祭りの話

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祭りの話

 ある蒸し暑い夏の夜のことです。  高校生の男女が夏祭りを訪れました。男と女はまだ表立った恋仲ではありませんでしたが、お互いを密かに想う気持ちは同じでした。きっと、夏祭りで思い出を作りより一層距離を縮められるかもしれないと、互いに淡い希望を胸に秘めていたことでしょう。  男は女の浴衣姿を美しいと思いましたが、それを素直に口出すことはできませんでした。待ち合わせして期待に胸を膨らませていましたが、やはり合流してすぐはまだまだぎこちない距離感だったのです。  挨拶や他愛ない話もそこそこに、男はもどかしい空気を誤魔化すように出店巡りを提案します。その提案に頷いた女は男の横に立ち、互いの手の甲がぎりぎり触れない程度の距離で一緒に歩きだしました。  駅前の通りには焼きそばやかき氷、金魚掬いに射的、型抜きなど様々な出店が並んでいます。祭りの日だけは、子どもたちが夜遅くまではしゃぎまわることを許されるため、通りは沢山の親子連れでごった返していました。  男の財布の中には、この日のために急遽日雇いのバイトをして稼いだ二万円が入っています。女があれが欲しいこれが欲しいと言えば、何でも叶えて男らしさをアピールしたかったのでしょう。  夜ご飯を食べてこなかったせいかお腹を空かせていた女は、当然のようにまず焼きそばの出店に心を惹かれました。威勢の良い店主がヘラで大量の焼きそばを豪快に混ぜており、じゅうじゅうと音を立て香ばしい匂いを漂わせています。二人分を注文すると、熱々の焼きそばをパックの蓋が閉じなくなるくらいサービスしてくれました。  ベンチで焼きそばを食べながら、次はどこを回るかの計画を立てることにしました。二人で並んでベンチに腰掛け、湯気が立つ焼きそばを頬張ります。お祭りの気分も相まって、外で食べる焼きそばは格別の味です。そして、ぎこちなかった二人の距離を少しだけ縮めます。  ふと、男は背後から視線を感じました。振り返ってみますが、そこには誰も居ません。祭りの喧騒から離れた真っ暗な静寂が広がっているだけです。気のせい。男はそう思い、前に向き直って焼きそばを頬張ります。しかし、またしばらくすると視線を感じるようになりました。  女はしきりに後ろを気にしている男を心配しましたが、男は何でもないと言って笑いました。まだ夏祭りは始まったばかりだというのに、女に情けないところを見せる訳にはいきません。そんなことより次はどこに寄るのかと、慌てて話を逸らしました。  焼きそばを食べ終え、二人は立ち上がります。結局どこに向かうかは決められなかったため、通りを歩いて目を引いたお店に寄ろうとなりました。二人はまた人混みの中に分け入り、あちこちの出店に顔を覗かせます。  型抜きに挑戦してみましたが、男は不器用ですぐに失敗してしまいました。慎重に慎重に少しずつ、順調に型を削っていく女を横で見守りながら成功を祈ります。しかし、女もあと一歩というところで失敗してしまい、二人は顔を見合わせて笑いました。  次はくじ引きをしようと、みっつあるくじ引きの出店の中で一番当たると評判のお店に向かいます。ところが道中、男はまた視線を感じました。じいっと見られているような不快感。男は視線の正体を探るべく視線を彷徨わせます。  そして数秒後、ふと前にいるお面をつけた子どもと目が合いました。男はぎょっとします。子どもの目は狂気混じりに血走っており、大きく見開くように男を睨んでいたからです。何故、子どもは男を睨んでいるのでしょう。それは男には分かりませんでした。それに、どこか違和感を覚えるのです。  そして、違和感の正体に気がついた男は戦慄しました。  なんと、子どもは男を見ているのではなく、前を向いて歩いていたのです。つまり、子どもはお面を自分の顔につけて男を見ているのではなく、後頭部につけて歩いていただけ、ということです。でも、それだとおかしいじゃありませんか。後頭部につけているお面に、目なんてある訳ないのですから。  子どもに人気の戦隊モノのお面からぎょろりと覗く血走った目。それは、逸らされることなくずっと男を捉えています。心臓が握り潰されそうになりました。呼吸が段々と乱れてきて、うまく息が吸えなくなってきます。叫び声をあげそうになったその時でした。  子どもが足を止め、左手にある出店の方へ顔を向けます。それにより、お面の視線が男から逸れました。男はお面が目に入らないように、女に視線を向けたまま子どもの左側を足早に通り過ぎました。  そのまま恐怖心を紛らわせるように女と他愛ない話をしながら歩いていると、女が突然射的屋の前で足を止めました。ひな壇の一番左上にある人形を指さします。照明に照らされてつやつやと輝く美しい肌の人形は、上品な黒いレースのドレスを身に纏い、世を憂うように斜め上を見上げていました。  店主はその人形に気がついた女をお目が高いと持ち上げます。店主によれば、その人形は百年前に作られたワックスドールで、かなりの値打ちがあるというのです。しかし、男も女も店主の話を真に受けませんでした。それもそのはず。もし本当に値打ちがあるのなら、商品として並べるはずがないからです。きっと値打ちがある人形のレプリカで、客を引くための出まかせでしょうと。  店主から彼女さんのために取ってあげな言われ、男はここがアピールどころだと理解しました。くじ引きなど運にかかわるところではなく、自分の実力次第で人形を手に入れられます。  もちろん、お祭りのお店にはやらせや細工があることも多いので、男は冷やかし半分で店主に細工してないかを聞いてみました。すると、店主は豪快に笑い、誓って細工なんかしていないと言いながら、人形をひょいと持ち上げてその証拠を見せてくれたのです。  ここまでしてもらったからには、男はもう引き下がることはできません。財布の中が空っぽになるまで挑戦する覚悟を決めて、台に置いてあったコルク銃を手に取りました。右手を伸ばしてなるべく銃口と人形の距離を縮めます。女の声援を聞きながら、じっくりと狙いを定めました。そして、引き金を引こうとしたその時でした。  人形の顔がこちらを向いたのです。  もちろん倒れやすいように人形の頭部を狙っていた男は、こちらを向いた人形と目が合いました。集中して人形を見ていた男は突然のことに驚いてしまい、咄嗟に銃を引いて飛び退いてしまいます。その瞬間、女の短い悲鳴があがりました。  男は悲鳴がした方へ視線を移します。すると、そこには女が顔をおさえて地面に座り込んでいたのです。どうしたのかと聞いてみると、男が飛び退いた際に持っていたコルク銃の先端が顔に当たってしまったそうです。それを聞いた男は女にひたすら謝りながら、大丈夫かを問います。女は目に入ってちょっと痛かったけど大丈夫だと答えました。  女は男の手を取って立ち上がりました。そして、平気であることを証明しようと、顔をおさえていた手をどけて男に笑いかけます。しかし、女の顔を見た瞬間、男は言葉を失いました。  笑顔を浮かべた女の右目は血走っており、ぎょろりと男を睨んでいたのです。  男は今度こそ堪えきれなくなり、情けない叫び声をあげながらその場を走り去ったそうです。
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