第十三章

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 六十年代のアメリカンレトロダイナーを模した赤と白のチェッカーソファーに紀子を座らせて、夫人らと待ち合わせた高橋は、気を利かせて店員にレモネードを頼んで持ってこさせ、紀子に飲ませると、彼女の緊張はすっかり解けてしまい、気分もかなり良くなったと見えて、菜穂美は『現金な子だわ』と思いながらも清々した。  高橋はいかにも気さくそうな若者である。白いシャツの上に黒のサマージャケットを着た落ち着いた格好で、親近感の湧く特に煩わしさのない笑顔は感じが良いが、普段から若い女を(たぶら)かしていそうな、首にかけた細い鎖のようなネックレスと、笑った時の垂れ目の目尻の、日焼けをしたきつい皴がいやらしい。 「中村さんの顔が真青で心配しましたよ。こういう付き合いは初めてなんですね。俺も最初は緊張しました。でも気楽に行きましょう。いつも通りの中村さんじゃないと、折角会っても意味がないじゃないですか」 「ええ、そうね。ちょっと気負い過ぎたみたい。高橋さんが話しやすい人で良かったわ」 「いえいえ。それで渡辺さんは中村さんのお知り合いで、渡辺さんに頼まれて来られたんですね」 「ええ。彼女に誘われたの」 「へえ。なんだろう、そういうの珍しくて。実は俺とこっちの伊藤君も、今日初めて会うんですよ。色々ややこしいですね」 「でも私が居なかったら大変だったわ。ね、きいちゃん」  皆偽名を使っているので、菜穂美は会話が少しややこしいと思った。今夜菜穂美は渡辺で、紀子は中村である。菜穂美は紀子のことを時々本名で呼びそうになりながら、きぃちゃんと呼んだ。  やがて四人のテーブルに酒や料理が運ばれ、会話の主導権はすっかり高橋が握っている。高橋はきっと自分より二回りは年下な青年だろう。菜穂美は客観的に見た自分は、こんな若造に上手く手玉に取られているように見えるだろうと思うと、それを恥だと感じたが、それよりもずっと気になっているのは、高橋の隣でほとんど話さずに誰かの話を聞いては相槌を打って、静かに微笑んでいる美青年の方である。高橋の話が退屈に中だるみするときも、この青年を見つめているだけで、菜穂美は時間が光の速さで過ぎていく気がした。  夜が少し更けてきて四人は一通り話し終えると、高橋の提案で、まだ時間は早いが、特に紀子の疲れを慮り、今日は一度解散してまた改めて会おうということになった。高橋の話は存外面白く、紀子は彼の提案を二つ返事で快諾した。  菜穂美はようやく引率の役目が終わって気楽になって、紀子の面倒を見なくて済むと安心したが、しかし実のところこの安心は寧ろ、あの美青年と一度別れることが出来る安心だったかもしれない。
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