一 白百合の変転

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一 白百合の変転

 県立第三区画高等学校。わたしと(もも)が通っている学校の名前だ。県をいくつかの区画にわけて、番号を振っただけの名前。昔は学校ひとつ一つにちゃんとした名前があったって、お母さんがよく言っている。多分、今どきは校名なんてどうでもいいんだろう。システム科とか看護科とか、専門的なことを勉強する学校もあるけれど、基礎として学ぶのは同じ内容だ。大きな箱に同じくらいの年齢の人間が集まって、勉強したり運動したりするだけ。そういう場所に特別な名前は必要ない。学校であることがわかればそれでいい。そうやって、淘汰されていくんだ。必要なものだけが残る。物も、人も。  ――夏休みが終わって学校に来てみたら、ずいぶんとクラスメイトが減っていた。死んじゃったり、行方不明だったり、単に来てないだけだったりいろいろだけれど。授業なんてほとんど自習で、本当に来る意味あるのかって思う。  でも多分、来ること自体が意味あるものなんだろう。日常をなぞるような行為で、安心感を得ている人もいるんだろうな。   「莉里(りり)ちゃん、今朝のニュース、チェックした?」  自習中、後ろの席にいる桃に声をかけられた。わたしと彼女の席の間には三人のクラスメイトがいたけれど、もうみんな死んでいる。 「見たよ、昨日のことでしょ」  昨夕、わたしと桃の睦み合いを邪魔した警報。結局は軍の抵抗虚しく、花から出てきた()に大勢の人が殺されたらしい。そんなことはもはや日常茶飯事だ。驚くことじゃない。 「うん。あとさ」  途端に桃が険しい表情をする。 「中国の花が一つ、散ったんだってね……」 「うん……」  これにはわたしもさっきのように、日常茶飯事とは片付けられない。  ――花が散る。  世界を狂わせた花が散るなら、問題は解決すると思う人もいるだろう。……いや、今や全世界の人が当事者なのだから、そう思う人がいるとしたら地球以外に住んでいる宇宙人とかか。  巨大な花は終末期を迎えると種をばらまくのだ。種は世界中に飛んでいき、新たな地に根を下ろす。花が増えれば虫も増え、死人も増える。人類がまた一歩、滅亡へと向かう。中国で花が散ったならば日本に種が飛んでくるのは確実だ。きっとなす術なく、わたしたちは花と虫に蹂躙されていくんだろう。  桃がわたしの手をぎゅっと握った。 「こわいねぇ……」  わたしも桃の手を握り返す。教室に誰もいなかったらすぐにでも抱き締めていると思う。 「お兄さんのこと考えてるんでしょ」 「えっ、なんでわかるの」  目を丸くする桃。表情も動きも小動物みたいにころころ変わって、わかりやすくて可愛らしいわたしの恋人。 「わかるよ、それくらい」  大好きだもん。  桃には二歳上の兄がいる。一人っ子だらけの現代できょうだいがいるのは珍しい。高校を卒業してすぐ自衛隊に入ったお兄さんは、かっこよくて優しくて、桃の自慢のお兄さんなんだそうだ。  自衛隊ともなれば、虫との交戦を免れるのは難しいだろう。新人ならなおさらだ。どこかで死んでしまっても訃報が家族に届くかもわからない。国の偉い人は次々にどこかへ逃げて(きえて)いるから。  わたしは軍なんて信じていない。国が一般市民をどれだけ守ってくれたって言うんだ。自衛隊に殺された人間もたくさんいるし、物資だって奴らがどれだけ隠し持っていることか。  でもお兄さんが国のために自衛隊で頑張っていると信じる桃に、そんなことは絶対に言えない。だから。 「大丈夫。きっとお兄さん、桃のために頑張ってるよ」 「……うん……ありがとう、莉里ちゃん」  目にうっすらと涙を溜めた桃が鼻をすすった。  わたしたちはお互いを必要としている。弱いところを見せ合って、時に励ましたり、慰めたり。わたしは桃がいてくれればそれでいい。家族や友だちがみんないなくなっても、桃だけいればそれで充分。それが幸せ。  ♦︎♦︎♦︎  西陽で長い長い影をつくる学校を眼下に、わたしと桃は屋上で手を繋ぐ。初めてそうしたのは四月のことだった。一年のときに同じクラスだったわたしたち。席が近かったからすぐに仲良くなった。桃は小柄で顔も動作も小動物みたいに可愛らしい。穏やかで優しい声も雰囲気も大好きで、彼女に対する気持ちが恋だと気づくのに時間はかからなかった。一年間溜めに溜めた想いを伝えたのが今年の四月。国におかしなことが起こり始めてたくさんの被害が出て、このままどちらかが死んでしまったりする前に告白しようと決めた。桃はびっくりしていたけれどわたしの気持ちを受け入れて、差し出した手を握ってくれた。下がった眉と垂れ目でふにゃっと笑顔をつくって。    桃の首元に顔をくっつければ柔軟剤とシャンプーの香りがする。肩の辺りで切り揃えられた桃の髪の毛がさらさらとわたしの顔にかかる。くすぐったくて気持ちいい。首すじに口づけると、桃はぴくりと身体を震わせて可愛らしい声を上げた。互いの背中に腕を回し、体温を確かめる。じっとりと汗をかいた身体はとても熱いけれど、わたしたちはそれでも離れない。より近くに、桃がいることを、桃が、わたしが、生きていることを、感じたい。  生を貪るように口づけ、触れる。その合間に、途切れ途切れに桃が言う。 「今度の、土日にね、お兄ちゃんが、お休み、もらったんだって」  そう話す彼女はとても嬉しそうだった。桃の身体を(ついば)みながら相槌を打っていたわたしはなんだか少し嫉妬してしまって、わずかに強く太ももを喰む。  ――桃が学校を休みがちになったのは、お兄さんが帰省を終えた週明けからだった。
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