第十五章

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 碧たちがS駅の反対側でこのような椿事(ちんじ)に及んでいる同時刻に、日葵も偶然S駅のあの美和子の中華料理屋にいた。日葵は美和子に呼び出された。  既に二人は互いの連絡先を交換しているくらいの仲だったが、そんな美和子から、「最近お店に来てくれないけど、元気にしてる?」とメッセージを貰い、まさか美和子は、自分が妊娠しているなんて知るはずもないからこんなぶっきらぼうな連絡をしてきたのだと日葵は考えたが、けれど他人の不条理な思いやりを期待していた日葵である。この美和子の連絡を、日葵は快く感じた。  日葵は店に着いて、暖簾をくぐった。いつも通り香ばしい香りが店内を領している。夕方の営業が始まったばかりで、まだ日葵以外に客は無い。  店内で日葵はカウンターを布巾で拭いている美和子を見かけて声をかけた。美和子は明らかにそれを無視した。日葵は聞こえなかったのかなと思いながら、美和子が掃除したばかりの綺麗なカウンターに座った。 「お久しぶりです。美和子さん」  カウンターの向こうで丁度自分と正対している美和子に、日葵は改めて挨拶した。やはり返事がない。美和子は俯いて、無言でキッチンシンクに手をつっこんでいる。洗剤の泡だらけの食器を洗う音、水道の蛇口から滝のように流れ落ちる水の音ばかりが、日葵の方へ返ってくる。  日葵はそんな美和子を不審に感じた。しかもよく見てみると、美和子の頭巾の下に露わな右の頬には、何かにぶつけたような大きな赤茶色い痣が出来ている。 「やあこんばんは。ここ、隣に失礼しますよ」  急に何者かが日葵の隣に馴れ馴れしく腰掛けてきた。そのぎこちない機械のような仕草と醜い微笑は日葵の警戒を招いた。 「あの、すいませんけど、以前どこかでお会いしましたか?」  日葵は疑心暗鬼にそう尋ねた。 「いいや、だがちょっとした用が有ってね。ぜひともこれから仲良くなろうじゃないか」  松風は汚らしい目つきで笑って言った。
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