第三章

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 が、もっとも日葵はそもそもそういうありきたりな美辞麗句とは無縁な、天使のような女である。日葵は、碧の前で笑いたかったら笑うし、怒りたかったら怒る。嫌なら嫌だときっぱり言うし、泣きたかったら日葵は散々泣いて、それから反省し、何事もなかったように笑っている……花瓶に挿した花の一生のように、日葵の感情は本能的で、理性をひた隠し、劇的で目まぐるしい。  碧はこれ以上に美しいと感じる目まぐるしさを知らないが、そんな日葵は、碧を決して美青年としても、精神障害者としても愛さなかった。日葵は碧をただ愛したのである。少なくとも、日葵はそう育つくらい、平凡な家庭に生まれたのだった。  だからつくづく碧が、こんな如才ない女に愛されることが、自分のように無為な人間に許されていてよいのだろうかと疑問するのは、無理もない仕合せである。 「ああそうだ、医療支援の更新手続きが必要なんだって」 「へえそうなの。じゃあ今から福祉課行く?」 「いや、めんどくさいかな」 「そう言うと思った」 「うん」 「じゃあ面倒なことは後回しにしよっか」 「うん」  うんうんとはにかみながら答える碧には、主人の言うことならなんでも聞く飼い犬のような忠実さを感じる。日葵の前では碧はいつもこうである。もしかしたら主に忠実な飼い犬には首輪も手綱も必要であることを日葵は忘れてしまうかもしれない。日葵はこんな碧が愛おしいばかりか飽きないので不思議である。  二人は歩きながら夕食を自宅近くのイタリアンに決めると手を握った。二体の熱源が一体になると、全体で熱量は保存するというのは、大学で学んだ物理学の大いなる過ちであると碧は感じる。二人の熱は重なると確かに全体で量を増すように感じられる。(あたか)も冬のさなかである。  日葵はあまり勘こそ良くないが、静淑な口元がたいへん美しい女性である。日葵は多弁な方でないし、お喋り好きな女とは言えない。女の友人と話すときも必ず聞き手に回る役である。  にもかかわらずこんな奥ゆかしい日葵が、いざというときは感情を露わにし、それどころか中高生英語弁論大会の全国大会常連で、弁が立つ理知的な才女だという話をすると、誰もが驚きを隠さない。彼女の実家の和室に飾られている、金細工の不死鳥が今にも羽ばたきだしそうな見事な額縁の文章は、英字書きで西洋風の紋章入りの場違いなものである。  そうかといって大学時代は日本文学専攻で、特に海外留学の経験があるわけでもないのに、中高生時代にアシスタントティーチャーの薫陶を受けた性格は少々米文体で、陽気で鷹揚(おうよう)としている日葵は、何かと塞いで悲観的な碧と比べれば、言うまでもなく楽観的である。  だから碧の悲観的な現在に対しても、確かに彼女はそれといよいよ向き合わねばならなかったが、彼女らしい楽観的な考え方から、漠然とした安心を疑わなかった。例えばこんなふうに。 『物事はなるようにしかならないと考えるのが一番楽だ。碧の将来だってきっとうまくいく。私が彼を愛している限りは。その証拠に私たちはあのとき破局を一度乗り越えてしまったのだから。これより大きな成功はないのだから。それでも敢えて不安を見つけようとするなら、それは私たちの間に、これまで失敗という失敗が一つも無いということだけだ』
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