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「……あのさ」  目線を伏せたまま、少し怯えるような声色で呟いた。我ながら内心で驚いてしまうほど、うまい演技だ。  いくら願ったところで落ちてくるはずのない隕石をにらんでいた彼の顔が、こちらを向く。 「うん?」 「私、実は村山(むらやま)さんに告白されたんだよね」  彼の表情が、再生中にネットの接続を切られた動画みたいに固まった。  村山さんは私と彼の同僚であり、ウチの部署の中で一番の切れ者と評判の人だ。毎朝、自己啓発本のページの間にレタスとハムを挟んで食べていそうな言動ばかりで、私は正直好きではないんだけど、村山さんとのワンチャンスを狙う女子社員は結構多いようだった。  もちろん、村山さんに告白されたなんて、真っ赤な嘘だ。冷静な人からすれば、私みたいに適当が服を着て歩いているような女のことを村山さんが好きになるはずがない。私だってあんな小さい会社で「議題」を「アジェンダ」などといちいち言い換える気取った奴なんか嫌いだ。  でも、私は知っている。  彼もまた、村山さんのシュッとしたところがいけ好かないと思っていること。  彼が一番腹を立ててしまう瞬間が「最後にひとつだけ空いていた駐車場のスペースに、目の前で入られた瞬間」ということ。  どちらかといえば、彼は「あのとき◯◯すればよかった」と後悔するときが多いこと。  彼が私のことを、恋愛的な意味で(好きだ)と思っていること。  最後のひとつ以外はすべて、彼が自分の口から話してくれた。 「え、村山って、ウチの部の?」 「うん」 「まじかよ」  彼はたじろぎながらも、頑張って冷静さを保っている。本当だったら地べたに這いつくばって「まじかよ」って叫びたそうな顔をして。それはそうだろうな。いつまでも売れ残ったままショーケースで日焼けしているだろうと思って安心していたモノが、いま、目の前で掠め取られようとしているのだから。  何も知らぬふりを貫きながら、私は乾いた笑い声をあげた。 「はは、本当まじかよって感じだよね。私なんかのどこがいいんだろう」  ここで彼は「いや、そんなことはないけど」と消火弾を放ってくる。いい感じ、いい感じ。 「それで、どうするんだよ」 「何が?」 「何がって、告白だよ。……OKするのか」  そうやって訊ねる彼はまさに、おっかなびっくり、という様子だった。すごいなあ。さっきまで遠い国の人々を想って空を眺めていた人と同一人物とは思えない。灯台下暗し。自分がもっと想いを寄せるべき存在はすぐ傍にいた、と思い知らされた今の心情はいかがかな。  網で捕まえた蝶々を手でもてあそぶような気持ちになりながら、言った。 「んー、どうしようかなって思っててさあ。別に私、村山さんのこと好きでも嫌いでもないし」  私は彼が村山さんを好ましく思っていないことを知っているが、私が村山さんのことを嫌っているという事実を、彼は知らない。  だから余計に好都合だった。  彼はきっと今頃、頭の中でソロバンと電卓とパソコンを同時に叩いている。私が即座に村山さんの告白に飛びつくことはなかったが、この先の自分の言動や行動によって、天秤がそちらに傾く確率もゼロではない。つまりそれは逆もあり得るわけで、今なら自分のほうへ天秤を傾かせることだってできる。  同時に、そのために必要な最適の手段をとらなければ、また自分はきっとうじうじと後悔し続けることになる……と。  ずっと(今ならここ、空いてますよ)というアピールをし続けてきた私は一度、大きく引いてみることにした。中途半端な距離のまま、ずっと私が自分の近くにいると彼に思われるのも癪だ。あまりにも待たせるようならどこにでも飛んでいってやるからな……という揺さぶりをかけたとき、彼がどんな反応をするかによって、私も自分の身の振り方を決めようと考えたのだった。  彼が「ふーん。よかったじゃん」で済ませるようなら、私は胸に秘め続けたこの気持ちを、どんな手を使ってでも確実に殺す。DNA鑑定すらできないくらい、入念に。たいして好きでもないアーティストのライブに行ったり、おもむろに手芸でも始めたりして、とにかく彼のことなんてすっぱり忘れてしまおう……と思った。  そして、彼が少しでも私が他の誰かに(なび)いてしまうことに狼狽(うろた)えるようなら、その時は何が何でも、彼に気持ちを吐かせる。もちろん「彼は私のことが好き」というのはあくまで第六感によるもので、私の完全な自惚れである可能性も存在する。その時はそれで仕方ない。強欲な自分を恥じて、この一方的な片想いの気持ちに殉じることで納得している。  けれど、もしもこれが自惚れではなく、事実であったならば。  私は彼の五臓六腑を一緒に引きずり出してでも、彼に告白してもらわなくてはならない。  それでも彼が頑なに口を割らないというなら、私はその瞬間から、ずっと祈り続けてやる。  私を想う気持ちがいつか、あなたの息の根を止めますように。
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