一 白百合の変転

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 学校から配布されたタブレットでクラス名簿を確認する。名簿と言っても個人情報保護のためとかで載っているのは出席番号だけ。わたしのクラス――二年三組には現在八人の番号が残っている。()()()()()()()で学校に来られなくなった人や退学した人などの番号は名簿から消えるのだ。  38番。  (もも)の番号は今日もある。  月曜日、桃は学校を休んだ。火曜日も水曜日も。  お兄さんと休日を過ごせることが嬉しすぎて興奮して熱でも出したのかと思って、休みとわかってすぐ連絡をしたけれど、月曜日の朝からずっと返事はない。いつもだったらたくさんのハートマークや可愛らしい絵文字がついたメッセージが返ってくるのに。電話しても繋がらない。もし今日も休みだったら、帰りに桃の家に行ってみようか……。  そんなふうに思案していたら、朝のホームルームが始まるギリギリの時間――先生が入ってくるのとほとんど同じくらいに桃が登校した。声をかける間もなかったけれど、どうせ授業はほとんどが自習。話すタイミングはすぐにやってきた。 「おはよ、桃。ずっと休んでたから心配したよ」  机に向かう人、寄り添って談笑するカップル、モバイルをいじり始める人たち……みんながそれぞれに過ごし始めたので、わたしも後ろを向いて桃に話しかけた。いつもなら下がり眉と垂れ目をさらに下げてふにゃりと笑うのに、今日の彼女は俯いたままだ。 「どうしたの……? なにかあった?」 「……ごめんね、ちょっと疲れちゃって」  その「ごめんね」は返事をしなかったことについてだろうか。それとも、いつもより元気がないことについてなのか。なんにせよ、わたしに対してそんなふうに申し訳なさを感じてほしくない。三日間も学校を休んでいたのだから、いつもどおりでないことは明白だ。わたしは努めて明るく返した。 「桃のことだから、お兄さんが帰って来て嬉しすぎて熱でも出したんでしょ」 「……うん、そんなとこ」  ようやく顔を上げた桃は笑っていたけれどその顔は弱々しく、わたしも次の言葉をすぐに紡ぎ出すことができなかった。 「ごめん、莉里(りり)ちゃん。やっぱり帰る」  そう言うと、桃はさっさと荷物をまとめて教室を出て行った。「えっ」とか「大丈夫!?」とか、それらのわたしの言葉には振り向きもせず。  なにかが……わからないけれど、なにかがおかしい。  その日以降も、桃は学校を休むことが多かった。前後の席だというのにほとんど会話もしてくれない。電話にも出ないし、メッセージも返してくれなかった。桃が嫌がるようなことをした覚えはない。じゃあどうしてわたしを避けるのだろう。一方的かもしれないと思いつつ、メッセージを送る。今、彼女に想いを伝えるにはその方法しかないのだ。わたしが桃になにかをしてしまったのか、自分が気づいていないことなら教えてほしい、桃と話したい、考えていることを聞かせてほしい。素直に、わたしの想いを綴った。  何度も何度もモバイルを手にしては桃からの返事がないか確認した。そのたびにため息をついて、時間が経つのを待つ。    ――桃からメッセージが届いたのはその数週間後。学校を頻繁に休むようになって、もう二ヶ月が経っていた。  ごめんね、もう関わらないでほしい。    たったそれだけの言葉だった。  血の気が引く、とはこういうことじゃないかと実感した。気持ち悪い。立っていられない。自分の部屋で良かったなと思う。涙が溢れて情けない声が漏れて。桃の言葉に傷ついているわたしを誰にも見られなくて良かった。何度も何度も胸に針を刺されたように苦しくて、痛くて、一晩中泣いた。  振られたんだなと理解し始めたのは、それからまた数日経ってからだった。相変わらず桃は学校を休んでばかりいて、わたしはクラス名簿を見ては彼女が生きていることに――まだ出席番号が残っていることに安堵した。  なにをしていてもどこにいても思い出すのは桃のことばかり。ここでお昼ご飯を食べたなとか、初めてキスしたなとか、警報に怯えて身を寄せ合ったなとか、数ヶ月前なのにすべてが遠い日のことのようだった。  それでも。こんなに辛いのに学校に行くのは、もしかしたら桃が登校するかもしれないから。わたしは彼女を諦められないでいた。大好きな人のことを、急に嫌いになるなんて、忘れるなんてできない。もう一度会ってきちんと話せば、きっとまた前みたいに二人でいられる。だって、こんなに愛おしいと感じるのは、桃だけなの。  ♦︎♦︎♦︎  肌寒い日だった。「ねぇ、庭城(にわしろ)さん」とヒソヒソと話しかけてきたのはクラスメイトの千鳥(ちどり)鈴香(すずか)。髪色もアクセサリーも制服の着方も全部違反してるちょっと派手目な子だ。一匹狼という感じで、ほとんどの時間を一人で過ごしている印象。二年になって半年以上経つけれど、会話らしい会話はしたことがない。そんな彼女がなんの用なのか――。 「あのさ、庭城さんて松葉(まつば)さんと仲良かったよね」  ――結論から言うと、千鳥さんがわたしに話しかけてきたことに大きな意味はなかった。桃との関係を知っていたわけじゃないし、悪気があったとか、逆に親切心でとか、そういうことでもない。ただわたしと桃は仲がいいと認識していたから、思い出したから言ってみただけのこと。  でもその言葉は、わたしを地獄に突き落とすには充分だった。蜘蛛の糸のような今にも切れてしまいそうな望みにすがっていたわたしは、いとも簡単にそれを絶たれてしまったのだ。 「先月だったかなぁ、松葉さんのこと見たんだよね。ホテル街で。年上っぽい男の人と歩いててー」  なんかね、腕組んでて恋人みたいだった。  千鳥さんの言葉がべったり張り付いたように頭から離れない。そのあとどんなふうに話を終えたのか覚えていない。気づいたら泣きながら走っていて、屋上にいた。冬の気配がする風が吹いて、涙に濡れた頬が冷たい。桃と何度も何度も愛し合った場所。間延びしたような警報の音がする。どこかで誰かが国を守るために戦っている。誰かの死を嘆くより、大好きな人と共にいる幸せを感じたい。感じたいのに。わたしは今、一人なんだ。
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