6人が本棚に入れています
本棚に追加
第3話
自宅へ帰ろうと自動運転タクシーを拾って乗り込んだ伊達のスマートフォンが鳴り、画面に「青木博」と表示した。
「はい、伊達です」5日間ベッドに寝たきりで固くなってしまった首を回しながら答えると、
「青木です、また伊達さんの出番がやって来たんですが今、どんな状況ですか?」聞きなれた声が響く。
「たった今、再転送を終えてきたところですが」すぐにそう返すと、
「再転送を終えたばかりでは無理ですね…」残念そうな声がスマートフォンから漏れてきたがそうなる事を予想していた伊達は
「いえ、再転送と言っても旅行記憶の転送で5日間たっぷり休めましたよ」青木が話し終える前にそう言って割り込んだ。
すると、それを聞いた青木が
「そうでしたか! こちらも再転送を頼みたいという事なんです!」声のトーンを上げて早口で言った。
「その感じは警察からの依頼ですね。これからすぐにでも伺えますが?」伊達がそう言うと、
「よろしいですか? そうして貰えるならありがたいです」嬉しそうに青木が答えた。
伊達はスマートフォンを一旦、保留にして「目的地変更、東銀座タワーへ」と自動運転タクシーのマイクに告げ、備え付けのモニターに目をやる。
周辺の道路状況とルートに加え、到着時間が表示されているのを確認しながら保留を解除し、
「20分位でそちらに行けると思います」そう言うと、
「それでは、後ほど」青木の返事を最後に通話を終えた。
東銀座タワーの26階でエレベーターを降りた伊達は長い通路を東側の一番端まで進み、『AOKIマイニング』と書かれたドアの前に立つ。
自動ドアが滑るように大きく開くと、真正面の受付にいた女性がすぐに立ち上がり、
「伊達様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」そう言いながら奥にある院長室へ案内し、そのドアを3回ノックした。
「どうぞ!」ドアの中から青木の元気な声が聞こえてくると受付の女性は静かにドアを開ながら
「伊達様がお見えに…」と告げるが勝手を知る伊達はその横をすり抜けて部屋の中へ入り、
「青木さん、お待たせしました」と軽く頭を下げた。
いきなり部屋へ入って来た伊達に青木は驚きもせず、
「伊達さん、急がせて済みませんでした。こちらが警視庁の警部さんです」と、3人掛けソファに背筋を伸ばして浅く座る女性を手の平で示した。
その女性は素早い身のこなしでスッと立ち上がり、
「品川警察署の警部、吉田真希と申します」はっきりとした口調で告げ、真っ直ぐ伸ばした腕で名刺を差し出す。
「メモリーハンターの伊達圭一です」伊達も同じように名刺を差し出し、「今回はどんな事件ですか?」とジャケットのボタンを外しながら青木の隣の肘付きソファに腰かけた。
「先月品川で起きた、あの一家殺人事件だそうですよ」医院長の青木が隣の伊達を見てそう言うと、
「唯一生き残った麻理という名の少女の事件記憶の転送を事情聴取の為、そしてその記憶の再転送を似顔絵作成の為にお願いしたいのです」吉田という警部が感情を見せずに言い、「直接聴取すれば事件の記憶を思い起こさせ、少女の精神にダメージを与えてしまいます。事件記憶を全て転送させて頂き、伊達さんから聴取させて頂こうと考えて…」その理由と方法を丁寧に説明するが、
「いつも通りのやり方なら良く解っていますので、それ以上の説明は不要です」伊達は笑顔でそう言い、警部が説明をせずに済むよう気を利かせた。
「事件のトラウマから少女の記憶が封印されているかも知れませんので、その場合は私が掘り起こしを行います」青木が付け加えるように言うと突然、警部が姿勢を正し、
「次の犠牲者が出る前に犯人を捕まえなければなりません。是非ご協力をお願いします!」伊達に深々と頭を下げる。
警部のあまりに畏まった態度と話し方に息苦しさを感じた伊達は
「じゃあ、いつにしましょうか?」青木と吉田警部の両方を見ながら軽い感じでそう訊いた。
「では、引き受けて頂けるのですね?」警部が表情を明るくして言うと、
「ええ、勿論です」伊達が微笑んだ。
「伊達さんはこの手の記憶転送に慣れていますし、再転送する記憶もかなり鮮明なものを送れるから何の心配も要りませんよ」青木がそう説明すると、
「医院長が言う通り、普通のメモリーハンターがやりたがらないものでも引き受けますよ。巷では『危険物取扱い者』などと呼ばれているくらいですから…」伊達は冗談を言って笑わせようとしたが、
「犯罪現場の記憶転送は精神に異常を来すと敬遠されがちで、協力してくれる方を探すのにいつも苦労しています」吉田警部は真面目な表情を崩さずに話した。
警部が徐にスケジュール帳を開き、
「被害者の事件記憶の転送と似顔絵作成の再転送は明後日の13時とし、それが終わり次第伊達さんへの事情聴取を署の方で行うという事でお願いできませんか?」2人の顔を交互に見て言う。
「オーケーです!」
「オーケーです!」
伊達と青木は同時に返事を返すと顔を見合わせて苦笑いをする。
その息のあった返事を聞いた吉田警部が
「いつもお2人で仕事をされているのですね」感心したように訊ねると、
「再転送のように高度な技術が求められる仕事は誰にでも頼める訳ではないので、私には伊達さんだけが頼りなんです」青木は苦笑いを消して真剣な顔でそう言い、横にいる伊達を見る。
他人から褒められることに慣れていない伊達は戸惑いながら、
「僕しか出来ない事なら、自分がやるしかないと、ただそう思っているだけです」目の前の警部に照れ臭そうに告げた。
『AOKIマイニング』で院長を務める青木は精神科医であると同時に『メモリーマイナー』と呼ばれる資格も持っていた。
その資格は完全に忘れてしまった事やトラウマで思い出したくないと封印してしまったものを心の奥から掘り起こし、本人の頭の中に蘇らせることが出来る証で精神科医でなければ取得することが許されないものだった。
世間ではその資格を持つ人達のことを、地中深くから貴重な鉱石を掘り出す鉱夫(=マイナー)に例え、記憶を掘り起こす人と言う意味で『メモリーマイナー』と呼んでいた。
また、事件記憶の転送はメモリーマイナーがいる医院で行うと法律で定められていた為、青木は事件解決への協力を依頼されることが多く、伊達と共に警察の仕事を引き受けていた。
最初のコメントを投稿しよう!