第二章

1/2

22人が本棚に入れています
本棚に追加
/79ページ

第二章

 碧は壮絶な人生を歩んできたわけではない。壮絶な人生が障害者を作るというのは、健常者のありがちな偏見である。裕福な人生からも貧相な人生からも、それは時も場合も選ばず、産まれるときは産まれるものである。偏見に頼るしかない思考の貧困層は、総じて自分がこういう惨事の当事者になることを恐れて、虚しい悲鳴を上げているに過ぎない。  とはいえ、碧の人生が壮絶ではないにしろ、何かしら彼が今に至るその理由を求めなければ、人間というものは納得できないものである。人間はみな、他人の粗探しが大好きだ。  大変勤労者で洒脱(しゃだつ)さとは無縁な医者夫婦の間に、碧は産まれた。碧は雪の降る真夜中に白い産声を上げた。夫婦は二年前に流産した女の子に付けるはずだった名前を、そのまま碧に与えた。  二人は開業医ではなかったから、碧は幼い頃から大病院近くのマンションに住む所謂かぎっ子だった。碧が幼い頃、彼の面倒を見ていたのは主に父方の祖父母である。碧は一日において両親といるより祖父母といる時間の方が長く、言葉を失うような加齢臭と無抑揚な方言と奇妙な溺愛に囲まれて育った。  碧は多忙な両親から、一度だって誕生日をちゃんと祝ってもらったことがなかったし、一度だって父親と一緒に風呂に入ったこともなければ、一度だって母親の手料理を食べたこともない。  が、それでも碧の両親は立派に子供想いだったので、家庭を顧みなかった代わりに、碧が将来良い大学にちゃんと通うために、碧の高校卒業時点で彼名義の預金口座に二千万円余りを蓄えたので、碧は学生時代から今に至るまで、経済的に困ることなく済んだ。  碧は保育園の待機室の四隅を周り将棋のように一日ごとに移動しながら、親が迎えに来るまで空想科学や少女漫画にうつつを抜かした。碧は同じ小学校に友人がいないから、誰も通っていない隣町のスイミングスクールに毎日バスで通った。碧は中学校で陸上競技を始めたが、高校二年の夏に無理をして左脚のハムストリングスを酷く肉離れして辞めた。  ここまで碧の人生について、敢えて順序立てて列挙してみたは良いものの、しかしそのどれを取ってみても、別に普通の人間の、ありきたりな人生の類例に過ぎない。  世間にはびこる勉強しか能のない人間の典型で、関東のそこそこの国立大学を卒業したのち、精神障害の弊害で家の中に一日中閉じこもり、人目を避けて避け続け、半ば無為徒食な人生を送っている様子だけ見れば、碧はせいぜい田園暮らしの没落貴族のような韜晦(とうかい)に甘んじているとでも謂えるくらいである。  大学の物理学科を卒業してもうすぐ一年が経とうというのに仕事が見つからないままにもかかわらず、怠惰な人間がよくやるように、碧は自分の過去に固執しているばかりで、現在と未来を失念していた。気付けばもう年も暮れである。最近碧は朝から晩まで頭がぼうっとして、元気が湧いてくる気配がない。  大学までに得られた数少ない有益な知識があるとしたら、それらは主に、碧の趣味の小説の解説やら注釈にばかり役立って、寧ろ最も重要な、彼の生活には決して役立たなかった。人間の知識が生活を直視しその役に立つことは、寧ろ生活の方が知識に寄り添おうとしない限り有り得ないことである。大抵の知識は生活に根差さないし役立たない。  とはいえ、些細な好奇心を働かせて、碧の小説の病的な精読癖が彼の精神障害の一助になったのかもしれないなどと邪推してみるのも、なおさらお門違いである。  もし真の小説が、崇高かつ邪悪な主人公を必要とするならば、碧は極めてその素質には乏しいと言わざるを得ないのだから。  碧は生まれながら成り上がる必要のない中級国民の常として、別に社会に反旗を翻すような信念も野心も持ち合わせなかったので、つまり崇高さも邪悪さも、彼の畏怖的な美貌の(もたら)し得る野蛮な可能性さえ除けば、顕著に欠けていたのである。
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加