三 竜胆の愛

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三 竜胆の愛

 自習ばかりの授業を終え、ぼくとりかは学校の前にある公園へ向かう。正門を抜け、道路を渡ってすぐのその場所は遊具こそないが平日にはぼくら高校生が部活で汗を流し、休日は小学生の野球チームが試合できるような広いグラウンドを備えている――巨大な花に世界が支配されてからは、静かなものだけれど。  グラウンドの周囲はさまざまな植物が植えられていて、春になると桜も咲くのでお花見をする学生のグループがあちこちにできる。今の季節は青紫色の花がいっぱいに咲いていて、ぼくらは季節によって違う景色を見せてくれるその公園が好きだ。いつも学校帰りに花を見ながらベンチで会話をする。高校生にしては年寄りくさいんだろうか。でも、二人で言葉を交わす時間がなにより楽しくて大切なんだ。 「あれっすごいね、竜胆(りんどう)が一気に咲いた気がする」  りかが嬉しそうに青紫色の竜胆に顔を近づけた。 「週末いい天気だったからかな」 「蕾も可愛いけど、開くと華やかだね」  一本の茎にふっくらとしたいくつもの蕾をつける竜胆はそれだけで存在感があるが、いっせいに開いた花々は途端に辺りの雰囲気をきらびやかにする。    突然巨大な花が咲き、それに振り回されるようになったぼくら。なかにはその理由で花そのものを忌み嫌うようになった人も多くいた。人間というのは不思議なもので、誰かが声を大にして嫌いだと言えば、自分が好きなものでも嫌いになる。それでもなお意思を貫き、好きだと言う人がいれば今度はその人を輪から排除する。好き嫌いなんて個人の自由なのに。どうして多いほうが正しいとか、偉いという考えに至ってしまうんだろう。  そのせいか、以前は季節の花を見に公園に訪れていた人もたくさんいたのに今はほとんど見かけない。 「独り占め……じゃなくて二人占めだね」  りかがふふっと微笑んだ。彼女は花が好きだ。嫌いだと言う人に反発するようなタイプではないけれど、そういう意見を持つ人が増えたことを憂いている。平和主義、と言ったらいいんだろうか。争いを好まないりかは、すぐに揉め事を起こす人間よりも、ただ静かに咲く花々のほうが好きなんだそうだ。  そんな彼女がぼくという人間を好きになったのは、「紫苑(しおん)は野原でぽつんと揺れてる花みたいだから」。一緒にいると落ち着くということらしいが、褒められているんだかいないんだか、いまいちよくわからない。でも、お互いに好きになれたのは良かった。ぼくも彼女と出会ったとき、流れるような黒髪や意思の強そうな鳶色の瞳がとても美しくて、凛と咲く花のようだなと思ったから。  りかはぼくが横顔を眺めていることに気づくと、少しだけ恥ずかしそうに「花、見ないの?」と首を傾げた。艶のあるロングヘアが肩からすとんと落ちて、薄い幕を垂らしたようだった。 「竜胆を見てるりかを、見てる」  照れ隠しのように「なにそれ」と笑う彼女の隣に、花のほうへ身体を向けて座り直す。 「来年からクラスの数が減るんだってね」  りかが寂しそうな声を出した。他愛もない会話のそこかしこに暗い話題が紛れ込むようになったのは、間違いなく巨大な花が咲いてからだ。開花から半年でクラスの人数は半分以下になった。授業を続けているのが不思議なくらいだ。 「うん……虫に関わって死んだ人はどれだけいるんだろうね」 「……どうしてこんなときなのに、みんな()()するんだろう。あの花をなんとかしたいなら、もっと協力し合ったらいいのに。わたしの考えが子どもっぽいのかな」  花を愛でる人が減ったというのも一つの例だが、ジャスミンに似た巨大な花が咲いてから街の治安は大きく傾いた。隣家同士での言い争い、空き巣や窃盗の増加、軍との衝突……。人間同士の諍いが絶えず、大なり小なり問題が起きているが警察が介入することはない。  みんな、自分のことで精一杯なんだと思う。命の危険が間近にあってなお他人を思いやれるほど、人間はできていないということだ。だからぼくは、せめてりかの気持ちに寄り添いたい。彼女と同じ時を過ごして、ただ静かに彼女の思いを聞いてあげたい。野原で揺れる花みたいに。  ♦︎♦︎♦︎  公園に異変が起きたのは数日後のことだった。放課後、いつものように定位置とも言えるベンチへ足を運ぶと、前日まで美しく咲き誇っていたはずの竜胆が一輪もなくなっていた。 「なにこれ」  手折られたように茎だけが残り、地面は踏み荒らされ、一帯はそこに花が咲いていたとは思えないありさまだった。 「なにかで切ったみたいになってる、ほら」 「本当だ……じゃあ」 「誰かが、やったんだね」  きっと、花を嫌う人たちが。  りかが茎だけになった竜胆に悲壮な眼差しを向けた。 「()()()()()はなんにも悪いこと、してないのにね」  ――実は、こういうことは各地で起きている。普通の植物もいつか巨大化してあの花のように人間に牙を剥くのではないかと、一部の過激思想を持った人たちがさまざまな方法で植物の駆除を行なっているのだ。ひどいケースだと、植物を燃やそうとしたがなかなか火がつかず、ガソリンを撒いて周辺の民家にまで燃え移るような火事を起こしたというものまである。それに比べれば、今回はまだ生易しいほうだろう。  それでも目の前のりかの様子を見たら、そんな言葉はかけられない。口をぎゅっと結び竜胆に相対する彼女は、目に涙を浮かべていた。 「りか……」  後ろから彼女を抱き締めるように包み込む。 「大丈夫、きっとまた来年、咲いてくれるよ」    ぼくには巨大な花を駆除することも、それによって引き起こされる人間同士の争いや犯罪をなくすこともできない。できるのは、こうしてきみに寄り添うことくらいだ――。
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