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朱里がとぼとぼ帰ったあと、まだカフェに残されていた碧には、また一つ、彼の与り知らぬ事件が起きた。
朱里と彼女を心配して駅まで送ると言って店を出て行った菜穂美とすれ違いに、カフェにある大柄の男が入ってきた。いかにも堅気ではない。筋肉質な肉体にばっちり誂えられたオーダーメイドの白いスーツは、金の匂いがする。銀色のツーブロックの刈り上げられた部分に龍のタトゥーが彫られている。その左目の上に刃物で切り裂かれた傷跡が生々しく浮き上がっている。
「こんにちは。申し訳ないけれど、君が佐藤君かな」
男は碧に話しかけた。顔も知らぬ男だったが、明らかに自分に用があると思って、碧は男に対面の席を勧めた。
「ああすまんね。さっきのあの子、知り合い?」
「ええ、知り合いです。すいませんがあなたは?」
「まあそうだね、俺はね、君も知ってるあの裏サイトを仕切ってるもんで、倉田っていうんだけど、最近あのサイトがちょっと騒がしくてね。この前サイトの方に変な密告があってさ、それがどうだ、ある男性キャストが信じられない悪さをしてるっていうじゃないか。まあ俺としちゃね、自分の島で好き勝手されるのはね、金なんてどうでもいいさ。あのサイトもちょっとした小遣い稼ぎのつもりで気楽に始めたんだ。だがもし俺の面子に泥を塗る奴がいるなら、ほっとくわけにはいかないんだよ。俺らの世界では。分かるよね?」
倉田はコップに継がれた水を一口で飲んだ。
「それで佐藤君は何か知ってる?」
「僕が知ってるのをご存じだから、わざわざこんなところまで来られたんでしょう」
「話が早いね」
このとき丁度カフェに菜穂美が帰ってきた。菜穂美は只ならぬ空気を感じながら碧の元へ急いだ。すると碧と倉田がいる。
「まあ、誰かと思ったら沼田さん。お久しぶりね。お元気? 偶然ね。どうしてこちらにいらっしゃるの」
菜穂美にそう言われると、倉田は席を立った。
「ああ檜垣さんか。まさか申し訳ない。確か梅雨ぐらいのパーティーでお会いしたぶりですね。いやちょっとね、ふらっと店に入ったら随分綺麗な顔した美青年がいるから、うちの事務所に誘いたくなって」
倉田のいた席に入れ違いに菜穂美が座った。
「まあ嬉しい。この子は私の遠い親戚よ。確かに良い顔立ちよね。私も時々うっとりしちゃって敵わないわ。うちの親族の一体誰に似たのかしら」
「ええ。仰る通りだ。俺みたいな強面には羨ましい。女を駄目にしそうな憎い顔だ。だけどもしそういう悪さをしたら、俺がまた説教しに来るって言っておいてくださいよ」
「まさかそんなこと。この子が出来るはずがないでしょう。この子は優しい子だから」
倉田は去った。碧は何かに心臓を握りしめられていたような緊張から解かれた。
「菜穂美さんあの人は?」
「ああ、沼田さんよ。ある芸能事務所の社長さんよ。まあそうね、いやらしい言い方だけど、よく金持ち同士のパーティーでお会いするわ」
知らないうちにもう夜が来ている。そして碧のスマフォに、着信があった。
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