退屈な説明(・・・・・)、に変更はございません」と、冗談を言って笑いながら細く畳まれた新しいパンフレットを水野に手渡す。  到着のチャイムを鳴らして扉を開くエレベーターに3人で乗り込むとすぐに2階へ到着して再びチャイムと共に扉が開いた。 「左手にお進みください」高木が腕を伸ばして水野に行き先を示し、 「では、ここで失礼します」伊達はお辞儀をして反対側へ歩き出す。  黙って小さく頷いた水野は高木の後について豪華な設えの廊下を行き、『205』と金色の数字が貼られた高級感の漂うドアの前で鍵が開けられるのを待ってその部屋の中に消えた。  2人と反対に進んだ伊達は廊下の途中にある扉から殺風景な裏方の通路へ回り、記憶転送装置がある部屋を目指して大股で歩く。 『転送205』と白いプラスチックのプレートが貼られた飾り気のないドアの所まで来るとそのまま開けて中に入り、すぐに上着を脱いで迷わずクローゼットのハンガーに掛けた。  そこは5畳程の広さでシングルベッドとパイプ椅子の他に栄養補給装置と記憶転送装置が置かれた病室のような部屋で水野がいる豪華な造りの205号室と転送装置で繋がっている。  椅子に座って靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた伊達はクローゼットにあるパジャマのようなものに着替えるとベッドに横になって目を瞑った。
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