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「さっきのおじさんすごく格好良かったよ」
訊けばサラリーマン達とのやり取りを、女はずっと見ていたらしい。
「ああいう時ビシッと言える人、尊敬しちゃう」
「そ、そりゃどうも」
女は上目遣いになる。
「それによく見たらおじさん結構イケてるし、一緒に写真撮ったりお話したいなって」
――まさか俺みたいな冴えないおっさんがこんな若い娘にチヤホヤされるなんて……これも髪がのびて若々しくなったおかげか!?
予期せぬ展開に、
「俺なんかで良ければ」
つい声を上ずらせてしまう。が、
「嬉しい、ありがとう!」
女は特に気にした素振りを見せない。
「そういえば連れの子達は?」
ふと気になったことを訊ねると、
「ふっ」
女が突然吹き出す。
「何かおかしなこと言ったか?」
「いやだって『子達』って、私も一緒にいた友達も皆アラフォーのおばさんだよ?」
俺は目を剥いた。
「本当に?」
「本当よ」
「とてもそんな風には見えなかった……君自身もてっきり大学生ぐらいの年齢かと」
「おじさんったらお上手。ところで私も何か頼もっかなぁ」
女は組んだ指に顎を乗せ、メニュー表に目を落とした。黒目がちな大きな瞳、さらりとした前髪、シャープな顔立ち――美しい横顔に胸の鼓動が早まる。
「酒好さん」
俺に名を呼ばれ、黙々とグラスを磨き続けていた酒好が顔を上げた。
「何でしょう?」
「おすすめをこの人に一杯」
俺は人差し指を立てる。
「かしこまりました。ノビールでよろしいでしょうか?」
「ん? ああそれで頼む」
酒好が一礼し、裏へと引っ込んだ。
「良いんですか?」
女は目を輝かせる。
「安いもんさ」
低い声音で返すと、
「おじさん素敵」
女が俺の二の腕に抱きついてきた。押し付けられる豊満な感触。危うく意識を持っていかれそうになり、慌てて身をよじって女から離れる。
「おじさんは相変わらず照れ屋ね」
女の言葉に違和感を覚え、
「相変わらず? それってどういう」
訊き返そうとした時、
「お待たせしました」
酒好がノビールを持って現れた。
「どうぞごゆっくり」
酒好は配膳が済むとその場を離れていく。
「ねぇおじさん」
横を見る。女がこちらをじって見つめていた。
「私と飲みくらべしない?」
「たくさん飲んだ方が勝ちってやつか?」
「いいえ、どっちが早く飲み終わるかを競うの」
女はノビールのグラスを指差した。
「飲むお酒はこれ、私が勝ったら今日の食事代と飲み代全額おじさんの奢りってことで……もちろん帰った友達の分も!」
「おいおいそりゃあキツイな」
「そのかわり」
女が俺の鼻先に顔を近づけてきた。
「おじさんが勝ったら、私が何でもおじさんの言うこと聞いてあげる」
俺の中で心臓が跳ねる。
「……何でも?」
「疑うなら勝って確かめてみたら?」
女の赤い唇の端が持ち上がる。生唾を飲んだ。
「分かった」
「ちなみにこの対決の動画撮っても良い?」
「えすえぬえすにアップする気か?」
「……だめ?」
「いや構わん」
「交渉成立ね」
女はテーブルに立てた三脚にスマホを固定すると、ストローの端を摘んだ。俺もノビールに向かい合い、戦闘態勢に入る。
「準備は良い? それじゃあ……スタート!」
合図と共にストローをくわえた。次々とノビールを吸い込んでいく。
――これは中々キツイ。
勝負開始直後、すぐに立ちはだかった壁は連続で襲い来るのど越しの衝撃だった。まるで爆竹を食わされたかのように、のどの中で何かが爆ぜ、胸の内側を何度も叩く。
――負けるかぁ!
頬を限界まですぼめた。目の前のグラスに溜まる琥珀色の液体の量が徐々に減っていく。
――よしいける、いけるぞ!
自らを鼓舞していると突然視界が真っ暗になった。
――何だ!?
一瞬パニックになる。が、視界を遮ったものの正体は、急激にのびすぎた前髪であることに気がついた。
――落ち着け、俺は冷静だ。判断力ものびてる今、俺は無敵なんだ!
心の中で叫んだ、その時。
「ごちそうさま」
隣から聞こえた声。
「嘘だろ!?」
俺はストローを吐き出し、前髪をかき分けた。見ると女の前に置かれたノビールのグラスが空になっていた。
「また私が勝っちゃったね」
女がいたずらっぽく笑う。
「約束通り今度こそおじさんの奢りで――」
女の声が遠ざかる。視界に砂嵐が舞ったかと思うと、俺の意識は途切れた。
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