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「そう考えると、おれらの出会いってすごい確率だったんだな」  私が彼と出会ったのは、人生で四度目の転職先となった現在の職場で、新卒からずっと勤めていた彼が私の指導役になったことがきっかけだった。何かと「なぜ」と理由を求める私に対して彼は嫌な顔ひとつせず「言われてみたらそれ、なんでなんだろうな」「よく考えると意味ないよな」と一緒に考えてくれたり、仕事終わりに二人で飲みに行ったりもした。同い年で波長も合いやすく、彼のほうから「おれの基準は実年齢だから敬語要らないよ」と言ってくれたので、今ではラフに敬語抜きの会話を楽しんでいる。  だらだら過ぎていく日々の中で、ふとした瞬間、彼が私に向ける目線について、季節の移り変わる瞬間のように微妙な変化を感じた。彼が私とのあいだに、同僚としてではなく、別の何かを求めているような心の動き、鋭さ、温度、空気感。言いようはいろいろとあるけれど、いくら自己肯定感の高くない私でも(この人、私のこと好きなんじゃないかな)ということくらいは理解できた。  とはいえ、逆も然りだった。彼が他の女子社員と喋っているときの話題はなんだか気になったし、周りが彼のいないところで彼の話を始めたときは、いつも耳をそばだてた。  今更わざとらしく胸に手を当てたり、風呂でお湯に浸かりながら天井を眺めなくてもわかる。  私はいつの間にか、彼のことが気になっていたのだ。  でも、言えない。言いたくない。願わくは言ってほしい。彼のほうから。  20代中盤で結婚して子供を産み、庭付きの一戸建てに住んで育児をしつつ、休みの日は家族でおでかけ……などという生活がいかにお花畑な夢物語かは既に理解している。この国で「普通」を生きていくのは、実は「異端」として生きていくことより何倍も難しい。だからもうそんな生活は諦めた。  悠々自適な生活は諦めるから、せめて私だって誰かに愛されてみたい。  愛してほしい。  私だって相手を愛したいけれど、その切欠は相手から差し出してほしい。  そして自分で延々と壁に向かってボールを投げるような侘しいものではなく、向こう側から一方的にぶつけられる愛情に全身を灼かれて死にたい。  だから、彼のほうから告白されるまで待とう……と決めたのだった。
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