渡せないもの

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渡せないもの

「もう、別れましょう。」 夕暮れ時の公園で、彼女が言った。俯いているせいで顔は見えない。しかし、肩をふるわせている。恐らく泣いているのだろう。 「分かった。いいよ。」 青年はそう答えた。その返事を聞いた途端、彼女は、勢いよく顔をあげた。そうしてくしゃりと表情をゆがませた。その瞳からはとめどなく涙がこぼれていた。彼女は、なにを期待していたのか、流れる涙を拭いながらこう言った。 「貴方は本当に冷たい人ね。引き留める事すらしないのね。」 「なにを引き留める事があるの?別れたいんでしょ?」 彼は心底不思議そうに問うた。それを聞いた彼女は諦めたように笑い、 「貴方はいつもそう。決して私をないがしろにしている訳じゃない。けれど、貴方は私の事で心を動かさない。あくまで他の人と同じ。おかしいとおもわない?付き合ってたのに。」 そう言った。 彼は視線を下に向けた。 「私、貴方と恋がしたかったの。」 ポツリと聞こえたその声は震えていた。 「…貴方の心が欲しかった。」 その言葉に彼は少しだけ視線をあげた。しかしその瞳は冷たく、彼女を写していなかった。まるでその空間にある見えない何かを捉えているようだった。 「さようなら。」 そう彼女はいい、去って行った。遊んでいた子供も次々と帰って行く。彼は一人取り残された。もう日は暮れている。彼は近くにあったベンチに座り、カバンの中からスケッチブックを取り出した。そうして彼は鉛筆を滑らせる。淡い月の光だけを頼りに。
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