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プロローグ 荒廃した街
立ち昇った黒煙が夕焼けの空に溶けてゆく。橙色のキャンバスにじわじわとインクが滲むように、薄汚いグラデーションをつくっていた。その様子は完全に色選びを失敗した絵だ。
荒れ果てた街に間延びしたような警報が鳴り響く。もう何度聞いたかわからないこの音に、どれだけの人が恐怖心を持っているのだろう。それでもこの学校は避難所となっているから、そのうち校門をくぐり抜けて敷地内へやって来る人もいるかもしれない。
屋上から校庭を眺めていると、生ぬるい風が吹いた。まだ九月とは思えないほどの暑さ。それでもこの時間になると、いくらかましだ。
「気持ちいい風だねぇ」
後ろから穏やかな声がする。
振り返れば、桃がはだけた制服をそのままに足を投げ出して座っていた。風がワイシャツの隙間に入り込み、まるで風船のようにシャツを膨らませている。「うん」とだけ返事をして桃の隣に座ると、風に乗って柔軟剤の甘い香りがした。胸元に顔を埋めるように抱きつく。控えめな双丘は柔らかでなめらかで心地がいい。猫のように頬を擦り付けると桃が笑った。
「莉里ちゃんてば、赤ちゃんみたいで可愛い」
下がった眉と垂れ目が笑顔でますます下がっている。可愛いのはそっちのほうだ。
赤みがさした桃の頬を撫で、そのまま耳に触れる。今度はくすぐったそうに笑った。
「わたしたち、こんなことしてていいのかな」
ふと、桃が疑問を口にした。……いや、疑問というより不安や焦りに近いかもしれない。下がり眉の間に少しだけ皺が寄る。
「どうして?」
「だって、どこかで誰かが国を守るために戦ってるんだよ」
――そう、わたしたちの街は。国は。巨大な花に侵されている。
五ヶ月前、突如として首都に咲いた花は瞬く間に増殖し、この国を狂わせた。どれだけの偉い人が残っているのか、どれだけの人が死んだのか、こんな状況でも学校が授業を続けているのはなぜなのか、詳しいことはわからない。
でも、ここには桃がいる。だからわたしは学校に来る。
「わたしたちが誰かの死を嘆いたってなにも変わらないよ。それよりも、今こうして大好きな人と一緒にいられる幸せを感じたい」
夕焼けに照らされる桃の素肌は美しい。甘い果実のような柔らかな唇にわたしの唇を重ねると、桃はふにゃりと幸せそうに目を細めた。
戦禍の街、わたしたちはいつ死ぬかわからない――。
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