第三章

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第三章

 碧は在学中定期的に健診を受け続け、大学を卒業したのちも、この担当医お得意のたらい回しの紹介で、とあるテナントビルに入った心療内科に通院している。それももう八カ月を数える。  箱庭のように狭い診療所は、検査室と診察室を合わせてもたった三室しかない手狭なオフィスフロアにもかかわらず、次から次へと訪れる患者は後を絶たない。平日の午後二時に予約を取って、二十分前に到着して受付を済ませても、実際健診を受けるのが三時半になることなどざらである。  待合室に所狭しに並べられた七脚の三人掛けソファーの固い背もたれに、患者たちがぎゅうぎゅう詰めに腰掛けている。碧はそこへ立ち入るのが恐ろしくて、入口ドア前に杜撰(ずさん)に捨て置かれた四本足の丸椅子に座って、心の裡で愚痴を言っていた。 『この病院は何もかもいい加減だ。こんなにキャパシティも糞もないくらい患者を受け入れ放題で、本当に一人一人に向き合っていると言えるのだろうか? 予約の意味もないどころかここが病院であるかも分からない。小売店から返品されてきた商品を捨てるか捨てないか迷っている卸売店みたいな場所だ。精神科の医者は役に立たない! 欲深い利益追求だけのあの女院長め。いつか頭に雷でも食らって必ず報いを受けるべきだ。  考えれば精神障害者という言葉自体が、ある種の比喩のようなものだ。僕たちの本質は、いわば世界のある一帯に凝縮する無力さの集合的比喩だとして、こんな比喩が成り立つ調和的な世界では、花が水と土と太陽を必要とするように、人間は認識と意識を必要とするのに、最も僕たちに不足しているのは、そういう形而上学に違いない。そしてこの形而上学で定義される、生きるという行為は、恐らく不可能を可能にするということで、精神障害の倒錯者は、そもそも生きるという不可能を可能にしなければならなくて、僕たちにとって人生とはきっと不可能と可能のアナグラムだ。僕たちはこの恐るべき自己撞着の宿命から逃れることはできない。  それにしても世の中はなんて茫漠としているんだろう。寂しくて寂しくて、僕はもう死んでしまいそうだ。惨めだ。大学を卒業して一年間僕はなんの進歩もせずに、ただ毎日家に引き籠って、寝ているかパソコンに向かっているか壁を見つめているだけだ。誰とも関わりたくないばかりに。僕はなんて未熟な、あろうことか人生の後悔と限りなく些末な機微に生かされているくせに、どうして一つの恥も感じないんだろう。ああ今にも頭がおかしくなりそうだ』  このような月一度の定期健診に来るたびの妄想の習慣が、ただでさえ現実の希望から隔離されたような碧の美貌の暗い陰翳に、幾らかの平凡な表情に混じって、今では殆ど彼唯一の天稟(てんぴん)とも言ってもよい悲壮の印象まで賦与(ふよ)していた。  精神障害の典型的な譫妄(せんもう)とは、荒天の埠頭でむざむざ大波にさらわれるのを待つような不毛なものである。  碧は怒涛の踊り狂う埠頭の先端に立ち尽くして、塩味のする唇を噛み締めながら、辛うじて時化(しけ)の灰色の海にその身を投げるのを躊躇っている。躊躇う時、碧は必ず暗礁に乗り上げた。これまで何度と乗り上げた暗礁はただの暗礁ではない。碧が乗り上げたのは、人生、もしくは生活という暗礁である。  まさかそれを自分のアイデンティティにしようなどと思い違えるのは、海に身を投げるより少々自殺的過ぎる。
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