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黙っていた俺は口を開き、
「まぁそこまで言うなら」
恐るおそるグラスに手をのばした。が、
「というかこれ、どうやって飲めば良いんだ?」
目を瞬かせた。
「失礼しました」
酒好は頭を掻くと、
「すぐに準備します」
屈んだ。カウンターの下を探る物音が聞こえたかと思うと、酒好が身を起こす。テーブル越しに上半身しか見えていなかった酒好の体が、腰、膝、踝の順に段々とあらわになってくる。どうやら脚立を登っているようだ。
「これでよし」
酒好は呟き、床に降り立った。
「どうぞ」
酒好が差し向けてきたのはストローの端だった。俺はその続きを目で追う。ストローはグラスの飲み口に向かってのびていた。
「ジュースでもないのに変な感じだが」
眉根を寄せるもストローを口に含んだ、次の瞬間。
「んっ!?」
俺は面食らった。一口飲んだだけで小気味良いのど越しが、二度、三度と連続で押し寄せてきた。
「うおっ!」
驚いて椅子から転げ落ちてしまう。
「いたたたた……」
打ちつけた頭をさすった時、
「んんっ!?」
大きく唸った。指先に絡まる艷やかな質感、これは――
「まさか」
ゆっくりと立ち上がりポケットを探った。取り出したスマホのインカメラ機能を使い、自分の頭頂を確認し、言葉を失った。
「言った通りでしょう?」
視線を液晶画面から酒好に移す。酒好は微笑を浮かべていた。
「飲んだ人の何かをのばす、それがノビールの力なのです」
「いや驚いた」
自然と俺は早口になる。
「まず飲みごたえが抜群だ。こんな風に繰り返されるのど越し、今まで味わったことがない」
「恐らくのどの長さがのびたのでしょう。それで何度ものど越しを味わえたのではないかと」
「それって健康的に大丈夫なのか?」
「ノビールの効果は基本、ある程度のびきったらリセットされるのでご心配なく」
「そうなのか……にしてもあんな少量で髪まですぐのびてくるとは」
「もっと飲めばさらなる効果が期待できますよ」
「本当か!?」
前のめりになる俺に、酒好は掌を突きつけてくる。
「ただし、ノビールもお酒ですので飲み過ぎは禁物です。でないと」
「分かったわかった。ほどほどに、だろ?」
俺は酒好の話を遮りながら席に着くと、
「では引き続き……」
ストローに唇を当てた。口に広がる甘さと苦みが絶妙に混ざり合った味わい。腑に落ちる豊かな余韻が血の巡りを介し、身も心も満たしていくようだった。
「上手いなぁ」
甘い吐息を漏らした、その時。
「まずいなぁ」
耳に届いた暗く沈んだ声。右斜め後ろを見やった。
「良い案がまったく浮かばない」
「どうします? プレゼンは明日だというのに」
「分かってる、お前も無駄口を叩いてないで考えろ!」
向かい合う二人が言い争いをしていた。先ほど話題に上がったエリートサラリーマン風の男達だった。
「ふむ」
俺は立ち上がると男達が座るテーブルのそばに歩み寄った。自分でも何故そうしようと思ったのか分からない。まさに無意識だった。
「何か?」
向かって右側の男が怪訝な顔でこちらを見上げてくる。左側の男は無言で首を傾げていた。当然の反応だった。
「いや別に、少し気になるお話が聞こえたものですから」
しどろもどろになりながらも俺はテーブルに広げられた資料を指差す。
「お節介だとは思いますが……この企画の方針は、これを逆に置き変え、ポイントはこう絞った方がよろしいかと」
勝手な口出しを始める俺に対し、
「ちょっとあんた急に何なんだ?」
右側の男が語気を強めるも、
「なるほど、それは中々良い考えかもしれません」
左側の男が声のトーンを上げる。これには右側の男も表情を変えた。
「……言われてみると確かに」
「でしょう? すみません、他に何か気になる点はありますか?」
左側の男に訊かれて俺は、
「それでしたらあとは……」
続けて自分なりの意見を述べていった。
「その手があったか」
「斬新なアイデアですね」
「これなら上手く纏まりそうだ」
「明日のプレゼンが楽しみです!」
「さっきは失礼なこと言って悪かったよ。ありがとう助かった!」
「何とお礼を申し上げて良いのやら」
ひとしきり会話を弾ませたあと、サラリーマン達が口々にお礼の言葉を並べる。
「いやいやそんな……では失礼して」
何だか気恥ずかしくなり、そそくさとその場を退散した。
「お見事でしたね」
席に着いた俺を酒好が控えめな拍手で出迎える。
「見てたのか」
「一部始終を」
「まいったな」
頬を掻いた。
「俺は何であんな真似を……」
「発想力がのびたからでしょうね」
「そんなもんまでのびるのか」
「のびるものなら何でも」
酒好が口の端を持ち上げる。
「正真正銘、魔法のビールってわけか」
腕を組んでノビールを眺めていると、
「あのー」
ふいに声を掛けられた。首を捻る。すぐそばに女が立っていた。
「写真撮っても良い?」
スマホを持ち上げる女を観察した。薄い服装に短いスカート、それにチャラついたブレスレット――盛り上がっていた四人組の内の一人だった。
「一枚だけでも」
手を合わせる女。俺はやや遅れて返事をする。
「ああこの珍しいビールのことか。別に構わんよ、好きなだけ」
「ビールじゃなくて」
女は隣の席に座り、耳元で囁いた。
「おじさんを」
「そうかそうか俺……を!?」
仰け反った。
「今なんて!?」
「だからおじさんに興味があるの」
女はニッコリと笑った。
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